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読者レビュー

銅

Fate/Zero

言峰キレイな肖像

レビュアー:ラム、ユキムラ

 肖像画が自分の代わりに醜く年老いていく――

『ドリアン・グレイの肖像』を読んでいると、いつの間にか言峰綺礼、ひいては『Fate/Zero』のことを考えていた。

『ドリアン・グレイの肖像』には主人公ドリアンの他に二人、主要人物がいる。

・ドリアンの純真無垢な美しさを崇拝し、肖像画を描いた画家・バジル
・バジルの友人で、ドリアンに悪徳の美を教え込み堕落に導いたヘンリー卿

 ドリアン、バジル、ヘンリー卿。
その三人の関係に気付いたとき、言峰を思い出した。

 ドリアンに崇拝の感情しか向けなかった画家は、言峰の表層しか見ていなかった時臣師や父の璃正。
ドリアンに言葉巧みに彼の知らない世界を教え込むヘンリー卿はギルガメッシュだ。
時臣のサーヴァントでありながら、言峰の快楽の在処は悪徳にあると断言し 明に暗に主殺しを示唆する誘惑者。

 すると、ドリアン=言峰という図式がすっぽり当てはまるのだ。
凡庸なる善者の信頼を退け 悪徳の誘惑に耽溺したことで、ドリアンと言峰の二人は立場を同じくした。


 美しいという意味の音と同じ名前を持つ言峰綺礼。
ただただ【美しいもの】としてしか自分を認めることをしない画家より、【美しいものとは何か】を教えてくれる方に心惹かれるのは 必然にして哀しき運命――それこそFateだ。

 心の美しさを損なうたびに醜くなるドリアンの肖像画は、悪徳への苦悩・恐怖...さまざまな感情をもたらす、誰にも言えない彼の秘密。
 言峰は、愛情や目標が分からず、どれだけ頑張ろうともやりがいがないことに一人思い悩んだ。
その苦悩は、ドリアンとは異なり 自分自身を写し出す肖像がない故の苦しみだ。
 言峰は自らの魂の在り処の探求の果てに、求めるものを、ギルガメッシュの言霊を契機に見つけてしまった。悪徳の美を受け入れることによって、彼は救われたのだ。


 今まで『Fate/Zero』を読むとき、衛宮切嗣と言峰綺礼とを意識せず対比していた。でもそれでは主人公が衛宮のままだった。
『Fate/Zero』は群像劇。
言峰もまた主人公である。
悪に堕ちることで幸せになる、言峰綺礼の物語。

 ―――― そう思って、しまったから。
 だから。
言峰が悪行に手を染めて魂を悪徳一色に染めていっても、言峰を悪だと憎むことはできない。
「悪いことはやめなさい」って、幸せになるなだなんて、言えるわけがなかった。

最前線で『Fate/Zero』を読む

2012.04.02

のぞみ
『ドリアン・グレイの肖像』と言峰綺礼を結び付けられる。ラムさん、ユキムラさんの感性に感動ですわ!
さやわか
『ドリアン・グレイの肖像』は人間の近代的な内面を描いた古典文学で、なかなか渋い選択ですなー。
のぞみ
すごく説得力のあるように感じましたわ!
さやわか
言峰綺礼を賛美する言葉で終わっていて、これは美しいレビューです。「銅」ということにしたい。しかし過去の作品と比較的に語るというのはありうるやり方ですが、実はなかなか注意が必要なことです。ともすれば似ている箇所を指摘するだけに終わってしまうのですな。肝心なのは類似点を挙げることで何を言うかなのですな。このレビューは最終的に類似点の指摘に終わっていないので「銅」となりましたが、より『ドリアン・グレイの肖像』を出す意味を深めるならば、最後にもう一度その作品に触れてやるのがいいかなと思いました。あくまで一例ですが、たとえば言峰綺礼にとっての「肖像」にあたるものを作品中から見いだすことは可能なのか、みたいな問いかけをする、など。どうでしょうか?

本文はここまでです。