ビアンカ・オーバースタディ
スペルマの香り
レビュアー:Panzerkeil
「ビアンカ・オーバースタディ」は筒井康隆の手になるライトノベル。イラストは「涼宮ハルヒの憂鬱」等で人気のいとうのいぢが担当しており、帯には「文学史上の一大事件を読撃せよ」とある。これはまさに一大事件。最初に作品についてアナウンスがあったときは非常に興奮したのを覚えている。
実際のところ、ライトノベルという小説の定義ははっきりしていない。ライトノベルを出している出版社から出ているのがライトノベルであるという、トートロジーじみた話があるくらいだが、イラストといった視覚的要素を重視し、キャラクターを中心に組み立てられた、若年層向けの小説という定義は、比較的妥当なところだろう。
ライトノベルという言葉が、定着してから活躍した作家、吉岡平は「マンガやアニメを文字にしたもの」と言っていた。これもまた一面を衝いていると思う。吉岡は多くのプロを輩出した早稲田大学漫画研究会の出身であった。
自分は、更にライトノベルの要素としてある種のエロティシズムも付け加えたい。ライトノベルには多くの場合、美少女が登場する。主人公であったり、脇役だったりするが、容姿や肉体、そして性格に魅力的な性的特徴があるのが普通である。しかし、それが具体的な性描写に繋がる事が殆ど無いのも特徴であると言える。
図書館学においては、ライトノベルではなくヤングアダルトという言葉が使われるそうだが、そのアダルトには以上のようなニュアンスが込められているようにも感じる。
さて、これが筒井康隆にどう繋がるのか?
筒井康隆は多くのジャンルに挑戦し、戦いつづけてきた、日本文学界の巨人であるというのは確かである。人によって好き嫌いはあるだろうが、自分にとっては巨匠以外の何ものでもない。そして筒井康隆はライトノベルの先駆者であると、少なくとも私は考える。
先にも述べたように、ライトノベルの定義は曖昧だが、そのルーツを辿れば、青少年向けの小説である、いわゆるジュビナイルから派生したのは、ほぼ間違いない。例えばジュビナイルの定番だったソノラマ文庫はライトノベルの時代にまでシームレスに続いていた。
筒井康隆はこのジャンルでも多くの作品を残しており、代表作である「時をかける少女は」いまだに読み継がれているだけでなく、NHKの少年ドラマシリーズで当時の子供を夢中にさせた伝説の作品となり、劇場映画化されただけでなく、最近では劇場アニメにもなって、その人気は衰えをみせない。
これら筒井康隆のジュビナイルは明らかにライトノベル的な特徴を持っている。筒井康隆は言葉を非常に大切にする作家であるが、視覚的要素の重要性をこれほど理解している小説家はかつていなかった。
ライトノベルとマンガやアニメは近い存在であるが、筒井康隆はマンガに造詣が深く、自分でも実作しているし、アニメに関して言えば、創成期のTVアニメ業界でシナリオライターを務めたパイオニアでもあるのだ。比較的最近でも、女子中学生の一人称で進行する「わたしのグランパ」はジュビナイルあるいはライトノベル的要素の濃厚な作品である。
その筒井康隆がライトノベルを書く!と宣言して発表されたのがこの作品である。言わばライトノベルの元祖によるライトノベルである。どんな作品なのか興奮しない訳が無い。
喜寿を迎えられた作家の萌え小説だから、懸念がなかった訳ではないが、しかし、それは良い意味で裏切られた。
当然ながら、このラノベにも美少女が登場する、主人公のビアンカだ。登場する美少女は彼女だけではなく、おのおのタイプも異なるというのもまたラノベらしい要素である。
ライトノベルの、文章と並んでもう一方の柱である、カラーイラストで描かれた少女達は、非常に可愛らしい。いとうのいぢのイラスト担当は、聴くところによると筒井康隆自身の発案によるという。
物語の構造は「時をかける少女」に似ているが、これはライトノベルのルーツを意識しての事だと思われる。もっとも、いとういのぢのイラストで未来人とくれば、涼宮ハルヒの憂鬱を思い出す人も多いと思うが、これも狙っての事だろう。
エロティシズムに関して言えば、このラノベは美少女達の過激な魅力に加えて、非常に過激である。というか、この点は多くの人が驚くに違いない。何しろ全ての章に「スペルマ(精子)」という言葉が含まれているのだが、それはヒロインである生物部員ビアンカの興味の対象が精子であるからだ。
最初はウニの生殖細胞を研究材料にしていたが、ついには男子生徒を始めとする男性からの精液の採取までに至る。そしてそれがどんどんエスカレートしていく。最後はそれがSF的展開によって人類の命運を左右する事件にまで発展する。
しかしながら、どんな状況でも可愛らしい女の子達が、危険な状況に陥っても、リアルな性行為とは全く無縁であるのもライトノベルらしいと言えるだろう。
特に性と言っても、それはむしろ生殖と称した方が良さそうな、緻密な科学的描写に裏付けされているので、不思議にいやらしさとは無縁である。この辺りはSF作家筒井康隆の真骨頂と言えるのではないか。これは本当に凄い!こんなラノベは読んだことがない!これははっきり断言できる。
以上、ライトノベルとして非常に堪能できたのであるが、読んでいる最中に、作品中での筒井康隆の皮肉もまた強く感じた。これは筒井康隆が、自ら面白いライトノベルを実作するというだけでなく、現在のライトノベルに対する批判もまた含めているからだと思う。
ビアンカを始めとする少女達は、性的には全く安全だが、常識的に考えたら非常に不自然でもある。これは登場する男子が、女子と比べて余りに元気が無いからだ。
ビアンカは自分の美しさが男性の欲望の対象である事を覚悟していて、いざという時に、安全を確保するためコンドームを持ち歩いている、しかし、結局、それは杞憂に終わっている。総じて、多くのラノベで女性キャラに対して男性キャラの元気が無いのはその通り。
唯一元気の良かった、若いヤクザも、登場人物の一人である美少女に、カミソリで精巣をサンプルとして切り取られてしまう。彼がその後どうなったのか男性として気になりますな。
実際のところ、ライトノベルという小説の定義ははっきりしていない。ライトノベルを出している出版社から出ているのがライトノベルであるという、トートロジーじみた話があるくらいだが、イラストといった視覚的要素を重視し、キャラクターを中心に組み立てられた、若年層向けの小説という定義は、比較的妥当なところだろう。
ライトノベルという言葉が、定着してから活躍した作家、吉岡平は「マンガやアニメを文字にしたもの」と言っていた。これもまた一面を衝いていると思う。吉岡は多くのプロを輩出した早稲田大学漫画研究会の出身であった。
自分は、更にライトノベルの要素としてある種のエロティシズムも付け加えたい。ライトノベルには多くの場合、美少女が登場する。主人公であったり、脇役だったりするが、容姿や肉体、そして性格に魅力的な性的特徴があるのが普通である。しかし、それが具体的な性描写に繋がる事が殆ど無いのも特徴であると言える。
図書館学においては、ライトノベルではなくヤングアダルトという言葉が使われるそうだが、そのアダルトには以上のようなニュアンスが込められているようにも感じる。
さて、これが筒井康隆にどう繋がるのか?
筒井康隆は多くのジャンルに挑戦し、戦いつづけてきた、日本文学界の巨人であるというのは確かである。人によって好き嫌いはあるだろうが、自分にとっては巨匠以外の何ものでもない。そして筒井康隆はライトノベルの先駆者であると、少なくとも私は考える。
先にも述べたように、ライトノベルの定義は曖昧だが、そのルーツを辿れば、青少年向けの小説である、いわゆるジュビナイルから派生したのは、ほぼ間違いない。例えばジュビナイルの定番だったソノラマ文庫はライトノベルの時代にまでシームレスに続いていた。
筒井康隆はこのジャンルでも多くの作品を残しており、代表作である「時をかける少女は」いまだに読み継がれているだけでなく、NHKの少年ドラマシリーズで当時の子供を夢中にさせた伝説の作品となり、劇場映画化されただけでなく、最近では劇場アニメにもなって、その人気は衰えをみせない。
これら筒井康隆のジュビナイルは明らかにライトノベル的な特徴を持っている。筒井康隆は言葉を非常に大切にする作家であるが、視覚的要素の重要性をこれほど理解している小説家はかつていなかった。
ライトノベルとマンガやアニメは近い存在であるが、筒井康隆はマンガに造詣が深く、自分でも実作しているし、アニメに関して言えば、創成期のTVアニメ業界でシナリオライターを務めたパイオニアでもあるのだ。比較的最近でも、女子中学生の一人称で進行する「わたしのグランパ」はジュビナイルあるいはライトノベル的要素の濃厚な作品である。
その筒井康隆がライトノベルを書く!と宣言して発表されたのがこの作品である。言わばライトノベルの元祖によるライトノベルである。どんな作品なのか興奮しない訳が無い。
喜寿を迎えられた作家の萌え小説だから、懸念がなかった訳ではないが、しかし、それは良い意味で裏切られた。
当然ながら、このラノベにも美少女が登場する、主人公のビアンカだ。登場する美少女は彼女だけではなく、おのおのタイプも異なるというのもまたラノベらしい要素である。
ライトノベルの、文章と並んでもう一方の柱である、カラーイラストで描かれた少女達は、非常に可愛らしい。いとうのいぢのイラスト担当は、聴くところによると筒井康隆自身の発案によるという。
物語の構造は「時をかける少女」に似ているが、これはライトノベルのルーツを意識しての事だと思われる。もっとも、いとういのぢのイラストで未来人とくれば、涼宮ハルヒの憂鬱を思い出す人も多いと思うが、これも狙っての事だろう。
エロティシズムに関して言えば、このラノベは美少女達の過激な魅力に加えて、非常に過激である。というか、この点は多くの人が驚くに違いない。何しろ全ての章に「スペルマ(精子)」という言葉が含まれているのだが、それはヒロインである生物部員ビアンカの興味の対象が精子であるからだ。
最初はウニの生殖細胞を研究材料にしていたが、ついには男子生徒を始めとする男性からの精液の採取までに至る。そしてそれがどんどんエスカレートしていく。最後はそれがSF的展開によって人類の命運を左右する事件にまで発展する。
しかしながら、どんな状況でも可愛らしい女の子達が、危険な状況に陥っても、リアルな性行為とは全く無縁であるのもライトノベルらしいと言えるだろう。
特に性と言っても、それはむしろ生殖と称した方が良さそうな、緻密な科学的描写に裏付けされているので、不思議にいやらしさとは無縁である。この辺りはSF作家筒井康隆の真骨頂と言えるのではないか。これは本当に凄い!こんなラノベは読んだことがない!これははっきり断言できる。
以上、ライトノベルとして非常に堪能できたのであるが、読んでいる最中に、作品中での筒井康隆の皮肉もまた強く感じた。これは筒井康隆が、自ら面白いライトノベルを実作するというだけでなく、現在のライトノベルに対する批判もまた含めているからだと思う。
ビアンカを始めとする少女達は、性的には全く安全だが、常識的に考えたら非常に不自然でもある。これは登場する男子が、女子と比べて余りに元気が無いからだ。
ビアンカは自分の美しさが男性の欲望の対象である事を覚悟していて、いざという時に、安全を確保するためコンドームを持ち歩いている、しかし、結局、それは杞憂に終わっている。総じて、多くのラノベで女性キャラに対して男性キャラの元気が無いのはその通り。
唯一元気の良かった、若いヤクザも、登場人物の一人である美少女に、カミソリで精巣をサンプルとして切り取られてしまう。彼がその後どうなったのか男性として気になりますな。