Fate/Zero
英雄に憧れて
レビュアー:大和
『Fate/Zero』には七組の勢力が登場する。その中で一番好きなペアを挙げろと言われれば、僕は迷うことなくウェイバーとイスカンダルの名を口にするだろう。
ウェイバーは当初、いかにも卑屈で情けない青年として登場する。必ずしも無能な人物ではないが、行動や発想が一々セコくて小さいし、聖杯戦争に参加したのも自分の才能を誇示したいという、ただそれだけの理由だった。
だがウェイバーが小さく見えるのは、彼自身の人間性というより、むしろイスカンダルという男があまりにも大きすぎるからだろう。彼はどこまでも豪放で何物にも縛られない。現代社会の秩序や常識も、聖杯戦争のルールや定石も、イスカンダルにとっては何ら問題になりえない。そもそも聖杯を得ることすら彼にとっては目的ではなく世界制服のためのワンステップに過ぎない。その在り方はまさに征服王と呼ぶに相応しいものだ。
イスカンダルの影響を受け、ウェイバーは少しずつ変わっていく。
マスターとサーヴァントの関係であるにも関わらず、ウェイバーに対するイスカンダルの態度はあまりにも真っすぐだ。叱るべきと思えば叱り飛ばすし、認めるべきと思えば認めてみせる。初めのうち、ウェイバーはイスカンダルの態度に戸惑う。彼は今まで誰かに称賛されたことは無かったし、称賛される必要も無いと思っていた。だがイスカンダルによって、思いもよらないことで自身の価値を認められたウェイバーは、わき上がる嬉しさをどうすればいいか分からず持て余す。
しかしイスカンダルがウェイバーを褒める言葉は、必ずしもウェイバーの理想通りではない。例えば地味で定石通りの作業をウェイバーはきっちりこなし、その手際を見てイスカンダルは優秀な魔術師だと褒めるが、ウェイバーはむしろそれが気に入らず苛立ってしまう。ウェイバーにしてみれば、そんな華々しさの欠片もない作業はむしろ程度の低い魔術師がやることに思えるのだ。
だがウェイバーは、時には叱咤され、時には認められ、時には問いかけ、時に勇壮な背中を見つめながら、凝り固まった心を少しずつ解きほぐしていく。最初はただ振り回されるばかりだったウェイバーも、やがてはイスカンダルを気遣う素振りすら見せるようになる。本当に微々たる変化かもしれないが、確かにウェイバーは大きな男へと成長し始めている。
ウェイバーの成長は決して華々しく彩られているわけではない。決定的なシーンや演出よりも、むしろ何気ない会話や非戦闘時のやり取りによって、ウェイバーの変化は少しずつ積み重ねられていく。そのプロセスを見ていると、僕の胸で静かな喜びが、じわりと、滲むようにひろがっていくのだ。
きっとそこにあるのは、ひどくシンプルな成長物語なのだと思う。ウェイバーが見つめる背中は神話や伝説によって語り継がれてきた英雄そのものの背中だ。イスカンダルによって影響を受けるウェイバーは、まるで英雄の物語に憧れる一人の少年のようだ。誇りや信念、狂気や復讐――様々な精神性が複雑に絡み合い、物語が進むほど重々しさを増していく『Fate/Zero』という物語の中にあって、二人が紡ぐ成長物語はあまりにもシンプルで、純粋で、尊いものに思える。彼らのやり取りを見ていると、まるで僕自身が幼く純粋な少年になったみたいに、彼らが心を動かす一つ一つの事がらに一喜一憂してしまうのだ。
イスカンダルは正真正銘の英雄だ。その大きな背中には、多くの人々が憧れるだろう。ただ、イスカンダルほど大きな背中は持っていないけれど――ウェイバーもまた、僕の心を躍らせる英雄なのだ。
ウェイバーは当初、いかにも卑屈で情けない青年として登場する。必ずしも無能な人物ではないが、行動や発想が一々セコくて小さいし、聖杯戦争に参加したのも自分の才能を誇示したいという、ただそれだけの理由だった。
だがウェイバーが小さく見えるのは、彼自身の人間性というより、むしろイスカンダルという男があまりにも大きすぎるからだろう。彼はどこまでも豪放で何物にも縛られない。現代社会の秩序や常識も、聖杯戦争のルールや定石も、イスカンダルにとっては何ら問題になりえない。そもそも聖杯を得ることすら彼にとっては目的ではなく世界制服のためのワンステップに過ぎない。その在り方はまさに征服王と呼ぶに相応しいものだ。
イスカンダルの影響を受け、ウェイバーは少しずつ変わっていく。
マスターとサーヴァントの関係であるにも関わらず、ウェイバーに対するイスカンダルの態度はあまりにも真っすぐだ。叱るべきと思えば叱り飛ばすし、認めるべきと思えば認めてみせる。初めのうち、ウェイバーはイスカンダルの態度に戸惑う。彼は今まで誰かに称賛されたことは無かったし、称賛される必要も無いと思っていた。だがイスカンダルによって、思いもよらないことで自身の価値を認められたウェイバーは、わき上がる嬉しさをどうすればいいか分からず持て余す。
しかしイスカンダルがウェイバーを褒める言葉は、必ずしもウェイバーの理想通りではない。例えば地味で定石通りの作業をウェイバーはきっちりこなし、その手際を見てイスカンダルは優秀な魔術師だと褒めるが、ウェイバーはむしろそれが気に入らず苛立ってしまう。ウェイバーにしてみれば、そんな華々しさの欠片もない作業はむしろ程度の低い魔術師がやることに思えるのだ。
だがウェイバーは、時には叱咤され、時には認められ、時には問いかけ、時に勇壮な背中を見つめながら、凝り固まった心を少しずつ解きほぐしていく。最初はただ振り回されるばかりだったウェイバーも、やがてはイスカンダルを気遣う素振りすら見せるようになる。本当に微々たる変化かもしれないが、確かにウェイバーは大きな男へと成長し始めている。
ウェイバーの成長は決して華々しく彩られているわけではない。決定的なシーンや演出よりも、むしろ何気ない会話や非戦闘時のやり取りによって、ウェイバーの変化は少しずつ積み重ねられていく。そのプロセスを見ていると、僕の胸で静かな喜びが、じわりと、滲むようにひろがっていくのだ。
きっとそこにあるのは、ひどくシンプルな成長物語なのだと思う。ウェイバーが見つめる背中は神話や伝説によって語り継がれてきた英雄そのものの背中だ。イスカンダルによって影響を受けるウェイバーは、まるで英雄の物語に憧れる一人の少年のようだ。誇りや信念、狂気や復讐――様々な精神性が複雑に絡み合い、物語が進むほど重々しさを増していく『Fate/Zero』という物語の中にあって、二人が紡ぐ成長物語はあまりにもシンプルで、純粋で、尊いものに思える。彼らのやり取りを見ていると、まるで僕自身が幼く純粋な少年になったみたいに、彼らが心を動かす一つ一つの事がらに一喜一憂してしまうのだ。
イスカンダルは正真正銘の英雄だ。その大きな背中には、多くの人々が憧れるだろう。ただ、イスカンダルほど大きな背中は持っていないけれど――ウェイバーもまた、僕の心を躍らせる英雄なのだ。