星海大戦
こういう関係に弱いんです
レビュアー:大和
参ったなぁ。僕はこういう関係に、すっごく弱いのだ。
星海大戦は宇宙を舞台とした戦記モノである。三人の主人公を中心に物語が進んでいくのだけれど、その中の二人――クラウディオ・チェルヴォとマクシミリアン・ルメルシェは、同じ陣営に属した二人の天才でありながら、互いの実力を素直に認めない関係として描かれている。
二人のいがみ合いは徹底している。例えばクラウディオは『あいつ、この前食堂で同じメニュー頼みやがったんだ。普通やるか?』という台詞に代表されるように、どんな些細なことでも自分に対するあてつけだと受け取ってしまうし、『一時的に後塵を拝しているが、自分は必ず目の前の男を打倒する。そう自らの魂に誓ったのである――その誓いは、終生彼の行動を律することとなる』なんて描写をされるくらい本気でルメルシェに対抗意識を燃やしている。
そして一見して優等生的で落ちついたキャラに見えるルメルシェではあるが、彼もまた『売られた喧嘩は徹底して買うタイプの人間』であり、クラウディオのことを気に入らない存在だと強く思っている。例えばクラウディオの低次元な嫌がらせに対して、ルメルシェもまた、相手の食事に大量の香辛料を入れたり、部屋に忍び込んでベッドを水浸しにしたりといった、幼稚な嫌がらせで対抗する。艦の支配権を無理やり奪おうとして失敗したクラウディオに対し、ルメルシェは蔑むように「間抜け」と言い放つ。ルメルシェにとって、クラウディオは愚かで苛立たしい存在なのである。
しかしこの二人、いがみ合うシーンが何度も描かれているけれど――その実、仲間同士として互いに成長していくことが、本文によって半ば預言されている。
『この2人が連星(バイナリスター)として歴史のなかで演じる情景を、モニカ・スカラブリーニは予見しえてはいなかった。』
『まあ、別に悪くはないんじゃねえの――終生の好敵手にして盟友であったクラウディオ・チェルヴォであったならそのような評価を与えたことであろう木星圏の理念に対して、ルメルシェは積極的な価値を認めていた。』
連星。終生の好敵手にして盟友。やがて二人は英雄になり、ゆくゆくはそう言われるようになるのだろう。今でこそ互いを認められていないけど、成長し、共に時間を過ごしていくうちに、いつか二人は互いの実力を素直に認め、その上で競い合うような関係に変わるんじゃないかと僕は思っている。
二人が仲の良い友人同士になることは難しいかもしれないけれど、この物語は、互いの実力を心から認め合うような瞬間は描こうとするんじゃないか。第十回までのストーリーを見てみよう。クラウディオは最後に『……次は勝つ』と呟くけれど、そこにはルメルシェに対する対抗意識と同時に、無意識ながらも、今回生き残れたことが少なからずルメルシェの才によるものだと認めている様子が見える。ルメルシェはルメルシェで、限界ギリギリの操舵が実はクラウディオによって支えられていたことに気付き、それが気に入らず、自分に対して『間抜けが』と言ってみせる。そこにはやはり、クラウディオの実力を認めざるを得ないという部分があるのだろう。二人はまだ互いを直視できてはいないけれど、でも互いを認め合うような兆しは描かれているのだ。
そう、「いがみ合っていた二人が互いを認め、より高みへと昇って行く」という関係性の変化に、僕は弱いのだ。思わず泣きそうになってしまうのだ。ずっと反目してきた二人。いつも反発し衝突しあう二人の間には膨大な負のエネルギーが溜まってくすぶっている。そして二人が互いを真っすぐに認めた瞬間、二人の間にくすぶっていたエネルギーが一気に推進力へと変わり、二人をより高みへと運ぶ。そういう風に、負のエネルギーが正のエネルギーに反転する瞬間には、すごいカタルシスがあるのだ。そして二人がより高みへ上るのを見ると、僕は「人と人が繋がることには凄い可能性がある」ってことを確信せずにはいられないのだ。僕にとってそれは、とても美しくて尊いことに思えるのだ。だからそういうシーンに遭遇すると、僕の中で快楽と感動がごちゃ混ぜに立ちあがって、どうしようもなく鳥肌が立ってしまうのだ。
そして、こんなにもいがみ合う二人の天才が、互いをはっきり認め合う瞬間が来たら――そこには比類なき壮大なカタルシスが待っているんじゃないか。二人を果てしない高みへと連れて行ってしまうんじゃないか。なんせ主人公二人なんていう重要な関係だ。そんなシーン、すぐにはお目にかかれないだろう。もしかしたら物語が終わるギリギリまで引っ張るかもしれない。生半可なシーンでは描かれないだろう。もしかしたら、どちらかを失いかけることで初めて気付かされる、なんてシーンになるかもしれない。しかしどこまで追いかけてでも、どんな風に描かれるとしても、僕は元長柾木が二人の関係をどう発展させていくのか、ぜひ読みたいと思う。なんせ僕は、こういう関係に滅法弱いから。
星海大戦は宇宙を舞台とした戦記モノである。三人の主人公を中心に物語が進んでいくのだけれど、その中の二人――クラウディオ・チェルヴォとマクシミリアン・ルメルシェは、同じ陣営に属した二人の天才でありながら、互いの実力を素直に認めない関係として描かれている。
二人のいがみ合いは徹底している。例えばクラウディオは『あいつ、この前食堂で同じメニュー頼みやがったんだ。普通やるか?』という台詞に代表されるように、どんな些細なことでも自分に対するあてつけだと受け取ってしまうし、『一時的に後塵を拝しているが、自分は必ず目の前の男を打倒する。そう自らの魂に誓ったのである――その誓いは、終生彼の行動を律することとなる』なんて描写をされるくらい本気でルメルシェに対抗意識を燃やしている。
そして一見して優等生的で落ちついたキャラに見えるルメルシェではあるが、彼もまた『売られた喧嘩は徹底して買うタイプの人間』であり、クラウディオのことを気に入らない存在だと強く思っている。例えばクラウディオの低次元な嫌がらせに対して、ルメルシェもまた、相手の食事に大量の香辛料を入れたり、部屋に忍び込んでベッドを水浸しにしたりといった、幼稚な嫌がらせで対抗する。艦の支配権を無理やり奪おうとして失敗したクラウディオに対し、ルメルシェは蔑むように「間抜け」と言い放つ。ルメルシェにとって、クラウディオは愚かで苛立たしい存在なのである。
しかしこの二人、いがみ合うシーンが何度も描かれているけれど――その実、仲間同士として互いに成長していくことが、本文によって半ば預言されている。
『この2人が連星(バイナリスター)として歴史のなかで演じる情景を、モニカ・スカラブリーニは予見しえてはいなかった。』
『まあ、別に悪くはないんじゃねえの――終生の好敵手にして盟友であったクラウディオ・チェルヴォであったならそのような評価を与えたことであろう木星圏の理念に対して、ルメルシェは積極的な価値を認めていた。』
連星。終生の好敵手にして盟友。やがて二人は英雄になり、ゆくゆくはそう言われるようになるのだろう。今でこそ互いを認められていないけど、成長し、共に時間を過ごしていくうちに、いつか二人は互いの実力を素直に認め、その上で競い合うような関係に変わるんじゃないかと僕は思っている。
二人が仲の良い友人同士になることは難しいかもしれないけれど、この物語は、互いの実力を心から認め合うような瞬間は描こうとするんじゃないか。第十回までのストーリーを見てみよう。クラウディオは最後に『……次は勝つ』と呟くけれど、そこにはルメルシェに対する対抗意識と同時に、無意識ながらも、今回生き残れたことが少なからずルメルシェの才によるものだと認めている様子が見える。ルメルシェはルメルシェで、限界ギリギリの操舵が実はクラウディオによって支えられていたことに気付き、それが気に入らず、自分に対して『間抜けが』と言ってみせる。そこにはやはり、クラウディオの実力を認めざるを得ないという部分があるのだろう。二人はまだ互いを直視できてはいないけれど、でも互いを認め合うような兆しは描かれているのだ。
そう、「いがみ合っていた二人が互いを認め、より高みへと昇って行く」という関係性の変化に、僕は弱いのだ。思わず泣きそうになってしまうのだ。ずっと反目してきた二人。いつも反発し衝突しあう二人の間には膨大な負のエネルギーが溜まってくすぶっている。そして二人が互いを真っすぐに認めた瞬間、二人の間にくすぶっていたエネルギーが一気に推進力へと変わり、二人をより高みへと運ぶ。そういう風に、負のエネルギーが正のエネルギーに反転する瞬間には、すごいカタルシスがあるのだ。そして二人がより高みへ上るのを見ると、僕は「人と人が繋がることには凄い可能性がある」ってことを確信せずにはいられないのだ。僕にとってそれは、とても美しくて尊いことに思えるのだ。だからそういうシーンに遭遇すると、僕の中で快楽と感動がごちゃ混ぜに立ちあがって、どうしようもなく鳥肌が立ってしまうのだ。
そして、こんなにもいがみ合う二人の天才が、互いをはっきり認め合う瞬間が来たら――そこには比類なき壮大なカタルシスが待っているんじゃないか。二人を果てしない高みへと連れて行ってしまうんじゃないか。なんせ主人公二人なんていう重要な関係だ。そんなシーン、すぐにはお目にかかれないだろう。もしかしたら物語が終わるギリギリまで引っ張るかもしれない。生半可なシーンでは描かれないだろう。もしかしたら、どちらかを失いかけることで初めて気付かされる、なんてシーンになるかもしれない。しかしどこまで追いかけてでも、どんな風に描かれるとしても、僕は元長柾木が二人の関係をどう発展させていくのか、ぜひ読みたいと思う。なんせ僕は、こういう関係に滅法弱いから。