サクラコ・アトミカ
愛が世界を塗り替える
レビュアー:6rin
2011年に放映され、SF大賞候補作にもなった大人気TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』。そこに登場する、ぬいぐるみみたいな生き物・キュゥべえは、自分には心が無いと言う。キュゥべえの顔は大概は涼やかな微笑みをたたえていて、口を閉じたまま声を発し、変化しない。表情をつくる眉毛が無いその顔は、確かに心が無いと感じさせるものだ。幾人もの女の子を平気で酷い目にあわせる行いは、変化しない顔よりもっと、キュゥべえに人間らしい心が欠片もないと感じさせるものだった。僕は「心が無い」というその言葉に何の疑問も持たずに視聴した。
だが冷静に考えると、自分と異なり心がある人間が理解できないと嘆いたり、意外な出来事に驚くキュゥべえに心が無いというのはおかしい。僕は頭ではそう思う。しかし、それでもキュゥべえに心が無いのが真実なのだと感じる。つまり、僕の内部で「心が無い」という言葉が、本来ならばそこに含まれない嘆いたり驚いたりする状態まで、範囲を広げてしまっている。
心が有りつつ、心が無い「心が無い´」は現実にはありえない状態である。しかし、『まどか☆マギカ』の世界における現実として僕はそれを想像し、作品の中に見出した。想像力には今までにない新しい現実を創り出す力があるのだ。
『サクラコアトミカ』のキャラクター・ナギもキュゥべえと同じく、自分には「人間らしい感情は一切ない」と言う。
ナギは知事・オルガの命によって丁都の塔に囚われたサクラコの牢番だ。丁都では、オルガは想像しただけで全てが現実になる魔法のような力を持つ。サクラコは観測者の理想に合わせ、その美貌を変化させる、世界一の美少女である。ナギはサクラコを助けるために、想像する自己イメージに合わせ体を変形させる能力で、オルガに抵抗する。
「人間らしい感情は一切ない」という発言の少し後に、ナギは囚われのサクラコに憐れみを感じると言い、天衣無縫なサクラコに呆れたりする。客観的にみて僕は、人間らしい感情をナギは持っていると思う。それでもなお僕は、キュゥべえに心が無いと感じたのと同じように、ナギに人間らしい感情が無いと感じる。それはなぜか?
それは、ナギがあらゆる男性を虜にする絶対美のサクラコを長時間見ていても、美しいと思わず、心を全く乱されないからだ。人間らしい感情がナギにあったら有り得ない話だ。これがキュゥべえの変化しない顔、心無い所業と同じ作用をぼくに及ぼしている。僕に、ナギには人間らしい感情が無いと思わせつつ、人間らしい感情があると感じさせるのだ。さらに、何度か時間をおいて繰り返される、サクラコの美貌に無反応なナギの様子が、人間らしい感情が無いと感じさせるその作用を強めている。そうして、人間らしい感情があるのに、人間らしい感情が無い「人間らしい感情が無い´」が生まれる。
重要なのは、ナギがサクラコに異性として惹かれないことが、ナギが「人間らしい感情が無い´」状態にあるという僕の認識を支えていることだ。それは、ナギがサクラコを愛することが、「人間らしい感情が無い´」という認識を崩し、ナギに人間らしい感情のある心が宿ることを意味するからだ。
そして、愛によって心が宿るロマンチックな物語は、その心の力でハッピーエンドへと進んでいく。
オルガの言葉が現実になる世界、丁都の外へナギはサクラコとともに飛翔する。想像力を用い、愛するサクラコを救いたい一心で造った翼をはばたかせて。ナギとサクラコ、二人の世界は、オルガの世界から二人だけの新しいものに塗り替えられたのだ。
読者の僕が「人間らしい感情が無い´」という新しい現実を創る。それが、愛によって心が宿るロマンチックな物語の構図を生む。そして愛する心が、想像力でオルガの世界を塗り替える。
読者やキャラクターの、既存の枠組みを飛び越え、新しい世界/現実を創る想像力が物語に躍動するのだ。
想像力が世界を創るだなんて、なんて夢があるんだろうと僕は思う。
アニメ好きの僕は、この作品がアニメにならないかと期待している。派手な戦闘シーンはアニメ映えすることだろう。なにより、アニメ鑑賞者によって姿が変わるはずのサクラコがどう描かれるのかを見てみたい。僕のこの想像も現実になってほしい。
だが冷静に考えると、自分と異なり心がある人間が理解できないと嘆いたり、意外な出来事に驚くキュゥべえに心が無いというのはおかしい。僕は頭ではそう思う。しかし、それでもキュゥべえに心が無いのが真実なのだと感じる。つまり、僕の内部で「心が無い」という言葉が、本来ならばそこに含まれない嘆いたり驚いたりする状態まで、範囲を広げてしまっている。
心が有りつつ、心が無い「心が無い´」は現実にはありえない状態である。しかし、『まどか☆マギカ』の世界における現実として僕はそれを想像し、作品の中に見出した。想像力には今までにない新しい現実を創り出す力があるのだ。
『サクラコアトミカ』のキャラクター・ナギもキュゥべえと同じく、自分には「人間らしい感情は一切ない」と言う。
ナギは知事・オルガの命によって丁都の塔に囚われたサクラコの牢番だ。丁都では、オルガは想像しただけで全てが現実になる魔法のような力を持つ。サクラコは観測者の理想に合わせ、その美貌を変化させる、世界一の美少女である。ナギはサクラコを助けるために、想像する自己イメージに合わせ体を変形させる能力で、オルガに抵抗する。
「人間らしい感情は一切ない」という発言の少し後に、ナギは囚われのサクラコに憐れみを感じると言い、天衣無縫なサクラコに呆れたりする。客観的にみて僕は、人間らしい感情をナギは持っていると思う。それでもなお僕は、キュゥべえに心が無いと感じたのと同じように、ナギに人間らしい感情が無いと感じる。それはなぜか?
それは、ナギがあらゆる男性を虜にする絶対美のサクラコを長時間見ていても、美しいと思わず、心を全く乱されないからだ。人間らしい感情がナギにあったら有り得ない話だ。これがキュゥべえの変化しない顔、心無い所業と同じ作用をぼくに及ぼしている。僕に、ナギには人間らしい感情が無いと思わせつつ、人間らしい感情があると感じさせるのだ。さらに、何度か時間をおいて繰り返される、サクラコの美貌に無反応なナギの様子が、人間らしい感情が無いと感じさせるその作用を強めている。そうして、人間らしい感情があるのに、人間らしい感情が無い「人間らしい感情が無い´」が生まれる。
重要なのは、ナギがサクラコに異性として惹かれないことが、ナギが「人間らしい感情が無い´」状態にあるという僕の認識を支えていることだ。それは、ナギがサクラコを愛することが、「人間らしい感情が無い´」という認識を崩し、ナギに人間らしい感情のある心が宿ることを意味するからだ。
そして、愛によって心が宿るロマンチックな物語は、その心の力でハッピーエンドへと進んでいく。
オルガの言葉が現実になる世界、丁都の外へナギはサクラコとともに飛翔する。想像力を用い、愛するサクラコを救いたい一心で造った翼をはばたかせて。ナギとサクラコ、二人の世界は、オルガの世界から二人だけの新しいものに塗り替えられたのだ。
読者の僕が「人間らしい感情が無い´」という新しい現実を創る。それが、愛によって心が宿るロマンチックな物語の構図を生む。そして愛する心が、想像力でオルガの世界を塗り替える。
読者やキャラクターの、既存の枠組みを飛び越え、新しい世界/現実を創る想像力が物語に躍動するのだ。
想像力が世界を創るだなんて、なんて夢があるんだろうと僕は思う。
アニメ好きの僕は、この作品がアニメにならないかと期待している。派手な戦闘シーンはアニメ映えすることだろう。なにより、アニメ鑑賞者によって姿が変わるはずのサクラコがどう描かれるのかを見てみたい。僕のこの想像も現実になってほしい。