キヨミズ准教授の法学入門
ルールに流されないために
レビュアー:ticheese
『キヨミズ准教授の法学入門』は刑法や民法、独占禁止法や著作権法などの世の法律を要点を絞って教えてくれる本ではありません。もっと抽象的に法の概念や法解釈の方法などから、法律の使い方や考え方を身につけさせてくれる本です。
私は法律家でも法律家志望でもなく、これから裁判に出たりで法律に直接触れる機会などないという人でも、この本は読んで損にはなりません。法律とは単純にルールと言い換えても構わないのです。本の中でキヨミズ准教授が高校の文化祭実行委員会規約について学生たちと話し合ったように、私たちの身の回りにある職場や地域のルール、または参加するゲームのルールを使いこなし、ルールについて考えられる力を身につけられれば、必ずどこかで立つはずです。
ではせっかくだから実践してみましょう。私も『キヨミズ准教授の法学入門』で得たルールについての考え方を、とあるゲームのルールに照らし合わせて使ってみます。
そのゲームは、『さやわかの星海社レビュアー騎士団(以下SywkSRK)』です。
一応説明をしましょう。『SywkSRK』とは、刊行物をはじめウェブサイトに掲載されたあらゆる作品、イベントや店頭販促物を含む星海社のすべての活動についてのレビューを、読者閲覧者参加者利用者(総じて消費者)たちが書いて送るコーナーです。レビューの質に応じて得点がもらえ、その合計いかんでは褒賞がもらえます。
この説明文は『SywkSRK』のルールを記載するページから、ちょいとまとめたものです。法学的に考えるなら「法源」、しっかり明記された権威的存在で、ルールの源です。まずこの説明文を第一に考えねばなりません。
さてこのルールを考える上で、一つの問題が発生しました。星海社から刊行された小説『マージナル・オペレーション(以下マジオペ)』がコミカライズされたのです。めでたいですね。ただ、そのコミカライズが掲載された先は月刊アフタヌーン。講談社から発行されている雑誌です。果たして『マジオペ』のコミカライズは星海社の活動に含まれるのか? レビューを書いて『SywkSRK』に送ってもいいのか?
とりあえずは星海社編集の平林さんの見解を答えとしましょう。平林「原作と絡めて書くならOK」つまりコミカライズ単体のレビューでは『SywkSRK』のルールに反するようです。直感に頼らず、ルールに照らし合わせて判断するこの方法を「法的三段論法」といいます。
しかしさらにこの問題、考える余地が発生します。しばらく経って『マジオペ』のコミカライズ第一話が、星海社のウェブサイト『最前線』に掲載されたのです。「法源」には「ウェブサイトに掲載された作品はレビューの対象」とあります。さてどうなのでしょう? これはまだ平林さんに答えてもらってはいません。訊ねればすぐ答えてくれるかもしれませんが、それではあまりに芸がないので法学的にルールを検証してみましょう。
平林さんがOKを出すにしろNOを出すにしろ、この問題には「法解釈」が絡んできます。「法解釈」とは法律の文章をどう読み解くか考えることです。ルールの「法源」では「ウェブサイトに掲載された作品」とありますが、『マジオペ』のコミカライズは果たして「作品」なのでしょうか? 『最前線』は星海社の作品の全文掲載を旨としています。第一話だけ掲載された『マジオペ』のコミカライズは「作品」ではなく、「宣伝」なのではないでしょうか。
かつて『最前線』では『最前線セレクションズ』というコーナーがありました。星海社の編集者や作家がおすすめの本や映画などを紹介するコーナーです。中には『ドグラ・マグラ』などの昔の名作小説なども紹介されましたが、『ドグラ・マグラ』はまず間違いなく星海社の刊行物ではないでしょう。これはあくまで「宣伝」であって、紹介文を「(星海社の)作品」とすることはできても、『ドグラ・マグラ』自体を「(星海社の)作品」とすることは出来ません。
同じように、『マジオペ』のコミカライズも月刊アフタヌーンに掲載されている作品の「宣伝」だと解釈することで、『SywkSRK』のレビュー対象とはならなくなります。
逆にこれを、いや第一話が全部掲載されたのなら、それは「宣伝」ではなく「作品」の掲載だと言えるかもしれません。全文掲載を旨とする『最前線』も以前に『ビアンカ・オーバースタディ(以下ビアンカ)』で第一話とあとがきのみの掲載をやっている。『ビアンカ』は星海社の「作品」としてレビュー対象になっているじゃないか。過去の「法解釈」を引き合いに出し、良い「法解釈」を探すのも法学の考え方です。
このように考えに考えてみても結局私では答えは出せないのですが、いざ平林さんに訊いてみる際に、ただ単に答えを待つのではなく、自らの「法解釈」を交えて話せば、何かが変わる可能性があるのかもしれません。変わらなくても法学的に考えて答えが明白なら、わざわざ質問する手間も省けるというものです。
『キヨミズ准教授の法学入門』が教えてくれるのは、私たちが法律やあらゆるルールに流されず、むしろ逆に利用する発想とそのための思考法でした。
最後にちょっとだけ蛇足を失礼。『SywkSRK』の『第三回騎士號争奪戦二代目姫決定戦』が第四場をもって終結だそうですが、「法源」では騎士號争奪戦の終了の条件は全十二場が完了するか、三人以上が騎士の称号を持つ状態になる、とあります。『二代目姫決定戦』は特別であるなんて明記されてはいないのですが、これは「法源」の導き方の一つ、「慣習」からきているものでしょうか。あくまで『SywkSRK』は星海社の企画なので、ルールの改変は勝手に行えるとする「慣習」。「近代法」の考え方を思うとちょっと悔しいので、今後はしっかり明記してほしいものです。
(高井舞香を支持)
私は法律家でも法律家志望でもなく、これから裁判に出たりで法律に直接触れる機会などないという人でも、この本は読んで損にはなりません。法律とは単純にルールと言い換えても構わないのです。本の中でキヨミズ准教授が高校の文化祭実行委員会規約について学生たちと話し合ったように、私たちの身の回りにある職場や地域のルール、または参加するゲームのルールを使いこなし、ルールについて考えられる力を身につけられれば、必ずどこかで立つはずです。
ではせっかくだから実践してみましょう。私も『キヨミズ准教授の法学入門』で得たルールについての考え方を、とあるゲームのルールに照らし合わせて使ってみます。
そのゲームは、『さやわかの星海社レビュアー騎士団(以下SywkSRK)』です。
一応説明をしましょう。『SywkSRK』とは、刊行物をはじめウェブサイトに掲載されたあらゆる作品、イベントや店頭販促物を含む星海社のすべての活動についてのレビューを、読者閲覧者参加者利用者(総じて消費者)たちが書いて送るコーナーです。レビューの質に応じて得点がもらえ、その合計いかんでは褒賞がもらえます。
この説明文は『SywkSRK』のルールを記載するページから、ちょいとまとめたものです。法学的に考えるなら「法源」、しっかり明記された権威的存在で、ルールの源です。まずこの説明文を第一に考えねばなりません。
さてこのルールを考える上で、一つの問題が発生しました。星海社から刊行された小説『マージナル・オペレーション(以下マジオペ)』がコミカライズされたのです。めでたいですね。ただ、そのコミカライズが掲載された先は月刊アフタヌーン。講談社から発行されている雑誌です。果たして『マジオペ』のコミカライズは星海社の活動に含まれるのか? レビューを書いて『SywkSRK』に送ってもいいのか?
とりあえずは星海社編集の平林さんの見解を答えとしましょう。平林「原作と絡めて書くならOK」つまりコミカライズ単体のレビューでは『SywkSRK』のルールに反するようです。直感に頼らず、ルールに照らし合わせて判断するこの方法を「法的三段論法」といいます。
しかしさらにこの問題、考える余地が発生します。しばらく経って『マジオペ』のコミカライズ第一話が、星海社のウェブサイト『最前線』に掲載されたのです。「法源」には「ウェブサイトに掲載された作品はレビューの対象」とあります。さてどうなのでしょう? これはまだ平林さんに答えてもらってはいません。訊ねればすぐ答えてくれるかもしれませんが、それではあまりに芸がないので法学的にルールを検証してみましょう。
平林さんがOKを出すにしろNOを出すにしろ、この問題には「法解釈」が絡んできます。「法解釈」とは法律の文章をどう読み解くか考えることです。ルールの「法源」では「ウェブサイトに掲載された作品」とありますが、『マジオペ』のコミカライズは果たして「作品」なのでしょうか? 『最前線』は星海社の作品の全文掲載を旨としています。第一話だけ掲載された『マジオペ』のコミカライズは「作品」ではなく、「宣伝」なのではないでしょうか。
かつて『最前線』では『最前線セレクションズ』というコーナーがありました。星海社の編集者や作家がおすすめの本や映画などを紹介するコーナーです。中には『ドグラ・マグラ』などの昔の名作小説なども紹介されましたが、『ドグラ・マグラ』はまず間違いなく星海社の刊行物ではないでしょう。これはあくまで「宣伝」であって、紹介文を「(星海社の)作品」とすることはできても、『ドグラ・マグラ』自体を「(星海社の)作品」とすることは出来ません。
同じように、『マジオペ』のコミカライズも月刊アフタヌーンに掲載されている作品の「宣伝」だと解釈することで、『SywkSRK』のレビュー対象とはならなくなります。
逆にこれを、いや第一話が全部掲載されたのなら、それは「宣伝」ではなく「作品」の掲載だと言えるかもしれません。全文掲載を旨とする『最前線』も以前に『ビアンカ・オーバースタディ(以下ビアンカ)』で第一話とあとがきのみの掲載をやっている。『ビアンカ』は星海社の「作品」としてレビュー対象になっているじゃないか。過去の「法解釈」を引き合いに出し、良い「法解釈」を探すのも法学の考え方です。
このように考えに考えてみても結局私では答えは出せないのですが、いざ平林さんに訊いてみる際に、ただ単に答えを待つのではなく、自らの「法解釈」を交えて話せば、何かが変わる可能性があるのかもしれません。変わらなくても法学的に考えて答えが明白なら、わざわざ質問する手間も省けるというものです。
『キヨミズ准教授の法学入門』が教えてくれるのは、私たちが法律やあらゆるルールに流されず、むしろ逆に利用する発想とそのための思考法でした。
最後にちょっとだけ蛇足を失礼。『SywkSRK』の『第三回騎士號争奪戦二代目姫決定戦』が第四場をもって終結だそうですが、「法源」では騎士號争奪戦の終了の条件は全十二場が完了するか、三人以上が騎士の称号を持つ状態になる、とあります。『二代目姫決定戦』は特別であるなんて明記されてはいないのですが、これは「法源」の導き方の一つ、「慣習」からきているものでしょうか。あくまで『SywkSRK』は星海社の企画なので、ルールの改変は勝手に行えるとする「慣習」。「近代法」の考え方を思うとちょっと悔しいので、今後はしっかり明記してほしいものです。
(高井舞香を支持)