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読者レビュー

銅

僕たちのゲーム史

遊びをせんとや

レビュアー:鳩羽 Warrior

 僕たちのゲーム史、の「僕たち」とは誰のことなんだろう。少なくとも、ゲーム機を持たず、テレビゲームは後ろで見ているだけという子供時代を過ごした私のことではないなと思いながら読んでみたところ、意外なことに「僕たち」のなかにゲームとは無縁の私も含まれていた。
 それはこの本が、歴史として様々なゲームを繋げていくために使った、ゲームがゲームである限り変わらなかった「ボタンを押すと反応する」という点と、時代やゲームのジャンルによって大きく変わってきた「物語をどのように扱うか」という二点。この二点のうち、「物語をどのように扱うか」という点について、現代でなんらかの娯楽に触れるならば、無縁でいられる人などいないだろうからだ。

 アドベンチャーゲームにしてもロールプレイングゲームにしても、さらにシミュレーションゲームにしても、物語性を豊かに膨らませていくことで発展した時期があった。
 これはのちにCD―ROMなどの記憶媒体が安価に普及するようになり、華麗なグラフィックや高音質の音楽がゲームに立体感を与えることが可能となってからは、それらと手を取り合ってさらに物語の充実が進んだ。
 さらに時代を下って、その類似はゲームの楽しみを外側でのコミュニケーションに置くということに見ることができるだろうか。それを意図的に取り込んで作られたSNSのゲームは、ゲームとしておもしろいかはともかくとして、コミュニケーションツールとして惰性でついつい遊んでしまう。
 これは、物語が完璧に出来上がりすぎていてプレイヤーが介入できず、ただAボタンを押しているだけといわれたファイナルファンタジーなどと対照的でありながら、よく似ているように思える。
 このようにして、優れた技術はゲームの内側に虚構性の強い物語を構築し、コミュニケーションはゲームの外側に終わらない円環の物語を作った。

 虚構と現実を行き来する楽しみ方だけでなく、本書でも触れられているように、現実のリアルタイムのうえにそのまま虚構の時間を重ねるような楽しみ方が、いつのまにか普通のことになっている。現実の自分の今を生きながら複数のゲームを進め、複数のキャラクターを使い分けながら自分自身もキャラのように個性を使い分ける。
 それが遊ぶという身体の体験に固定されたならば、脱出ゲームのような実際に身体を動かすものにもなるだろうし、特定の場所に固定されたならば、アニメやゲームの舞台となった土地を訪れる聖地巡礼のような観光と結びつく。
 また、メディアミックスという形は外側を持たない娯楽に多面的に外部を作り出し、そうでなくとも、二次創作という形で読者やプレイヤーが無数に作品の外側を作り出すことも、何ら目新しいことではない。そうやって私たちは、自分の分身を増やして遊ぶか、光源を増やして影絵遊びを楽しむかして、現実では通用しなくなってきた物語を個々で享受している。

 一対一で創作物と向かい合い、それと対峙するには勇気や覚悟が必要だ。それがどうでもいい価値のないものなのかもしれないという不安に、絶えず心は揺れる。そんなとき、それぞれで異なる物語の解釈をまとめようとする動き、そうすることで大きな物語の代わりにしようとする動きが、ゲームの外側、舞台の始まる前で行われているのかもしれない。
 ボタンを押す、それはいつの世も変わらぬ決定の意思表示だろう。ただその意思決定にいたるまでを、さまざまな物語が彩り、誘惑する。
 ゲームが人生に似ているのか、人生がゲームに過ぎないのか分からないが、こんな現在を生きている「僕たち」のゲーム史は、未だ、変わってきたものの歴史を追いかけて、変わらないものを探そうとする試みの途中にあるのだろう。
 ボタンを押すと、どんな反応があるのか。それは押してみないと分からないのである。

2013.07.08

ゆうき
私もゲームに物凄く詳しいという訳ではないのですが、読んでいるだけで自分も少し知識が増えたような、そんな気持ちにさせてくれるくらい詳しい解説を交えたレビューですね!現実でも、ボタンをポチっと押すだけで色々上手くいかないかなぁ…!(切実)
さやわか
淡々としているようで、本を読んで感じた内容からしっかりした考察を繰り広げたレビューになっています。文章も丁寧で好ましいですね。ただ少し気になるのは、これは確かに本から発想を広げた文章ではあるのですが、読者を本に向かわせるようなものにはちょっとなっていないかもしれないなと思いました。つまり筆者のゲームに対する感慨が主になっており、本を読むことで得られる率直な感動とか不快感とか、そういうものが読み取りにくい。本の内容説明はしているのですが、それが読者のためにはあまり有効に機能していないのかな、と思いました。ここでは「銅」とさせていただいておりますが、どうでしょうか。

本文はここまでです。