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読者レビュー

銀

「怪談と踊ろう、そしてあなたは階段で踊る」

怪談と遊ぶ少女達

レビュアー:zonby Adept

「男子は腹が立ったら仕返しをする生き物だけど、女子は憎かったら呪う生き物だもの」

二元論は好きではないけれど、この台詞にハッとしてしまいました。
特に「女子は憎かったら呪う生き物」という言葉。
全ての女子がそうとは言いませんし、否定したい気持ちも山々ですが、そうです。女子とは呪う生き物なのです。
というと、なんだか女の子があまりにも禍々しい感じがしますし、私自身何やら儀式のようなことをして人を呪うような人間だと思われては困ります。
具体的に言いましょう。

貴女が女子、あるいはかつて女子であったなら「おまじない」って身近なものじゃありませんでしたか?
あるいは男子、かつて男子であったならどうして女子がそんなに「おまじない」に熱心なのか理解できなかったこともあるのではないでしょうか。
「おまじない」という言い方が不自然であれば「ジンクス」や「占い」と言った方が分かりやすいかもしれません。
ええ。私にも経験があります。
好きな人の名前を消しゴムに書いて、全部使い切れたら結ばれる。
目の前を黒猫が横切ったら今日は不幸。
カラスの羽根は拾ってはいけない。
こっくりさんで使った十円玉は、神社のお賽銭に入れなければいけない。
そうそう。
星座占いなんかは、朝のニュース番組でやるほど定番の「占い」です。
星座占いや血液型占いなんかは別にしても、そういえば学校というものに通っていたころは随分とそういった「おまじない」や「ジンクス」の類が沢山あったものです。

呪いとはまじない。
そういう意味では女の子の日常に呪いは溶け込んでいるのです。
女の子はそれを呪いと意識しないまま、好きな人の預かり知らぬところで呪いをかけ、朝学校に来る前に見るニュースで星占いを見て、今日は幸運。あるいは不運と自分に呪いをかけ、時には憎い相手を呪いと知らずに呪うのです。
「怪談と踊ろう、そしてあなたは階段で踊る」の中でも、呪いを利用し架空の神を祀り上げたのは他ならぬ女子でした。

作者である竜騎士07さんの著書に「ひぐらしのなく頃に」という一連のシリーズがありますね。
あの物語の中でも、呪いに惹かれていったのは女の子といった印象が強くあります。
極自然にオヤシロサマという祟る神を受け入れていた竜宮レナ。
一つ遅れてついてくる足音を、可愛いとさえ感じていた園崎詩音。
まじない、祟りを作り出し、神になることを願った鷹野三四。

反面、男の子である前原圭一・北条悟史は祟りをおそれ、怪異をおそれ、金属バットでそれらに対抗しようとしました。

この物語は些細なオマジナイの物語です。
けれど、そこを。
底の底にじっと目を凝らして見て下さい。

オマジナイを呪いへ、そして祟り神へと祀り上げる
無数の無害で無邪気な
幾人もの女の子がきっといるはず。
―――そして、新しいオマジナイを、求めているはずですから。

2013.05.29

さくら
レビューを見てぞくぞくっ。そういえば小学生の時、こっくりさんとかしていた人たちが…。幼い頃から呪いに馴染んでいると考えるとぞっとしますね。女の子は感覚で生きていて、どこか秘め事が好きだからでしょうか。
さやわか
このレビューはうまいですね。文章の論理はアクロバティックな部分があるわけではないですが、しかし丁寧で言いたいことを一個ずつ積み上げて読み手に伝える形を取っています。途中で「ひぐらしのなく頃に」の話もしていますが、レビューの読者がその作品を読んでいなくてもどういう内容なのかわかるような形になっているのもいいと思います。こういう形で他作品へ言及する際は、しばしば読者がそれを知っている体で書いてしまいがちなのですが、このレビューはそうではない。いいことだと思いますぞ。そしてレビュー全体のテーマである女子とオマジナイの結びつきに少し不気味さを感じさせつつ結びとするのもいいと思います。個人的にはその不気味さについてもうちょっと踏み込んでもいいかなと思ったのですが、そうするとこのレビューの簡潔な読み味はなくなるかもしれない。だからこれでいいのでしょう。「銀」とさせていただきました!

本文はここまでです。