大日本サムライガール1
その目的をどこまで夢想できるか
レビュアー:鳩羽
二点間の最短距離は、素直に考えるとその二点を結ぶ直線だ。けれど道がなかったり障害物があったり、そもそも平面じゃなかったりと、素直にまっすぐ行くことが困難な場合の方が多い。
その複雑さが世間のおもしろさであり、魅力であり、多様性の現れでもあるのだろうが、その煩わしさにうんざりした経験は誰にでもあるのではないだろうか。
被選挙権どころか選挙権すら持たない女子高生神楽日鞠は、日本の救済のために自らの身をなげうってでも、独裁者になろうとする極右思想の持ち主だ。
常識的に考えるならば、年齢を重ねることで知識や経験を蓄え、そこから政治家への道を歩み出すのが普通のルートだろう。しかし、日鞠はそれでは遅いと考えた。一刻も早く、日本国民を救わねば、と。
また、女性であることは、政治家への門戸は広く開かれているとはいいがたい現状がある。日鞠の年齢、性別、などの本人にとってどうしようもない要因は、目的地までの最短距離を邪魔する障害物として、日鞠にまとわりつく。
それを一変させたのが、織葉颯斗との出会いと、アイドル活動を政治の手段にするというアイデアだった。
美貌とプロポーションに恵まれながら、そのことに無自覚な日鞠が、地道にアイドル活動を行って、一気に日の当たる場所まで躍り出る。
この小説の気持ちよいところは、政治とアイドルという二重の成功物語を読む愉しみだけではなく、世間をさながらボードゲームのような平面にしてしまったところだ。
お金持ちのぼんで新保守な傾向のある颯斗が持つ父親への反発や、メディアのような形のないものよりもモノを作ることに価値を見いだす颯斗の父親、いかにも芸能プロダクションの裏の顔といったプロダクションの社長など、立ちふさがる存在が分かりやすい主義や思想の擬人化されたもののように配置される。
続刊でどうなっていくのかは分からないが、彼らが日鞠に影響されて、考え方や立ち位置を変えて右翼になることはないだろう。もっと言うならば、彼らは日鞠が最短距離を行く上での障害ではあっても敵ではなく、倒されて「存在しなくなる」ということはないのだ。日鞠の若さや性別が、政治家という目的には不利になっても、アイドルという手段にこのうえなくマッチしたように、必要なものを使い、不要なものは切り捨て、身軽にまっすぐに突き進んでゆく。目的のために最短距離を行こうとする日鞠のこの清々しさ、迷いのなさが、様々な障害物に手こずらされている私からするととても爽快なのだ。
このボードを見ていると、どんな主義も立場も疎外されず、一方的に負けたりせず、みんなそれぞれの収めどころを見つけられるのではないかという夢物語のような現実を空想したくなる。
だが、夢すら持てなくなってしまえば、理想を思い描くこともできないだろう。日鞠の描く理想の日本とはどういう国なのか、それが描かれてくのが楽しみだ。
その複雑さが世間のおもしろさであり、魅力であり、多様性の現れでもあるのだろうが、その煩わしさにうんざりした経験は誰にでもあるのではないだろうか。
被選挙権どころか選挙権すら持たない女子高生神楽日鞠は、日本の救済のために自らの身をなげうってでも、独裁者になろうとする極右思想の持ち主だ。
常識的に考えるならば、年齢を重ねることで知識や経験を蓄え、そこから政治家への道を歩み出すのが普通のルートだろう。しかし、日鞠はそれでは遅いと考えた。一刻も早く、日本国民を救わねば、と。
また、女性であることは、政治家への門戸は広く開かれているとはいいがたい現状がある。日鞠の年齢、性別、などの本人にとってどうしようもない要因は、目的地までの最短距離を邪魔する障害物として、日鞠にまとわりつく。
それを一変させたのが、織葉颯斗との出会いと、アイドル活動を政治の手段にするというアイデアだった。
美貌とプロポーションに恵まれながら、そのことに無自覚な日鞠が、地道にアイドル活動を行って、一気に日の当たる場所まで躍り出る。
この小説の気持ちよいところは、政治とアイドルという二重の成功物語を読む愉しみだけではなく、世間をさながらボードゲームのような平面にしてしまったところだ。
お金持ちのぼんで新保守な傾向のある颯斗が持つ父親への反発や、メディアのような形のないものよりもモノを作ることに価値を見いだす颯斗の父親、いかにも芸能プロダクションの裏の顔といったプロダクションの社長など、立ちふさがる存在が分かりやすい主義や思想の擬人化されたもののように配置される。
続刊でどうなっていくのかは分からないが、彼らが日鞠に影響されて、考え方や立ち位置を変えて右翼になることはないだろう。もっと言うならば、彼らは日鞠が最短距離を行く上での障害ではあっても敵ではなく、倒されて「存在しなくなる」ということはないのだ。日鞠の若さや性別が、政治家という目的には不利になっても、アイドルという手段にこのうえなくマッチしたように、必要なものを使い、不要なものは切り捨て、身軽にまっすぐに突き進んでゆく。目的のために最短距離を行こうとする日鞠のこの清々しさ、迷いのなさが、様々な障害物に手こずらされている私からするととても爽快なのだ。
このボードを見ていると、どんな主義も立場も疎外されず、一方的に負けたりせず、みんなそれぞれの収めどころを見つけられるのではないかという夢物語のような現実を空想したくなる。
だが、夢すら持てなくなってしまえば、理想を思い描くこともできないだろう。日鞠の描く理想の日本とはどういう国なのか、それが描かれてくのが楽しみだ。