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読者レビュー

銅

Fate/Zero

その先に

レビュアー:azumaakira

Fateシリーズの面白さとは何だろう?と考えたときに、真っ先に浮かぶのはやはり、聖杯戦争という舞台で行われる、その戦闘である。次に何かといわれたら、サーヴァントの真名を考えることだろうか。
聖杯戦争の主役というのがサーヴァントだというのは、間違ってはいないだろう。彼らによって行われる戦闘は、時に華やかな、時に悲惨なものでありながら、圧倒的な熱量で読者を魅了する。そして、それを行うサーヴァントの正体を考えることは、ミステリー的な、謎解きの面白さをもたらしてくれる。
そして、もちろん魔術師同士の戦いというのも面白さの一つであろう。互いの秘術を尽くして戦う彼ら彼女らは、時として、サーヴァント達の苛烈さをも上回る熱量を見せる。

しかし、Fateというのはそれだけの物語なのだろうか?ただ、戦闘シーンの面白さによってのみ支えられている物語なのだろうか?
私の答えは否である。この物語には、彼らの戦い以上に我々を惹きつけて離さないものがある。
それは、この物語が、キャラクターたちが「救い」を得るための物語だという点である。
この物語に登場するキャラクターは、そのほとんどが何らかの「救い」を求めている。
例えば
世界を救うことを願う切嗣
かつての自分の行いをやり直し、国を救いたいセイバー
そして、それ以外のキャラクターも、大きさの程度の違いはあれ、あるいはエゴイスティックなものでありながらも、誰かを、何かを救おうとして行動している。
その切実さが、誠実さが、愚直さが、我々の心を掴んで離さないのではないだろうか?

Zeroを読み終わった読者は、彼らの結末を既に知っていると思われる。
彼らがそれぞれの手段で目指した先に何があり、誰が救われ、誰が救われず、誰が成長し、誰が挫折したかを知っているはずである。
さらに、『Fate/stay night』という物語を知っている人々ならば、Zeroのさらに先に、何があり、誰が救われるかを知っているはずだろう。
そして、知らない人々にとっては、物語はまだ続いている。彼らの戦いを見るためでもいいし、彼らが求めた「救い」の結末を見るためでもいい。

できるなら、Fateという「救い」の物語を最後まで見届けたいと願う人が、一人でも多ければ、と、そんな風に願う。

2011.06.17

のぞみ
自分に問いかけて、何が面白いのか、整理しながら話しているように思いました。
さやわか
それはたしかにそうで、azumaakiraさんはFateの何を自分が面白いと思っているのかを正確に書こうとしている。これはレビュアー騎士団での評価を求める上では正しいやり方です。ここにおいてレビューとは、自分は何を面白いと思い、それはなぜかということを正確に書くところからスタートする。ラストの『Fate/stay night』に続いているんだという箇所は、『Fate/stay night』をプレイしたことがある人の立場からの意見がちょっとだけ強すぎて、プレイしたことのない人には『Fate/Zero』がどういうスタンスの作品なのかわかりにくくしているきらいがありますけど、でも「戦い」「真名」「救い」と、順番に話を展開していくところなどは、文章を書く上での最低限の配慮があって好感が持てます。今回は「銅」としましょう!

本文はここまでです。