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読者レビュー

銅

鬼哭街

繋がり

レビュアー:ジョッキ生 Knight

『魔法少女まどかマギカ』の劇場版を見た時期に読んでいて、キャラとその行動の被りっぷりに、映画を見ながら笑ったなー。まあ、同じ人がシナリオ書いてるから、当たり前ちゃ当たり前なんですけどね。

似てるのは瑞麗と暁美ほむら。

瑞麗は兄が大好きで、でも全く振り向いてくれないことに絶望し、死を選ぶ。しかも、自分がなぶりものにされて、精神すら破壊される程の凄惨な死を選ぶ。彼女が願ったのは、兄が復讐に燃え、自分のことで頭をいっぱいにしてくれること、っていう。まあ、病んでますねー。

暁美ほむらで言えば、まさに後半の展開そのもの。円環と化したまどかを捕まえて、引き剥がした時のあの笑顔が忘れられない。こっちも病んでしまったなー。

さらに、どちらも似たような行動に出る。

瑞麗は最後、復讐でボロボロになった兄の体から魂を抜き出し、魂魄転写によって自ら魂と一体化させることで、自身の夢を叶えた。これでずっと一緒だね、となったわけだ。

一方、暁美ほむらは最後、まどかの力を封じ込め、自分の世界に監禁する。これによって、自身の願いを叶えた。こっちもずっと一緒だね、ってわけだ。

やっぱり似てる。どっちも願いのためには手段を選ばないし。そのための犠牲なんかそっちのけで。愛する人と一緒にいたい。ただそれだけのために行動する感じがね。一貫して怖さが際立っていたけども。

鬼哭街では取り込んで終わってしまったが、まどマギではまだ終わらない。ここに虚淵玄の過去と今が息づいていて、なんか面白い。繰り返しても、少しずつ発展していく物語があるんだなー、と読んだ後に感慨深く思った。気になったら読んでみるといい。だが、この本に魔法少女なんか出てこない。出てくるのはオッサンばっかりだ!イエス、サイパーパンク!

2014.04.22

さくら
お二人のなかなか理解し難い愛情のかたちに「病んでしまったなー」と軽くコメントされているのに笑ってしまいました。ジョッキ生さんの懐の広さを感じましたわ(笑)。
さやわか
これはいいレビューです。飄々とした文体でありながら、ちゃんと虚淵玄の二作について比較検討している。ある作品と別の作品が「似ている」「同じ構造である」みたいなことを指摘する人は昨今の批評家などにも多いのですが、「似ているから、どうなのか」が書けてないことが多いのです。このレビューにはそれがある。ただ類似を指摘するだけではダメで、その類似の指摘がどんな価値を持っているのかが重要。そこがポイントなのです。このレビューの場合は虚淵玄に共通するテーマとして少しずつ発展しているという指摘になっているわけですね。ちょっとだけ気になったのは、じゃあそれがどういうふうに「発展」しているのか?ということでした。似ているけど、発展しているというのなら、それを具体的に指摘してやったほうが説得力が出ると思いますぞ。今回はちょいもったいないけど「銅」にします!

本文はここまでです。