ここから本文です。

読者レビュー

銅

ビアンカ・オーバースタディ

メタラノベとしての読み方が一例

レビュアー:ticheese Warrior

 【誰か続編を書いてはくれまいか。】
 あとがきにて、筒井康隆はそう読者に投げかけた。
 ずいぶん軽い物言いで冗談に聞こえるが、この作品『ビアンカ・オーバースタディ』を読むと、誰かが本当に書いてしまえそうにも思えてしまう。
 それくらいこの作品は土台と枠組みがしっかりしていた。

 【見られている。 でも、気がつかないふりをしていよう。】から続く話の始まりはたいてい同じ。階段で生物学教室隣の実験室まで上がるビアンカのシーンで始まる。階段の周りでは男子がビアンカの短いスカートの中を覗き見ていて、実験室の前には文芸部の塩崎哲也が座り込んでビアンカを待っている。
 登場人物の描写も、主たるメンバーはきっちりきっかり定型文で行なわれる。【一年下の文芸部の潮崎哲也。可愛いやつだ。この高校でわたしがいちばん可愛いやつと思っている男子だ。】【沼田耀子はわたしと同学年で、背が高くて美しく、その美しさといったらまるで悪魔みたいで、この高校でいちばん可愛いのはビアンカ北町だが、いちばん美しいのは沼田耀子だと言われたるするくらいの美しさなのだ。】これが三回四回と繰り返される。

 たいてい続巻が出るとされるライトノベルで、巻数を重ねることで規定されるキャラクター性が、『ビアンカ・オーバースタディ』ではたった一冊190ページあまりで固められてしまう。分かることは少ないが、逆に言えば定型から大きく外れなければ潮崎哲也は潮崎哲也で、沼田耀子は沼田耀子になってしまう。同じように【見られている。 でも、気がつかないふりをしていよう。】から続く定型で始まれば、たとえ著者が別人でも読者は『ビアンカ・オーバースタディ』の続きか、とまずは解釈するだろう。

 筒井康隆がこの作品でやったことで私が1番すごいと思ったのは、物語を動かすゲーム板と駒の造形を、丁寧かつシンプルに作り込んだことだ。早い話が●が三つくっつけば某ネズミのキャラクターになるように、優れたデザインは簡単に消費者にイメージを固めさせ、余計な描写を必要としなくなる。発刊ペースの早いライトノベルで、大量生産のききやすい定型の作成は、生産力に直結してくる。
 誰かが本当に(続編を)書いてしまえそう、それはSF小説の大家がみせた物語作りの神髄の一つだったと私は思う。


(高井舞香を支持)

2013.07.08

まいか
筒井さんは、作家として有名である一方、関西の深夜番組に出演し、その博識ぶりを毎週驚かされていました!レビューでも書かれている通り、あとがきで「誰か続編を書いてはくれまいか。」と投げかけている筒井さんがこの物語を書いたときはすでに77歳という高齢であり、残念なことに続編を書く根気がなくなったと述べられています。次回作書いてもいいようなので私が書いてみようかな(笑
さやわか
コンパクトにまとまっていて、読みやすいレビューですね。個人的には最後の「SF小説の大家がみせた物語作りの神髄の一つだった」という堂々たる主張が好きです。レビュー全体の流れがうまくいっていると、このくらい派手なことを書いても自然に読めてしまうものですね。「銅」とさせていただきました。「銀」でない理由としては、ライトノベルについての筆者なりの理解がちょっとわかりにくいように思える部分があったからです。たとえばライトノベルについて「巻数を重ねることで規定されるキャラクター性」と書かれていますが、だとするとライトノベルは一冊目では一般にどんなキャラクターなのかはっきりしないということでしょうか。しかし続刊が(出すつもりであっても結果的に)出ない作品もあるわけで、ちょっと具体的な根拠がほしいところです。また、筒井康隆が同じモノローグを何度も繰り返して書いたからキャラクター性がはっきりしたというのも同様で、ちょっと理由がはっきりほしい部分かなと思います。そのへんをうまくまとめると「銀」を狙えると思います!

本文はここまでです。