iKILL 第二回『狼なんかこわくない』
やさしい殺し屋
レビュアー:大和
『iKILL』はひどい物語で、好きだ。悲惨な境遇だったり残酷な描写だったり、痛々しくて見ていられなかったり――「そりゃ、あんまりでしょ」って言いたくなるような物語を『iKILL』は次々と語っていく。第二回『狼なんかこわくない』も、やっぱりひどい話だ。この回が、どんな風にひどいのかと言うと……色々「だいなし」になってしまうのだ。
例えば、こんなシーンがある。
「体で払いますッ」
制服のブラウスの胸元を両手で持って、思い切り力を入れて、両側に引っ張る。ゆうべ部屋で何度もやってみた動作だ。ばっ。一気に全開にする。
ブラはつけてこなかった。裸の胸が一瞬でまるだしになるようにしておいた。
練習した通り、うまく行った。
未久は自分の胸をそっと見下ろした。
片方の乳首が、へっこんで、すごくぶかっこうになっていた。
失敗。だいなしだ。
こんな風にして、第二回では色んな事が「だいなし」になる。他にも、死体はミステリー小説みたく処理に困ったりするどころかフードプロセッサーで軽々とミンチにされるし、後藤未久がイジメの復讐を自分で成し遂げたかと思えば実は上手くいってなかったりするし、そもそもが未久の自力なんかじゃなく最初から仕組まれたことだったりするし、仕組んだ小田切明にもまた別の面倒な作業が待っていたりするし……まるで「現実なんてこんなもんだよ」とでも言いたげに、悲惨さや残酷さや痛々しさを伴いながら、いろんなことがだいなしになって、僕らが抱いている理想や想像や幻想が次々と破壊されていく。
でも読んでいると、なんだか心が軽くなってくる。それは「残酷描写でスカっとした」みたいな話じゃなく、ハッと気付かされるからだ。
うまくいかなくて当然なんじゃないか?
だいなしになって当然なんじゃないか?
僕らは普段、色んな事が理想通りにいかず、不平不満を溜めながら日々を生きる。でも、そんな時に僕らが描く理想像って、必要以上にハードルが高かったりするんじゃないか? それはあくまで理想であって、うまくいかなくて当然なんじゃないか? 『iKILL』はそんな当たり前で、けれど見過ごしがちな現実に目を向けさせてくれる。理想を低く持て、ってことじゃない。ただ「無駄に肩肘を張る必要は無いよ」と言われている気がして、ふわりと肩が軽くなるのだ。
『狼なんかこわくない』という物語は、色々なものをだいなしにしながら、僕の中にある無駄な理想や幻想を次々と殺してくれる。そして僕のココロとカラダはちょっぴり軽くなる。僕らは日々を営みながら、色んな事がうまくいかなかったりだいなしになったりするけれど、それでいいんだ。たとえそれがぶかっこうでも、理想通りじゃなくても、最終的に立ち向かう勇気を得た後藤未久みたいに、未来へ向けて強く生きていくことができるはずだ。
* * *
かつて『狼なんかこわくない』という歌があった。1933年に発表された、ディズニーによるアニメ『三匹の子ぶた』の挿入歌だ。当時のアメリカは世界恐慌の真っただ中にあった。そんな中で発表されたこの曲は人々を強く勇気づけた。「狼」は突然襲い掛かった世界恐慌のメタファーとして機能し、『狼なんかこわくない』という歌は狼≒世界恐慌を笑い飛ばそうとする歌として受け取られ大ヒットした。
『iKILL』の第二回『狼なんかこわくない』は、後藤未久が理不尽なイジメと戦う勇気を得る物語だ。このタイトルにどんな意味が込められているか、判断は各々に任せるけれど――少なくとも僕は『iKILL』という作品から勇気を受け取った。
『iKILL』はひどい物語で、好きだ。
ひどさの裏に、やさしさが滲み出ているからね。
例えば、こんなシーンがある。
「体で払いますッ」
制服のブラウスの胸元を両手で持って、思い切り力を入れて、両側に引っ張る。ゆうべ部屋で何度もやってみた動作だ。ばっ。一気に全開にする。
ブラはつけてこなかった。裸の胸が一瞬でまるだしになるようにしておいた。
練習した通り、うまく行った。
未久は自分の胸をそっと見下ろした。
片方の乳首が、へっこんで、すごくぶかっこうになっていた。
失敗。だいなしだ。
こんな風にして、第二回では色んな事が「だいなし」になる。他にも、死体はミステリー小説みたく処理に困ったりするどころかフードプロセッサーで軽々とミンチにされるし、後藤未久がイジメの復讐を自分で成し遂げたかと思えば実は上手くいってなかったりするし、そもそもが未久の自力なんかじゃなく最初から仕組まれたことだったりするし、仕組んだ小田切明にもまた別の面倒な作業が待っていたりするし……まるで「現実なんてこんなもんだよ」とでも言いたげに、悲惨さや残酷さや痛々しさを伴いながら、いろんなことがだいなしになって、僕らが抱いている理想や想像や幻想が次々と破壊されていく。
でも読んでいると、なんだか心が軽くなってくる。それは「残酷描写でスカっとした」みたいな話じゃなく、ハッと気付かされるからだ。
うまくいかなくて当然なんじゃないか?
だいなしになって当然なんじゃないか?
僕らは普段、色んな事が理想通りにいかず、不平不満を溜めながら日々を生きる。でも、そんな時に僕らが描く理想像って、必要以上にハードルが高かったりするんじゃないか? それはあくまで理想であって、うまくいかなくて当然なんじゃないか? 『iKILL』はそんな当たり前で、けれど見過ごしがちな現実に目を向けさせてくれる。理想を低く持て、ってことじゃない。ただ「無駄に肩肘を張る必要は無いよ」と言われている気がして、ふわりと肩が軽くなるのだ。
『狼なんかこわくない』という物語は、色々なものをだいなしにしながら、僕の中にある無駄な理想や幻想を次々と殺してくれる。そして僕のココロとカラダはちょっぴり軽くなる。僕らは日々を営みながら、色んな事がうまくいかなかったりだいなしになったりするけれど、それでいいんだ。たとえそれがぶかっこうでも、理想通りじゃなくても、最終的に立ち向かう勇気を得た後藤未久みたいに、未来へ向けて強く生きていくことができるはずだ。
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かつて『狼なんかこわくない』という歌があった。1933年に発表された、ディズニーによるアニメ『三匹の子ぶた』の挿入歌だ。当時のアメリカは世界恐慌の真っただ中にあった。そんな中で発表されたこの曲は人々を強く勇気づけた。「狼」は突然襲い掛かった世界恐慌のメタファーとして機能し、『狼なんかこわくない』という歌は狼≒世界恐慌を笑い飛ばそうとする歌として受け取られ大ヒットした。
『iKILL』の第二回『狼なんかこわくない』は、後藤未久が理不尽なイジメと戦う勇気を得る物語だ。このタイトルにどんな意味が込められているか、判断は各々に任せるけれど――少なくとも僕は『iKILL』という作品から勇気を受け取った。
『iKILL』はひどい物語で、好きだ。
ひどさの裏に、やさしさが滲み出ているからね。