Fate/Zero
その先に
レビュアー:azumaakira
Fateシリーズの面白さとは何だろう?と考えたときに、真っ先に浮かぶのはやはり、聖杯戦争という舞台で行われる、その戦闘である。次に何かといわれたら、サーヴァントの真名を考えることだろうか。
聖杯戦争の主役というのがサーヴァントだというのは、間違ってはいないだろう。彼らによって行われる戦闘は、時に華やかな、時に悲惨なものでありながら、圧倒的な熱量で読者を魅了する。そして、それを行うサーヴァントの正体を考えることは、ミステリー的な、謎解きの面白さをもたらしてくれる。
そして、もちろん魔術師同士の戦いというのも面白さの一つであろう。互いの秘術を尽くして戦う彼ら彼女らは、時として、サーヴァント達の苛烈さをも上回る熱量を見せる。
しかし、Fateというのはそれだけの物語なのだろうか?ただ、戦闘シーンの面白さによってのみ支えられている物語なのだろうか?
私の答えは否である。この物語には、彼らの戦い以上に我々を惹きつけて離さないものがある。
それは、この物語が、キャラクターたちが「救い」を得るための物語だという点である。
この物語に登場するキャラクターは、そのほとんどが何らかの「救い」を求めている。
例えば
世界を救うことを願う切嗣
かつての自分の行いをやり直し、国を救いたいセイバー
そして、それ以外のキャラクターも、大きさの程度の違いはあれ、あるいはエゴイスティックなものでありながらも、誰かを、何かを救おうとして行動している。
その切実さが、誠実さが、愚直さが、我々の心を掴んで離さないのではないだろうか?
Zeroを読み終わった読者は、彼らの結末を既に知っていると思われる。
彼らがそれぞれの手段で目指した先に何があり、誰が救われ、誰が救われず、誰が成長し、誰が挫折したかを知っているはずである。
さらに、『Fate/stay night』という物語を知っている人々ならば、Zeroのさらに先に、何があり、誰が救われるかを知っているはずだろう。
そして、知らない人々にとっては、物語はまだ続いている。彼らの戦いを見るためでもいいし、彼らが求めた「救い」の結末を見るためでもいい。
できるなら、Fateという「救い」の物語を最後まで見届けたいと願う人が、一人でも多ければ、と、そんな風に願う。
聖杯戦争の主役というのがサーヴァントだというのは、間違ってはいないだろう。彼らによって行われる戦闘は、時に華やかな、時に悲惨なものでありながら、圧倒的な熱量で読者を魅了する。そして、それを行うサーヴァントの正体を考えることは、ミステリー的な、謎解きの面白さをもたらしてくれる。
そして、もちろん魔術師同士の戦いというのも面白さの一つであろう。互いの秘術を尽くして戦う彼ら彼女らは、時として、サーヴァント達の苛烈さをも上回る熱量を見せる。
しかし、Fateというのはそれだけの物語なのだろうか?ただ、戦闘シーンの面白さによってのみ支えられている物語なのだろうか?
私の答えは否である。この物語には、彼らの戦い以上に我々を惹きつけて離さないものがある。
それは、この物語が、キャラクターたちが「救い」を得るための物語だという点である。
この物語に登場するキャラクターは、そのほとんどが何らかの「救い」を求めている。
例えば
世界を救うことを願う切嗣
かつての自分の行いをやり直し、国を救いたいセイバー
そして、それ以外のキャラクターも、大きさの程度の違いはあれ、あるいはエゴイスティックなものでありながらも、誰かを、何かを救おうとして行動している。
その切実さが、誠実さが、愚直さが、我々の心を掴んで離さないのではないだろうか?
Zeroを読み終わった読者は、彼らの結末を既に知っていると思われる。
彼らがそれぞれの手段で目指した先に何があり、誰が救われ、誰が救われず、誰が成長し、誰が挫折したかを知っているはずである。
さらに、『Fate/stay night』という物語を知っている人々ならば、Zeroのさらに先に、何があり、誰が救われるかを知っているはずだろう。
そして、知らない人々にとっては、物語はまだ続いている。彼らの戦いを見るためでもいいし、彼らが求めた「救い」の結末を見るためでもいい。
できるなら、Fateという「救い」の物語を最後まで見届けたいと願う人が、一人でも多ければ、と、そんな風に願う。