ここから本文です。

読者レビュー

銅

壜詰病院

詰め切れなかったあの空気

レビュアー:ticheese Warrior

 壜詰病院はまず星海社ラジオ騎士団の1コーナーとして配信された。番組初めてのゲスト佐藤友哉が書き下ろし、パーソナリティーの古木のぞみが朗読する。番組自体がにぎやかで、和気あいあいとした空気で進む中、死の臭いに満ちた壜詰病院は一種の重石の役割を果たしていた。それまで同じくパーソナリティーである平林緑萌とさやわかに、散々にツッコミを入れられトークの拙さを弄られる古木のぞみが、朗読が流れ終わると声で演じる技能を持った一人の仕事人として扱われる。ぐずついた空気は一新し、古木のぞみも声優の面目躍如で勢いを取り戻す。
 私はこの朗読終わりの空気が好きだった。パーソナリティー三人が溜めていた息を吐き出し、一体となって一つの作品について語りだす。そこには若輩と人生の先輩の垣根はなく、ただ楽しいラジオ番組が再び動き始める。
 今はもうラジオドラマとしての壜詰病院は終了し、朗読CDにパッケージングされて販売されている。私の手元にも一枚ある。だがそこに、作品を語り合った三人の声はない。1話1話の終わりに息をつき、和む時間は存在しない。代わり流れるのは壜詰病院の結末の物語。番組では最後の2話を流していない。重石は重石のままであるのだろうか。それとも晴れやかなエンディングを迎えるのか。
 あえて内容を語りはしないが、もしあの三人がエンディングを一緒に聞き終えたなら、今までのどの回よりも暖かな空気で感想を語り合ってくれるだろう。私はそう信じている。

2013.06.22

まいか
姫としても声優としても大先輩の、のぞみ姫!私もラジオを聴きながらそのプロの凄さを感じていました。
さやわか
テレビ番組でも音楽のライブでもそうですが、特定の場所や期間でないと楽しめないものについて、レビューを書くのはなかなか難しいものです。もちろん一回限りの体験は貴重なもので、このレビューもそこに熱意が込められている。だからここでは「銅」といたしました。しかし、その体験こそが重要であるという言い方は、レビューとしてはかなり強力なのですが、ちょっと強力すぎる面もあるのですよ。「経験した者にしかそれはわからない。経験すれば分かる」という態度は、「経験しない」という態度を単純に切り捨てることを可能にしてしまう。たとえば大人が「あの時代の作品のことは、あの時代を生きていた奴でないとわからないよ~」などと言っているのを聞いて「そんなの無理に決まってるじゃん」と思ったことはありませんか? こういう話し方というのは、体験の価値を上げるために、体験できないことの評価を下げているわけです。でもそうやって経験した人だけを特権化すると、そもそもパッケージというもの自体の価値を認めない姿勢に近づいてしまうように思うのですが、いかがでしょうか?

本文はここまでです。