「仕事をしたつもり」
「つもり」がつもりつもってツモになる。
レビュアー:オペラに吠えろ。
「つもり」には、2種類の「つもり」があると思う。一つはうっかりミスの類いで、頼まれていたことをすっかり忘れていた時なんかに「ごめん、ごめん。すっかりやっていたつもりだった」と言い訳するような「つもり」。やられた方はたまったものじゃないけれど、これはやった方も自分が悪いことを知っているからまだいい。
もう一つの「つもり」はもっとずっと厄介で、本人はやったつもりなのに、周りから見ると実は全然できていない、というもの。例えば、誰かに「そこにゴミがあるから、部屋の掃除をしておいてくれる?」と頼んだとして、その誰かは散らかっている紙くずをゴミ箱に捨てたとする。その人は「紙くずをゴミ箱に入れた」から「掃除をした」と思っている。でも、机の上には埃が積もっているし、掃除機をかけていないから髪の毛が落ちていたりしている……。
想像してみてほしい。そうしたときに「全然掃除できていないじゃない!」と言ったとしたら、相手はどういう反応をするだろう? 「ごめん、ごめん。すっかりやっていたつもりだった」と謝ってくる? うーん、その可能性は低いと思う。多くの人は「ちゃんと言われた通り『ゴミを捨てて』掃除をしたのに、何でそういうふうに言うの?」と不機嫌な顔をするんじゃないだろうか。
本書「仕事をしたつもり」で苦言を呈されているのは、この後者の「つもり」だ。言ってしまえば、本人は「仕事をしたつもり」でいることを疑ってもいないけれど、実が伴っていないという類いのもの。一部の隙もなく作られた会議の時の配付資料、ただ数だけを課せられた営業ノルマetcが「仕事をしたつもり」の典型例として提示すると、著者は「つもり」を看破し、その中身の無さを糾弾してみせる。
ただし、本書はそうした「つもり」を切り捨てるだけではない。それがどうして「つもり」になってしまったのかを分析することで、「仕事をしたつもり」を「仕事をした」にするテクニックも紹介してみせる。とりわけ、「営業ノルマ」がなぜ「つもり」になってしまうのかを解説するくだりは秀逸だ。1日200件の営業電話はただ数だけをこなそうとしても意味がない。200件の電話をすれば、10件は次につながりそうな芽が見つかる。だから、その10件を見つけるために電話をする……という、言われてみれば当たり前のことだけれど、忘れがちなそのことに読者の目を向けさせる。
結局のところ、著者が言いたいのは「自分の目で見て、自分の頭で考えろ」ということなのだと思う。先に挙げた掃除の例を再び使うのならば、部屋のゴミを拾おうとしたとき、床に埃がたまっていることに気が付くだろう。そうしたら「掃除をする」というのが「ゴミを拾う」だけではないことに思い至るはずだ。そのように、ただ相手の言うことを鵜呑みにするのではなく、相手の言うことに、どんな意味があるのかを自分で考える。その「考える」ことの大切さを本書は教えてくれる。
もう一つの「つもり」はもっとずっと厄介で、本人はやったつもりなのに、周りから見ると実は全然できていない、というもの。例えば、誰かに「そこにゴミがあるから、部屋の掃除をしておいてくれる?」と頼んだとして、その誰かは散らかっている紙くずをゴミ箱に捨てたとする。その人は「紙くずをゴミ箱に入れた」から「掃除をした」と思っている。でも、机の上には埃が積もっているし、掃除機をかけていないから髪の毛が落ちていたりしている……。
想像してみてほしい。そうしたときに「全然掃除できていないじゃない!」と言ったとしたら、相手はどういう反応をするだろう? 「ごめん、ごめん。すっかりやっていたつもりだった」と謝ってくる? うーん、その可能性は低いと思う。多くの人は「ちゃんと言われた通り『ゴミを捨てて』掃除をしたのに、何でそういうふうに言うの?」と不機嫌な顔をするんじゃないだろうか。
本書「仕事をしたつもり」で苦言を呈されているのは、この後者の「つもり」だ。言ってしまえば、本人は「仕事をしたつもり」でいることを疑ってもいないけれど、実が伴っていないという類いのもの。一部の隙もなく作られた会議の時の配付資料、ただ数だけを課せられた営業ノルマetcが「仕事をしたつもり」の典型例として提示すると、著者は「つもり」を看破し、その中身の無さを糾弾してみせる。
ただし、本書はそうした「つもり」を切り捨てるだけではない。それがどうして「つもり」になってしまったのかを分析することで、「仕事をしたつもり」を「仕事をした」にするテクニックも紹介してみせる。とりわけ、「営業ノルマ」がなぜ「つもり」になってしまうのかを解説するくだりは秀逸だ。1日200件の営業電話はただ数だけをこなそうとしても意味がない。200件の電話をすれば、10件は次につながりそうな芽が見つかる。だから、その10件を見つけるために電話をする……という、言われてみれば当たり前のことだけれど、忘れがちなそのことに読者の目を向けさせる。
結局のところ、著者が言いたいのは「自分の目で見て、自分の頭で考えろ」ということなのだと思う。先に挙げた掃除の例を再び使うのならば、部屋のゴミを拾おうとしたとき、床に埃がたまっていることに気が付くだろう。そうしたら「掃除をする」というのが「ゴミを拾う」だけではないことに思い至るはずだ。そのように、ただ相手の言うことを鵜呑みにするのではなく、相手の言うことに、どんな意味があるのかを自分で考える。その「考える」ことの大切さを本書は教えてくれる。