上遠野浩平『あなたは虚空に夜を視る』
人類が宇宙に進出することについて
レビュアー:USB農民
「時間」と「空間」を表す文字を繋げて、宇宙と書く。それを知った当時高校生だった私は、「宇宙すげーよ、すごすぎるよ!」と友達にその話を広めて回った思い出がある。けれど、「何がすごいの?」と聞き返されることも多くて、その時は「時間と、空間が、その、ひとつの言葉で表されていて……だから、すごい!」などと愚にもつかない説明をしていたのだから、結局のところ、私は字面のかっこうよさに中てられて、「時間と空間が交差する場所……心おどるぜ!」とかなんとか、自分でも意味のわかっていない空っぽな言葉で、あたかもそこにロマンがあるかのように振る舞っていただけなのだろう。
でも、「そこ」にはロマンが転がっていることは、少なくとも今の私にとっても確かな実感を持っている。アポロ計画。月の石。クドリャフカ。はやぶさ。それらの言葉には、距離や時間を越えて今に伝わる人々の情念があると感じる。
そして、数々のフィクションで描かれた宇宙にまつわる物語たち。そこに描かれる宇宙は、ただ無機質で空虚なだけの冷たい空間ではなかった。
でもこの小説は違う。
この物語で描かれている宇宙は、本当に空っぽで、ぞっとするほど冷たくて、多くの現実やフィクションが指し示す宇宙へのロマンが、どこにもない。
現代より遙かな未来での宇宙。主人公が戦闘機ナイトウォッチで守るカプセル船は、地球を飛び立って数千年が経過しているが、未だに新天地の星へとたどり着かない。まるで宇宙空間には、ロマンも希望も欠片も存在していないといわんばかりの虚しい長旅だ。
そしてその長旅において、つまり宇宙空間に進出して数千年が経過した時代において、人類のやっていることは、基本的に現代と何も変わっていない。
虚しさにつぶされないように、夢の中で日常を作り、学校へ行き、友達を作る。恋愛をすることもあれば、行きつけのラーメン屋に立ち寄ることもある。そして現実の宇宙空間でも、人を疑い、足を引っ張り、人間同士で争いもするし、人間以外とも争いを行う。
そこには「人間なんて、どれだけ時間が経って、遠い場所へ行ったとしても、根本的なところは何も変わらないんじゃないの?」という人間観があるように思える。
本書のそうした人間観、宇宙観は、私のこれまでの宇宙に対するイメージを少しだけ更新した。
人類が宇宙に進出した時、そこに新たなロマンや希望があるのかどうか、正直なところ何とも言えない。あってほしいとは思う。
でも確かなことは、絶対真空の冷たい宇宙で人類が活動を始めた時、それはつまり、そこに人間がいるということだ。
人間が人間らしい営みを続けていくことは、おそらく、宇宙に進出したくらいでは変わらないだろう。
でも、「そこ」にはロマンが転がっていることは、少なくとも今の私にとっても確かな実感を持っている。アポロ計画。月の石。クドリャフカ。はやぶさ。それらの言葉には、距離や時間を越えて今に伝わる人々の情念があると感じる。
そして、数々のフィクションで描かれた宇宙にまつわる物語たち。そこに描かれる宇宙は、ただ無機質で空虚なだけの冷たい空間ではなかった。
でもこの小説は違う。
この物語で描かれている宇宙は、本当に空っぽで、ぞっとするほど冷たくて、多くの現実やフィクションが指し示す宇宙へのロマンが、どこにもない。
現代より遙かな未来での宇宙。主人公が戦闘機ナイトウォッチで守るカプセル船は、地球を飛び立って数千年が経過しているが、未だに新天地の星へとたどり着かない。まるで宇宙空間には、ロマンも希望も欠片も存在していないといわんばかりの虚しい長旅だ。
そしてその長旅において、つまり宇宙空間に進出して数千年が経過した時代において、人類のやっていることは、基本的に現代と何も変わっていない。
虚しさにつぶされないように、夢の中で日常を作り、学校へ行き、友達を作る。恋愛をすることもあれば、行きつけのラーメン屋に立ち寄ることもある。そして現実の宇宙空間でも、人を疑い、足を引っ張り、人間同士で争いもするし、人間以外とも争いを行う。
そこには「人間なんて、どれだけ時間が経って、遠い場所へ行ったとしても、根本的なところは何も変わらないんじゃないの?」という人間観があるように思える。
本書のそうした人間観、宇宙観は、私のこれまでの宇宙に対するイメージを少しだけ更新した。
人類が宇宙に進出した時、そこに新たなロマンや希望があるのかどうか、正直なところ何とも言えない。あってほしいとは思う。
でも確かなことは、絶対真空の冷たい宇宙で人類が活動を始めた時、それはつまり、そこに人間がいるということだ。
人間が人間らしい営みを続けていくことは、おそらく、宇宙に進出したくらいでは変わらないだろう。