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読者レビュー

銅

イオン『フィラメントスター』

「誰か」への通信。イオンという少女の物語。そして私たちの物語。

レビュアー:USB農民 Adept

 この「お話」は圧倒的に正しい。だからイオンは「(このお話は)書いただけで意味があった」と言う。でもその後すぐに、「やっぱり貴方に聞いてもらって完成する気がする」とも言う。どっちだよ、と思うが、どっちも正解で、とにかくイオンが語るこの「お話」は圧倒的に正しい。
 自分が持っていないものを知るには時間がかかる。それは、才能だったり、若さだったり、知性だったり、マナーだったり、とにかく「ない」ことを知るのは時間がかかる。すごく時間がかかる。そして、知ると絶望する。とんでもなく辛いことになる。この「お話」の少女もまた、ずっと一人で暮らしていたことや、自分には「誰か」がいないことに気づくのに時間がかかった。気づいてからはすごく辛い。それから少女は、ずっと「誰か」について考えて、「誰か」に向かって交信を試みる。
「誰かへの通信」というモチーフは、この朗読CDというメディアや、ゲームのキャラクターとコミュニケーションを行う原作ゲーム『シェルノサージュ』の構造が強く意識されている。幻かもしれない星の光に言葉を投げるイオンと、(言うまでもなく虚構の存在である)イオンに向かって、コミュニケーションを行う『シェルノサージュ』のプレイヤーはとても似ている。
 私たちは虚構のキャラクターや人格に向けて言葉を投げることができる。ヒーローショーのヒーロー。たまごっち。二次嫁。アイドル。神様。幽霊。キャバクラ。ぬいぐるみ。本当は存在しない、あるいは作られた存在であることを知っていながら、言葉を投げることができる。
 私は、それをとても素晴らしいことだと思う。
「誰か」に向けて言葉を投げることは、悲しくもないし、虚しくもないし、まして無意味だなんてことは全くない。
「誰か」に向けた言葉は、形がなくても、触れなくても、自分の心に何かを残す。
 イオンは、この「お話」を作ることで、そんな風に「誰か」への通信を肯定していて、それは圧倒的に正しいと私は思う。

 この「お話」は、イオンという少女の物語だ。
 そして、私たちの物語だ。

2014.05.20

さくら
ひとりごととは違う、誰かへ語りかける行為。イオンちゃんのしている事は人として、成長していく中で、とても大切なことなのだと思いますわ。
さやわか
これも質の高いレビューですな!イオンの言動が、イオンに対する読者の姿と重なっているというロジックは、定番ながらもなるほどと思わせます。文章を読んだ限りだと、イオンが語りかけるのは不特定の「誰か」で、「虚構のキャラクターや人格」という特定の誰かに語りかける「私たち」とは別なのではないかと思わせるところがあるのですが、それでもよくできたレビューではあると思います。そこをもうちょっとわかりやすく整理してやるともっとよくなると思いますぞ!ここでは「銅」にいたしました。

本文はここまでです。