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読者レビュー

銀

ドッペルゲンガーの恋人

希望のドッペルゲンガー

レビュアー:6rin Novice

「ドッペルゲンガーの恋人」。この物語の中で、僕は人間と馴染み深い、恐ろしい生き物に出会いました。本書の帯に「胸を打つSFラブストーリー」とありますが、この物語はおぞましいものが登場する物語という意味ではホラーでもあります。

主人公が生前の記憶を移植した死んだ恋人のクローンと同居することや、多くのクローン人間が当たり前に存在し、人身売買などの犯罪に巻き込まれる世界、主人公が働く『フランケンシュタイン研究所』と揶揄される、死者をコピーとして再生しようとする研究チーム。これらのいかにもホラー的なモチーフをおぞましく感じる読者もいるでしょうが、僕は他のものにおぞましさを感じました。それは生きるうえで目を向けるべき大切なことを見ない主人公の姿勢です。
この世界の日本は戦時下にあり、国民であれば通常、戦争がいつ終わるのかが気になるはずです。しかし、主人公は戦争が間もなく終わるかもしれないことを伝えるニュースに興味がありません。戦争が終われば、記憶までコピーしたクローン製造の実用を目指す主人公たちが糾弾される可能性が高いのにです。
主人公は自身の未来を左右する、本来ならば目を向けるべき大切なことを見ないのです。
彼はクローン人間の研究者ならば知っていて当然のクローン人間たちの惨状を知らず、クローンであることに恋人が苦悩することを馬鹿らしく思います。
そして、クローンである同居する恋人の太った姿を見て『僕は養豚場の飼育員みたいだね』と言います。
僕は大切なことに目を向けない主人公がおぞましい。

大切なことに気付かない。気付いても目を向けるべきだと思わない。目を向けるべきだと思っても考えないようにする。
このように大切なことを無視して生活するということは、誰でもやっているはずです。
大切なことの無視。その分かりやすい例を挙げれば、国や地域の先行きを左右する選挙で、もっとよく検討すべきだったかもしれないと思いつつ用紙に記入して投票してしまうとか、投票に行くべきだと思っているのに面倒だから行かなくていいと判断してしまうといったことです(福島の原発事故以前、原発の危険性を十分に認識していなかった国民の姿勢もそうです)。
自分は大切なことから目を離さない。と思う方もいるでしょう。しかし、人間にとって大切なことは幾つもあります。その全てに目を向けるのは難しいと思います。
本来的に人間には、大切なことに向けるべき目が無い「のっぺらぼう」の一面があるのです。
精神科医や同僚、恋人が口にする、主人公への当たり前の疑問に耳を傾けない主人公。人間の、大切なことに目が向かない欠点を強調して描かれた主人公は、人間から抽出された「のっぺらぼう」といえます。
僕が主人公をおぞましいと思うのは、彼が愚かな人間、愚かな僕のドッペルゲンガーだからなのです。

「のっぺらぼう」である人間は事前に全ての把握すべき大切なことを知ることが出来ません。恋人の完全コピーとの同居という誰も経験していない未知の領域なら尚更です。この同居は主人公に予想外の困難と苦痛をもたらし、やがて押し潰された主人公は自暴自棄になります。破滅が死角からやって来たのです。そして、主人公はある驚くべき方法で、未来に対して前向きな人生を取り戻します。
怪物や幽霊の分かりやすい恐怖とは異なる、人間が人間自らを破滅させる「のっぺらぼう」であることの静かな恐怖。淡々と描かれる主人公の緩やかに進む破滅の過程から、「のっぺらぼう」であることの静かな恐怖が伝わってきます。

今年2011年、日本は地震や津波、原発事故などの大きな災害に見舞われました。対策がもっとしっかりしていれば、被害を抑えたり無くしたり出来たのかもしれません。災害の危険性を甘く見たり、不十分なシミュレーションに基づき対策を立てる「のっぺらぼう」でなければ万全の備えが出来たかのではないか。その思いが人間に自分たちの「のっぺらぼう」性を突きつけます。
現実が本作以上に「のっぺらぼう」のおぞましさを示す現在において、本作が描く「のっぺらぼう」のおぞましさはインパクトが弱い。しかし、崖っぷちから復活する主人公の姿からは逆境から立ち上がれる人間の強さが感じられ、それは、自分も苦しいけれど頑張るぞ、という元気をくれます。
「のっぺらぼう」のおぞましさを描くホラーである本作は、人間の強さに希望を感じられるという意味で、読者にとってまさしく「胸を打つSFラブストーリー」になるはずです。

2011.09.30

さやわか
悲観的な内容を淡々と書くニヒリスティックなスタイルにはなかなか強さがあります。文章表現やリズム感も見るべきものがある。面白いです。いいなあ、うまくて……。さて、こういうレビューの書き方(重々しさのある方向性がという意味ではなく、文章技術への態度として)は、伸ばせる余地があればすごくいいものになると思うので、かなり突っ込んだことを部分について指摘させていただきますと、わずかに構成を見直した方がいい部分があるように思いました。たとえば原発についての話題は二カ所に分散されていて、どちらもわりと初出であるかのように書かれています。分けるのであれば、二回目のほうは一回目をわずかでも踏まえた書き方になっているとうまい感じになるのではないでしょうか。また「怪物や幽霊の分かりやすい恐怖とは異なる、人間が人間自らを破滅させる『のっぺらぼう』であることの静かな恐怖。淡々と描かれる主人公の緩やかに進む破滅の過程から、『のっぺらぼう』であることの静かな恐怖が伝わってきます」という部分は、文章の趣旨としては妥当な内容であるのは間違いないのですが、それは「主人公はある驚くべき方法で、未来に対して前向きな人生を取り戻します」のすぐ後ろに置くべき内容だったでしょうか? 両者の位置のどちらかを調整してもいいように思います。こういう配置が不具合な感じは僕もけっこうやるので、気になってしまいました。しかし、全体としてはいいレビューです! 「銀」といたします!

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