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読者レビュー

銅

サエズリ図書館のワルツさん

紅玉いづき史

レビュアー:ticheese Warrior

 作家だって歳をとる。
 たとえ少年少女を描いてきたライトノベル作家であっても、今は一般レーベルで執筆する機会がどっと増えた。そうなると描かれる主人公も高校生ではなく、大学生や社会人であることが多い。作家の加齢と共に、物語の主人公も大人になっていく。ライトノベルがデビューではないが、分かりやすい例を挙げるなら綿矢りさの作品などまさにその通りだ。17歳でデビューした綿矢りさも作品の主人公は生き生きとした、しかし人物像としてはかなりけだるげな女子高生だった。そして30歳も目前に控えた現在は、職場や恋愛や結婚適齢期に悩む女性を主人公に描いている。間違いなくデビュー当時は書けなかった作品だろう。こんなことを言うと性差別だと怒られそうだが、一般に女性作家の方が時と共に主人公の年齢が上がりやすい気がする。学生就職結婚出産と、人生における環境の変化が劇的で、機会も多い為かもしれない。

 そして『サエズリ図書館のワルツさん』の作者紅玉いづきも、綿矢りさと同じく時と共に作品が変わってきた作家の一人だ。

 私は紅玉いづきのデビュー作、『ミミズクと夜の王』が大好きだった。ライトノベルより児童文学に近いファンタジー作品で、主人公のミミズクと名乗る少女は元奴隷で不幸な生い立ちにもかかわらず、あっけらかんとしていて芯の強いところが魅力だった。今でも私のデスクにはいつでも手に取れるように、未読の本のすぐ隣に『ミミズクと夜の王』が並んでいる。

 デビューから数作、紅玉さんはファンタジー作品を書いた。ミミズクと同じく、一本芯の通った少女が主人公。手に取るたびに私はいつも泣かされた。しかし変化が如実に感じられたのは4作目、メディアワークス文庫で出された『ガーデン・ロスト』だった。これはファンタジーではない。仲良しだった女子高生4人が、お互いの未熟さで傷つけ合って仲違いしたりする。そこには理想も魔法もなく、ただ現実が横たわっていた。作家が時と共に作品を変えていくのは悪いことではない。同じく歳をとって生きている私だって、成長すれば感じ方も変わるし環境も変わる。中学生の頃なら無理だったかもしれないが、当時『ガーデン・ロスト』は面白く読めた。
 しかしそれでもデビュー作に感じたものは、もう新しい作品では読めないんじゃないかという不安があった。

 作家だって歳をとる。私が紅玉さんの作品で次に読んだのは『青春離婚』だった。高校生の物語であるが、夫婦と離婚をテーマにした悩ましい人間関係を描いた作品だった。

 そしてさらに次が『サエズリ図書館のワルツさん』。とうとう主人公は大人の女性になった。私は出版されてからしばらく手に取れなかった。私の好きだった紅玉いづきの作品ではないかもしれない。恋人や友人と傷つけ合ったり、職場や結婚に悩んだりするのは別に嫌いな物語でもないが、好きかと問われればまあ普通。面白く読めても作家の変化に寂しい気持ちになるかもしれない。実際に読んでみると、いまいち主人公のワルツさん同調できない自分がいた。作家だって歳をとる。

 この寂しい気持ちに変化が訪れたのは、『サエズリ図書館のワルツさん』を読んでしばらく経ってからだ。『サエズリ図書館のワルツさん』がコミカライズされた。ビジュアル化されたサエズリ図書館は美しい近未来の図書館で、司書のワルツさんも魅力的な女性だと改めて思った。けれどきっかけは別のところにある。作中でワルツさんがカミオさんに薦めていた本のタイトルが絵の中に映り込んだ。原作では大人の都合か、作中紹介される本のタイトルが一切でない。私はずっと気になっていた。そのタイトルは『モモ』。せっかくだから私も読んでもみた、もちろん図書館で借りてきて。

 『モモ』の主人公モモは身寄りのない女の子で、施設から逃げ出して都会のはずれにある劇場跡地に住んでいた。モモの特技は悩んでいる人の話を聞くこと。人々はモモに話をしている内に、自然と答えが見つかって晴れやかな気分になった。ゆっくりとした時間の中で生きるモモに、すべての人間から時間を奪おうと目論む時間泥棒の魔の手が伸びる。助けてくれたのは友人たちと、時間を司るマイスター・ホラ。清浄で芯の強い少女が困難に立ち向かう、そんな話だ。 

 私には自然と連想するものがあった。『モモ』のモモと、『ミミズクと夜の王』のミミズクはよく似ている。どちらも不幸な生い立ちの、芯の強い女の子。
 ワルツさんはそんな本を悩める社会人カミオさんに薦めた。ワルツさんにとってモモの物語は何か感じるものがあり、カミオさんにもきっと得るものがあると思ったのだろう。それが分かると、私の中でワルツさんを見る目が大きく変わった。ワルツさんもまた、モモやミミズクと似た過去をもっている。戦災孤児で施設に入れられ、義父となった割津義昭に引き取られた。義父の愛情と本の魅力に触れる内、今の明晰さをもつワルツさんになったのだ。そして愛する義父を亡くした。

 ワルツさんはモモでミミズクだった。『ガーデン・ロスト』の少女たちで、『青春離婚』の佐古野さんだった。不幸を背負ってなお立ち、愛情と幸福を獲得し、それを失い傷つき大人になった。不幸も幸福も経験し、傷つき挫けることがあっても、なお強く自分の意志を貫こうとするワルツさんの姿は、紅玉いづきの描いた主人公たちの到達点であり、未来への通過点でもある。ワルツさんは強い意志こそ持っているが、どこか歪さも併せ持っている。お腹の子供に絵本を読んであげたい女性に、本の一冊も譲らない。あくまで貸すだけ。自分がずるいことも分かっているが、それは元々愛する義父の本で、自分にはどうしようもないと諦めている。

 作家は歳をとる。だけどそれは変わってしまうことではなく、作家も作品もかつての自身を土台にして存在している。私はもう紅玉いづきの新しい作品を読むことに寂しさを感じたりはしないだろう。時間と経験を経て書かれたそれらを読むのは、かつて好きだった作品の続きを読むのと同義だと思ったからだ。

(高井舞香を支持)

2013.07.08

まいか
本を書くということは著者にとって、体現残したい「何か」があり、作家さんはそれを人生をかけてめいいっぱい表現されるんだなぁ、と感じました。そして、ticheeseさんが、この本についてたくさんのレビューを書いてくださることもまた強い思いを感じます。そんなたくさんのレビュー・応援を本当にありがとうございました!
さやわか
作家についてのたしかな知識に裏打ちされた、いいレビューだと思います。レビューとしては少し長いのですが、紅玉いづきという人物が『サエズリ図書館のワルツさん』という作品に至るまでの足跡をまとめようという内容としてはこのくらいあっても十分なのかもしれません。ただ長いがゆえに、前半の「作家だって歳をとる」ということについてのくだりに否定的なニュアンスが強く出過ぎているかもしれません。最後まで読むと『サエズリ図書館のワルツさん』によってそうした気持ちが解消されていくという話であるのがわかるのですが、肝心の『サエズリ図書館のワルツさん』が出てくるまでがちょっと長い。レビューの主題なので、もう少し構成を工夫して先に触れてしまうか、でなければやはりちょっと前半をカットしても読みやすいかなと思います。ということで「銅」にさせていただいております!

本文はここまでです。