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読者レビュー

銅

僕たちのゲーム史

ゲームという共通話題

レビュアー:etoile Novice

新書と呼ばれるものの多くは、
1冊のほとんどの文章を説明で埋められ、比較をし、一度遠回りをし、外堀を埋めてから核である結論=著者の言いたい事に迫るという書き方をしているものが多い。

しかし、この「僕たちのゲーム史」では
たった8ページ目で結論を延べているのである。

読み手にとってこれほど親切なことはない。

文中で知らないゲームのタイトルの話題が出てきても、
結論がはっきりとしていればスッと読み進める事ができる。

人と共通の話題を探す時、
ゲームの話をするというのはとても有効だ。
インベーダーゲームの頃から今に至るまで、
ほぼ半世紀、多くの人はコンピューターゲームというものに一度は触れているからである。

しかし1つだけ問題点がある。
ゲームの話をしようとしても
今まで生み出された大変な数のゲーム、そして世代によっての流行りも違うので
知らないという可能性もあるからだ。

この本はゲームの定義を
「ボタンを押すと反応するもの」としている。

歴史とはものごとの変化の過程でもある。


たとえ知らないゲームの話題があがったとしても、歴史を知り、
自分の好きなゲームとの共通点を1つでも持っていれば、
いつの間にか話も弾むのではないだろうか。

2013.06.11

さくら
ゲームに限らず趣味の話って仲良くなるきっかけにもなりますよね。ゲームネタで伝わる会話とかいっぱいありますし…子供の頃から比べてゲームに触る時間が短くなってしまいましたが、いつまでもゲーム脳は保ってたい!って思いました。
さやわか
『僕たちのゲーム史』が8ページ目で結論を示しているように、このレビューも前半で明快にこの本のいいところを述べているのがいいですね。要するにこの本がいいのはここだ! という話が先に出ていた方が、読者としては読みやすい。つまりレビューとしては有用なものになります。これは「銅」にしましょう! ちょっとだけ気になったのは文章の構成で、たとえば一行目「新書と呼ばれるものの多くは、1冊のほとんどの文章を説明で埋められ、比較をし、一度遠回りをし、外堀を埋めてから核である結論=著者の言いたい事に迫るという書き方をしているものが多い」ですが、「多くは~多い」という、同語反復の形で書かれている。これはちょっと読みにくいですね。こういう込み入った文章を手っ取り早く直したいときは、可能な限り不要な要素をバサバサと削る手があります。たとえば「新書には、一冊のほとんどを説明に費やし、遠回りをし、外堀を埋めてから、ようやく核である結論=著者の言いたい事に迫る書き方をするものが多い」みたいにするとか。表現を削ったり「というもの」みたいな持って回った言い回しを減らすだけで、書くときも文章を整理しやすくなりますよ。

本文はここまでです。