大間九郎『メイ・デイ』
大間九郎の描く、最悪な人間と、最悪な世界と、人の心を動かす「何か」。
レビュアー:USB農民
大間九郎の描く物語が好きだ。
主人公(小学生女子)の父親は、クズだ。人としても親としても作家としてもクズだ。そいつの名前は大間九郎。本当だ。別に作者をディスっているわけじゃない。
主人公の少女は、クズの父親と二人で生活している。家事炊事は少女の仕事だし、朝が来るたびに父親が寝ゲロを喉に詰まらせていないか、真冬に裸で布団にも入らず寝ていないか、そもそも生きているのか、確認するのも少女の仕事だ。それが小学生女子には荷の重すぎる酷い生活であることは間違いない。そんな少女の心を支えているのは、「大間九郎」(紛らわしいので、登場人物の大間を「」で括る)が昔に書いた小説だ。そこに書かれた言葉は、少女にとって世界のどんなものよりもきれいですてきな「魔法の言葉」だった(大間九郎による「大間九郎」の持ち上げっぷりが凄まじい)。「魔法の言葉」を使う「魔法使い=「大間九郎」=父親」の血を自分は引いているという事実は、少女に、自分もいつか「魔法の言葉」を使う「魔女」になることを決意させる。
少女はよく理解しているのだと思う。どんなに最悪な人間にも、人の心を動かす「何か」はあるし、どんなに最悪な世界でも、人は「何か」に心を動かされながら生きていくということを。
それが大間九郎の描く物語だ。
主人公(小学生女子)の父親は、クズだ。人としても親としても作家としてもクズだ。そいつの名前は大間九郎。本当だ。別に作者をディスっているわけじゃない。
主人公の少女は、クズの父親と二人で生活している。家事炊事は少女の仕事だし、朝が来るたびに父親が寝ゲロを喉に詰まらせていないか、真冬に裸で布団にも入らず寝ていないか、そもそも生きているのか、確認するのも少女の仕事だ。それが小学生女子には荷の重すぎる酷い生活であることは間違いない。そんな少女の心を支えているのは、「大間九郎」(紛らわしいので、登場人物の大間を「」で括る)が昔に書いた小説だ。そこに書かれた言葉は、少女にとって世界のどんなものよりもきれいですてきな「魔法の言葉」だった(大間九郎による「大間九郎」の持ち上げっぷりが凄まじい)。「魔法の言葉」を使う「魔法使い=「大間九郎」=父親」の血を自分は引いているという事実は、少女に、自分もいつか「魔法の言葉」を使う「魔女」になることを決意させる。
少女はよく理解しているのだと思う。どんなに最悪な人間にも、人の心を動かす「何か」はあるし、どんなに最悪な世界でも、人は「何か」に心を動かされながら生きていくということを。
それが大間九郎の描く物語だ。