さやわかの星海社レビュアー騎士団
レビューのすすめ
レビュアー:鳩羽
ひとそれぞれ書き方のスタンスはあれど、レビューとは、まず正直なのがいいような気がする。
倒置法とか体言止めとか短文の繰り返しを多用しては、ちょっとかっこつけすぎちゃったかなと、ひとり赤面したり。自分の知識のなさや理解の浅さをさらけ出してしまう恥ずかしさとともに、それでも心をひらこうとすること。
たとえば、ここに一冊の本があるとする。
まずそこには作品自体の持つ「おもしろさ」がある。登場人物の喜怒哀楽だったり、ストーリーの起伏だったり、リズムのある文体だったり、とにかく読んでおもしろいなと思い、先をずっと読んでいきたいと思う気持ちだ。
次に、作品を解釈する「おもしろさ」がくる。解釈とは、外国語を訳す作業に似ている。長くて複雑な文章を翻訳することもあれば、単語ひとつひとつの意味を調べてそれで内容をつかまえることだってできる。
作品で感じた疑問、あるいはこの共感は一体どこからきたのだろう? 同じ辞書を使っているわけではないので、当然、ひとそれぞれ異なった訳文ができあがる。
最後に、作品から出てきたもの、自然に出てきた感想や自分で引き出した解釈を誰かと伝え合ったりする「おもしろさ」がある。感想を言い合ったり、文章を書いてどこかに発表したり、読書会やビブリオバトル、それが発展すれば本屋大賞や大学読書人大賞というような賞の設立につながったりもする。
知らないひとといきなり個人的な話をするのは難しいが、作品の話ならば結構できるのではないだろうか。天気や野球の話とにたようなもので、敷居は低く、奥は深い。
レビュアー騎士団の気楽なところは、星海社に関係していれば対象がなんでもいいところだ。出版されたものに限らず、イベントでもいいし、企画そのものにでもいいし、全体についてでもいいし、一部についてでもいい。そして字数も自由である。
さらに、論理性や発展性よりも、愛情が最上位の採点基準なのだから、レポートや書評を書くのだという気負いはいらない。愛情のほとばしるまま、感情のおもむくままにがつがつと書けばそれがおもしろい。
何より、わたしが一番うれしく思うのは、団長や姫候補がコメントや講評を返してくれることだ。文章をただ書いて発表するだけならいくらでもできるが、プロの方が素人の書いた文章を読んでコメントを返してくれる! というのがすごい。しかも、自分でもこの展開は強引かな、支離滅裂だな、ちょっと冗長だったかなというところを的確に指摘される。痛い。だが、それが気持ちいい。
丁寧に読まれたなら、丁寧に書こうと思う。そして丁寧に作品を読みたいと思う。
どう取りつくろったところで、結局自分の嗜好や知性が露わになってしまう(もしかすると自分語りをする以上に)のがレビューなのかもしれない。けれど、この痛気持ちいいのにはまってしまうと、ついつい次の〆切をチェックするようになること、間違いなしである。
まずはノリで書いて出してみて、この愉しみを体験してみてはどうだろうか。
ちなみに私は、10点くらいなら頑張れば届くかな~という、一冊の本の褒賞目当てレビュアーである。
倒置法とか体言止めとか短文の繰り返しを多用しては、ちょっとかっこつけすぎちゃったかなと、ひとり赤面したり。自分の知識のなさや理解の浅さをさらけ出してしまう恥ずかしさとともに、それでも心をひらこうとすること。
たとえば、ここに一冊の本があるとする。
まずそこには作品自体の持つ「おもしろさ」がある。登場人物の喜怒哀楽だったり、ストーリーの起伏だったり、リズムのある文体だったり、とにかく読んでおもしろいなと思い、先をずっと読んでいきたいと思う気持ちだ。
次に、作品を解釈する「おもしろさ」がくる。解釈とは、外国語を訳す作業に似ている。長くて複雑な文章を翻訳することもあれば、単語ひとつひとつの意味を調べてそれで内容をつかまえることだってできる。
作品で感じた疑問、あるいはこの共感は一体どこからきたのだろう? 同じ辞書を使っているわけではないので、当然、ひとそれぞれ異なった訳文ができあがる。
最後に、作品から出てきたもの、自然に出てきた感想や自分で引き出した解釈を誰かと伝え合ったりする「おもしろさ」がある。感想を言い合ったり、文章を書いてどこかに発表したり、読書会やビブリオバトル、それが発展すれば本屋大賞や大学読書人大賞というような賞の設立につながったりもする。
知らないひとといきなり個人的な話をするのは難しいが、作品の話ならば結構できるのではないだろうか。天気や野球の話とにたようなもので、敷居は低く、奥は深い。
レビュアー騎士団の気楽なところは、星海社に関係していれば対象がなんでもいいところだ。出版されたものに限らず、イベントでもいいし、企画そのものにでもいいし、全体についてでもいいし、一部についてでもいい。そして字数も自由である。
さらに、論理性や発展性よりも、愛情が最上位の採点基準なのだから、レポートや書評を書くのだという気負いはいらない。愛情のほとばしるまま、感情のおもむくままにがつがつと書けばそれがおもしろい。
何より、わたしが一番うれしく思うのは、団長や姫候補がコメントや講評を返してくれることだ。文章をただ書いて発表するだけならいくらでもできるが、プロの方が素人の書いた文章を読んでコメントを返してくれる! というのがすごい。しかも、自分でもこの展開は強引かな、支離滅裂だな、ちょっと冗長だったかなというところを的確に指摘される。痛い。だが、それが気持ちいい。
丁寧に読まれたなら、丁寧に書こうと思う。そして丁寧に作品を読みたいと思う。
どう取りつくろったところで、結局自分の嗜好や知性が露わになってしまう(もしかすると自分語りをする以上に)のがレビューなのかもしれない。けれど、この痛気持ちいいのにはまってしまうと、ついつい次の〆切をチェックするようになること、間違いなしである。
まずはノリで書いて出してみて、この愉しみを体験してみてはどうだろうか。
ちなみに私は、10点くらいなら頑張れば届くかな~という、一冊の本の褒賞目当てレビュアーである。