僕たちのゲーム史
ゲームをしている。
レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン
そんなにゲームをがっつりやってきたわけではないけれど、本の背表紙がドット文字なのと、タイトルの「僕たち」というのが気になった。
「僕の」でないのはなぜなのか。
著者は「ボタンを押すと反応すること」と「物語をどのように扱うか」の2つを軸に、これまでのゲームの歴史をざっくり描こうと試みた。
昔流行っていた曲を聴くと、当時のことを思い出したりする。この本で目にした懐かしいゲームのタイトルはそんな風に僕に過去を思い出させた。実は結構ゲームやってたんだなと気づく。
従兄とやった「マリオ」。弟のセーブデータ消した「ドラクエ」。友達とやった「ストII」。家族で汗だくになった「ダンスダンスレボリューション」。いつの間にか朝になってた「ひぐらし」。
ああそうか、この本はゲームで育った人たちの、「僕たちの」これまでを振り返る本なんだ。
「ボタン」と「物語」でテーマを絞ってゲームの海に網を張る。網にかかったゲームたちは不思議と「これまで」と「これから」を語る上での点になり、それを漁師である著者は、歴史として、ゲーム史として並べてゆく。
海外のゲーム事情が大変興味深かった。
国によって評価される作品や支持されるジャンルが違うのは当たり前だ。その傾向がざっくり分かるだけで「ゲーム」という物の見方や、その国の見方が変わってくる。
ハードに施せる技術、ネット等の環境、ソフトのコストやリリースのタイミング、すべてが重なって、その国独自の「ゲーム文化」が立ち上がっていく。
例えば、自分なら「ドット文字」を見ただけで、言いようのない懐かしさを感じてしまうし、お気に入りのバンドがよく使うファミコンっぽい電子音がたまらなく好きだったりする。
ゲームだけではなく、グラフィックデザインや、音楽、ファミコンに勢いよく息を吹きかける(定番のあるあるネタ)といったことまでが「文化」として根強く残っている。セガサターンのコスプレなんてのをする人もいるとか(笑)。
ところで、僕は今ゲームをしている。このゲームは「コミュニケーション」に重きを置いた「レビューを送る」ゲームで、さっきから僕は、キーボードという「ボタン」を連打している。結果として誰かの「物語」に関わり、良い影響を与えると願って「ボタン」を押している。
僕は今ゲームをしている。
君もそれに参加している。
「僕の」でないのはなぜなのか。
著者は「ボタンを押すと反応すること」と「物語をどのように扱うか」の2つを軸に、これまでのゲームの歴史をざっくり描こうと試みた。
昔流行っていた曲を聴くと、当時のことを思い出したりする。この本で目にした懐かしいゲームのタイトルはそんな風に僕に過去を思い出させた。実は結構ゲームやってたんだなと気づく。
従兄とやった「マリオ」。弟のセーブデータ消した「ドラクエ」。友達とやった「ストII」。家族で汗だくになった「ダンスダンスレボリューション」。いつの間にか朝になってた「ひぐらし」。
ああそうか、この本はゲームで育った人たちの、「僕たちの」これまでを振り返る本なんだ。
「ボタン」と「物語」でテーマを絞ってゲームの海に網を張る。網にかかったゲームたちは不思議と「これまで」と「これから」を語る上での点になり、それを漁師である著者は、歴史として、ゲーム史として並べてゆく。
海外のゲーム事情が大変興味深かった。
国によって評価される作品や支持されるジャンルが違うのは当たり前だ。その傾向がざっくり分かるだけで「ゲーム」という物の見方や、その国の見方が変わってくる。
ハードに施せる技術、ネット等の環境、ソフトのコストやリリースのタイミング、すべてが重なって、その国独自の「ゲーム文化」が立ち上がっていく。
例えば、自分なら「ドット文字」を見ただけで、言いようのない懐かしさを感じてしまうし、お気に入りのバンドがよく使うファミコンっぽい電子音がたまらなく好きだったりする。
ゲームだけではなく、グラフィックデザインや、音楽、ファミコンに勢いよく息を吹きかける(定番のあるあるネタ)といったことまでが「文化」として根強く残っている。セガサターンのコスプレなんてのをする人もいるとか(笑)。
ところで、僕は今ゲームをしている。このゲームは「コミュニケーション」に重きを置いた「レビューを送る」ゲームで、さっきから僕は、キーボードという「ボタン」を連打している。結果として誰かの「物語」に関わり、良い影響を与えると願って「ボタン」を押している。
僕は今ゲームをしている。
君もそれに参加している。