本を読む人のための書体入門
イメージを生み続ける装置
レビュアー:鳩羽
調香師は膨大な種類の匂いを記憶するため、それぞれの匂いのイメージをビジュアルで思い浮かべたり、文章を作ったりして覚えるそうだ。この本の著者が書体を発見、意図的に見つめてきた方法はちょうどその逆だ。文章から発せられるメッセージからの印象だけではなく、そこに味覚、食べ物や食卓の情景などを付加させて、その書体にいつのまにかイメージを記憶させてきたのだという。
もちろん味覚でなくても、なんとなくさびしい感じだとか、活発な雰囲気だとか、そういう詩情や心情のようなものでもいい。ただの記号、二次元にぺったりと貼りつけられただけのものが、表現される内容と読者の思い出や嗜好を、強烈に、ときに思いがけない方向へと連結させる。その双方向の動きを含めて、文字は「記憶を読む装置」なのだろう。
本において、あるいは広告やポスターで、書体が中心になるということはあまりない。脇役ですらない。それこそ「水や空気のような存在」のように、無色透明であってくれなくては困る。
けれど、気にとめてみると随分とたくさんのフォントがあることに気づかされる。またこの本には、いちいちこれは何フォントだと注釈が入っており、気づかざるを得ないような仕組みになっているのだ。そして振り返って、普段読んでいる本が何という書体で記されているのか、ほとんど知らないということに気づく。
名前も知らないのに確かに見たことがあり、この書体はこれこれこういう感じがするという記憶の引き出しすら、いつのまにか持っている。名前を知らなくても、きっと誰もがはっきりと区別して、知っているのが書体なのだ。
誰でも見たことのある書体を漫画やテレビ番組の字幕を例に紹介しながら、そのひとつひとつに名前があることを、今まで気にしなかった書体を、水や空気の存在を発見することの目新しさ。
この本は書体の入門書でありながら、本を読む人が自分でも気づいていない、本と自分の記憶のつながりを発見する入門書なのかもしれない。
もちろん味覚でなくても、なんとなくさびしい感じだとか、活発な雰囲気だとか、そういう詩情や心情のようなものでもいい。ただの記号、二次元にぺったりと貼りつけられただけのものが、表現される内容と読者の思い出や嗜好を、強烈に、ときに思いがけない方向へと連結させる。その双方向の動きを含めて、文字は「記憶を読む装置」なのだろう。
本において、あるいは広告やポスターで、書体が中心になるということはあまりない。脇役ですらない。それこそ「水や空気のような存在」のように、無色透明であってくれなくては困る。
けれど、気にとめてみると随分とたくさんのフォントがあることに気づかされる。またこの本には、いちいちこれは何フォントだと注釈が入っており、気づかざるを得ないような仕組みになっているのだ。そして振り返って、普段読んでいる本が何という書体で記されているのか、ほとんど知らないということに気づく。
名前も知らないのに確かに見たことがあり、この書体はこれこれこういう感じがするという記憶の引き出しすら、いつのまにか持っている。名前を知らなくても、きっと誰もがはっきりと区別して、知っているのが書体なのだ。
誰でも見たことのある書体を漫画やテレビ番組の字幕を例に紹介しながら、そのひとつひとつに名前があることを、今まで気にしなかった書体を、水や空気の存在を発見することの目新しさ。
この本は書体の入門書でありながら、本を読む人が自分でも気づいていない、本と自分の記憶のつながりを発見する入門書なのかもしれない。