山内宏泰『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』
国立西洋美術館に行ってみた
レビュアー:USB農民
この本を読んでから、実際に国立西洋美術館へ足を運んでみた。
美術はまったくわからないけれど、大きな絵を見るのは面白い。これまで美術館の感想というのは、そのくらいの言葉でしか表現できなかった。けれどこの本で西洋美術史の流れをざっと知ることができたこともあって、これならもう少し美術館という場所から得られるものも増えたのではないか、という期待があり、それが正しいかどうかを実際に確かめたかった。
本を片手に美術館に入って、まずは本にあった通りのルートを探すことから始めた。本の記述と、パンフレットの地図を交互に見ながら、彫刻の室に入った。彫刻と同じ構えで写真を取るなどの遊びをしつつ、階段を登って先へ進む。地図を読むのはいつも苦手で、どこで順路から外れればいいのか迷いつつも、本にあった通り、20世紀絵画の展示室へとたどり着いた。そこには、ピカソの絵や、本でも触れていたジョアン・ミロの《絵画》という作品などが並べられた明るい場所だ。自由闊達で、技巧的で、正直なところわけのわからない作品が多いが、じっと見ていると「この絵はこんな感じ。こっちはこういう感じ」となんとなく自分なりに租借することもできた。
続いてナビ派の絵画が展示された広い通路のような室にやってきた。ここでは、絵画について非常にラジカルな定義を提唱したと本に書いてあった、モーリス・ドニの作品が並んでいる。しかし、私が今回一番楽しみにしていた《踊る女たち》は、残念ながら展示されていなかった。美術館の常設展示では、時折展示する絵画を掛け替えているらしい。案内のお姉さんに訊いて、初めてそんなことを知った。
こんな感じに、自分が見たもの感じたことを細かく書いていこうとすると、延々と長くなりそうだ……。美術館は広い。そして、展示の数が多い。改めてそれを実感した。
『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』は、国立西洋美術館に展示されている多くの絵画について説明している良い本だけど、それでも常設展示の半分ほどでしかないのではないかと思えた。本のなかでも、そのことについて触れ、あくまで西洋美術史を簡単に追っていくツアーなのだと断りが入っていた。実際、国立西洋美術館には、本で語られていた表現技法の流れからは少し距離があると思われる、宗教画や物語画も、同じくらい多くの枚数が展示されていた。それを語るとすれば、おそらくもう一冊同じ分量の本が必要になったのではないか。宗教画と一口に言っても、キリストの伝説を描いたもの、神話を描いたもの、聖人の人物画を描いたものなど、非常にバリエーションが豊かであることに実際に足を運んでみてわかった。あまりに情報量が多くて、めまいがしそうなほどだった。
本を読んでから美術館に足を運んだことで、明確によかったと言えることが一つある。美術史にあまり詳しくない人なら、私と同様のメリットをこの本に感じるだろうと思う。
美術館は、あまりに展示数が多いために、予備知識なしに行くと非常に疲れる場所なのだ。それは、絵を楽しもうとする姿勢があればあるほどそうだと思う。初めて見る絵を楽しむことは、けっこう疲れる。隅から隅まで見て、それから全体を見て、どの部分が自分は好きか、あるいはどこに自分は引っかかりを覚えるか、一枚一枚考えていくのは骨の折れる作業だ。だから、ある程度の概略を予備知識として持って行くことは、美術館を楽しむ上で割と重要なことなのだと知った。
あと、本では午前中のみのツアーであれだけ知ることができたのだから、午後も美術館まわれば二倍知ることができるんじゃないの? と無邪気に思っていたのだが、半日も美術館を歩いたら、くたくたになって絵を見るどころではなくなりそうだった。
本を読んで、その本を片手に美術館に実際に行ってみて、色々なことを感じたし考えた。ここではあまりに書ききれない。あと、常設展ではほとんどの展示が写真撮影OKのため、気に入った作品、気になった作品は撮影して家で見返すこともできた。そこでもまた、いろいろ思うことなどもあり、楽しみののりしろが美術館はとても広い。
いや本当に、書ききることのできないことばかりで、このまま中途半端にレビューは終えるのだけど、この広い楽しみの入り口となってくれた本書にはとても感謝している。
この本がシリーズ化して、他の美術館も丁寧に案内してくれると、ますます美術館へ足を運びやすくなると思う。続編が出れば、私はきっと、また本を片手に美術館へ遊びに行くと思う。
美術はまったくわからないけれど、大きな絵を見るのは面白い。これまで美術館の感想というのは、そのくらいの言葉でしか表現できなかった。けれどこの本で西洋美術史の流れをざっと知ることができたこともあって、これならもう少し美術館という場所から得られるものも増えたのではないか、という期待があり、それが正しいかどうかを実際に確かめたかった。
本を片手に美術館に入って、まずは本にあった通りのルートを探すことから始めた。本の記述と、パンフレットの地図を交互に見ながら、彫刻の室に入った。彫刻と同じ構えで写真を取るなどの遊びをしつつ、階段を登って先へ進む。地図を読むのはいつも苦手で、どこで順路から外れればいいのか迷いつつも、本にあった通り、20世紀絵画の展示室へとたどり着いた。そこには、ピカソの絵や、本でも触れていたジョアン・ミロの《絵画》という作品などが並べられた明るい場所だ。自由闊達で、技巧的で、正直なところわけのわからない作品が多いが、じっと見ていると「この絵はこんな感じ。こっちはこういう感じ」となんとなく自分なりに租借することもできた。
続いてナビ派の絵画が展示された広い通路のような室にやってきた。ここでは、絵画について非常にラジカルな定義を提唱したと本に書いてあった、モーリス・ドニの作品が並んでいる。しかし、私が今回一番楽しみにしていた《踊る女たち》は、残念ながら展示されていなかった。美術館の常設展示では、時折展示する絵画を掛け替えているらしい。案内のお姉さんに訊いて、初めてそんなことを知った。
こんな感じに、自分が見たもの感じたことを細かく書いていこうとすると、延々と長くなりそうだ……。美術館は広い。そして、展示の数が多い。改めてそれを実感した。
『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』は、国立西洋美術館に展示されている多くの絵画について説明している良い本だけど、それでも常設展示の半分ほどでしかないのではないかと思えた。本のなかでも、そのことについて触れ、あくまで西洋美術史を簡単に追っていくツアーなのだと断りが入っていた。実際、国立西洋美術館には、本で語られていた表現技法の流れからは少し距離があると思われる、宗教画や物語画も、同じくらい多くの枚数が展示されていた。それを語るとすれば、おそらくもう一冊同じ分量の本が必要になったのではないか。宗教画と一口に言っても、キリストの伝説を描いたもの、神話を描いたもの、聖人の人物画を描いたものなど、非常にバリエーションが豊かであることに実際に足を運んでみてわかった。あまりに情報量が多くて、めまいがしそうなほどだった。
本を読んでから美術館に足を運んだことで、明確によかったと言えることが一つある。美術史にあまり詳しくない人なら、私と同様のメリットをこの本に感じるだろうと思う。
美術館は、あまりに展示数が多いために、予備知識なしに行くと非常に疲れる場所なのだ。それは、絵を楽しもうとする姿勢があればあるほどそうだと思う。初めて見る絵を楽しむことは、けっこう疲れる。隅から隅まで見て、それから全体を見て、どの部分が自分は好きか、あるいはどこに自分は引っかかりを覚えるか、一枚一枚考えていくのは骨の折れる作業だ。だから、ある程度の概略を予備知識として持って行くことは、美術館を楽しむ上で割と重要なことなのだと知った。
あと、本では午前中のみのツアーであれだけ知ることができたのだから、午後も美術館まわれば二倍知ることができるんじゃないの? と無邪気に思っていたのだが、半日も美術館を歩いたら、くたくたになって絵を見るどころではなくなりそうだった。
本を読んで、その本を片手に美術館に実際に行ってみて、色々なことを感じたし考えた。ここではあまりに書ききれない。あと、常設展ではほとんどの展示が写真撮影OKのため、気に入った作品、気になった作品は撮影して家で見返すこともできた。そこでもまた、いろいろ思うことなどもあり、楽しみののりしろが美術館はとても広い。
いや本当に、書ききることのできないことばかりで、このまま中途半端にレビューは終えるのだけど、この広い楽しみの入り口となってくれた本書にはとても感謝している。
この本がシリーズ化して、他の美術館も丁寧に案内してくれると、ますます美術館へ足を運びやすくなると思う。続編が出れば、私はきっと、また本を片手に美術館へ遊びに行くと思う。