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読者レビュー

銅

虚淵玄『Fate/Zero』

稀有なる出会いを求めて

レビュアー:ラム、ユキムラ

 ライダーはアーチャーに敗北する。
そして、ライダーという名の奇跡は聖杯へと還ってゆく。
されど、ライダーという名の軌跡はウェイバーの魂に宿った。

 どんな形であるにせよ、親しくしていた人と別れるのは辛いことだ。
時に涙さえ頬を伝い、惜別を嘆くだろう。
 しかし、ウェイバーの頬を伝う雫は悲嘆の涙ではない。彼は『ライダーと別れたこと』に対して涙しない。
彼が零した男涙は、『認められた』ことへの涙だ。そして、自分を『認めようとした』ことへの。
 ウェイバーは、体の大きさだけではなく器の大きさとして巨大な【イスカンダル】から、自らの小ささを思い知らされた。
やがて虚勢混じりの万能感を棄て、実力を弁えた上で努力を忘れない 無知の知という大成長を遂げゆくのだ。
そんな彼の過程を今の自分に置き換えて考えてみると、自分を導いてくれる存在に出会えることがとても稀だと理解できる。


   それでも互いの役目 果たしたことが別れなら
   これでいいよね

『リーベ~幻の光』は、その歌詞を高らかに奏でる。
 聖杯を掴み取ること叶わなかったライダーは、サーヴァントとしての役目を果たしたとは到底言えやしない。
だがしかし、イスカンダルとしては。
 王たるイスカンダルとしては、彼は十二分に役目を果たしたのではないだろうか。
己が信念を貫き通し。
そしてまた、一人の王として、少年を導いたのだ。

 だからきっと

   ――――これでいいよ。

 共に生きることだけが全てじゃない。
共に死することもまた、全てじゃない。
 イスカンダルは王としてウェイバーを導き、ウェイバーは臣として王の覇道を支えてゆく。
 それは、本当に――今までの生き様が変わってしまうような、最高の出会い。
宿命じみた偶然の そのしばしの邂逅に憧れ、自らもまたそれを求めた読者はきっと多いだろう。
 ところが、私はまだめぐり逢えていないのだ。一生貴方について行くと誓えるような 人生の指針たる人物に。
否。そのような人物と、此の人生の間に逢える保証など無い。

 そう言っている間にも時間は進んでいく。いつまでも青いままではいられない。時間は悠久ではないのだから。
 ならば。
 なれるとは思わないけど。
いつ会えるとも知れない【イスカンダル】をただ待っているのではなく。
ウェイバーとともに、誰かにとってのイスカンダルを目指そう。
 誰かを導けるような。
偉そぶるわけではなく、高潔であるわけでもなく、ただ誰かの指針になれるような。
完璧じゃなくてもいい。自らを知って尚、理想は大きく。
求めるばかりの関係ではなく与える側になる。
 二人の関係に憧れるということは、きっと、そういうことなのだ。



 二人の生き様が紡いだキセキを、私達は確かに受け止めた。
次はきっと、私達の番。
このキセキを誰かに託して、其の祈りを輪廻させてゆく。

「――これでいいよ」って、心から笑って別れられるような出会いへ。

最前線で『Fate/Zero』を読む

2012.06.08

のぞみ
ライダーさんと、ウェイバーさんのそれぞれに対して、すごく考えていることがいいなと思いました。
さやわか
ひ、姫! 何ですか!? まさかの上から目線? まあそれはともかく……このレビューはなかなか文章を練ろうとした感があって、それはよいことだと思います。ウェイバーとイスカンダルのような関係に憧れて、いつかそういうものを目指そうという、作品から受けた心意気も伝わります。「銅」にしましょう。惜しいのは、圧倒的にわかりにくいことです。いま僕は「伝わります」と書きましたが、このレビューの読者が僕と同じような感想を抱くかどうかは少し不安です。たとえば、「【イスカンダル】」というのは、作品を知らない人にとってはやや唐突に出てくる名前で、知っている人にとってもなぜ「【】」で囲われているのかはイマイチわからない。あるいは「リーベ~幻の光」の歌詞がいきなり出てきますが、それが曲名であるかどうかも知らされない。そういう、説明を飛ばした書き方に美しさを感じたというのなら、それでもいいとは思います。しかしたとえ詩的な書き方を選んだとしても、それをすることで、読んだ人に何らかの心の動きを与えないと、その美しさというのは他人に届かず、空振りしてしまうのではないでしょうか。ユキムラさんが今回してくださったレビュー投稿には、ほかにもそうしたものがあったと思います。耽美的な文章にはしばしば現れる問題なので、少し考えてみていただければ。どうでしょうか?

本文はここまでです。