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読者レビュー

銅

大日本さむらいがーる劇場

既視感とその先にあるもの

レビュアー:ticheese Warrior

 最前線の4ページマンガ『大日本さむらいがーる劇場』を読んでいる内、私には既視感があった。このノリ、どこかで見たことがある……。特に凪紗である。男性恐怖症でありながら芸能活動をするという、茨の道を歩む様は浅倉杏美ボイスのあの人を連想させる。
 ああ、765プロか。
 芸能事務所、つまる所ネクタイを締めて働く職場で、若くて可愛い女の子がきゃっきゃと雑談に花を咲かせる空間が、アイドル物語の大御所『アイドルマスター』を彷彿とさせるのだ。男ならこんな職場で働きたいと、心から思わされるひまりプロダクションであった。
 しかしだからといって、『大日本さむらいがーる劇場』が『アイドルマスター』に追随するだけの作品であるかというと、それは違う。私は765プロを連想した後に気づいたのだが、漫画の著者である川村氏は、どうやらガチのアイマスPであった。ニコ動に自分の描いたアイドルマスター漫画を投稿して、脅威の再生数を稼ぐ猛者であらせられる。
 『アイドルマスター』を本当の意味でよく理解した川村氏が、ただの二番煎じを描くはずがないのである。
 では何が『アイドルマスター』と違うか、それは4ページマンガの第一回に高らかに宣言される。
神楽日毬「目的は政治の頂点、手段はアイドル!! 真正なる右翼は日本に私ただ一人である!」
織葉颯斗「うちは名前のとおり日毬の日毬による日毬のための事務所」
 そう、あくまでこの作品はヒロインである神楽日毬を中心に回っており、日毬の目的は政治の頂点でアイドル活動は手段でしかないのだ。これはアイドルというアイデンティティーが第一にある『アイドルマスター』とは、方向の異する深みとなる。
 そうと分かると前述の凪紗も、また違った見方ができるようになる。彼女は神楽日毬の実姉である。どうやら行動原理に妹を導き支えたいという家族愛が見え隠れする。妹を助けたいのに男性恐怖症が邪魔をしてしまうジレンマは、見ていておかしくも可愛らしくある。また外から見ると強さと危うさを兼ね備えている日毬も、凪紗といるとちょっと駄目な姉を持ったただの妹であるという普遍性を見せている。
 ひまりプロの所員たちは、日毬の導き手であり後輩であり家族であり頼れるお姉さんなのだ。川村氏は先達の良さを継承し、至道流星の原作を用いて新しいアイドル物語を作り上げている。
 私は神楽日毬とひまりプロダクションが好きになった。

2013.06.11

まいか
新しいアイドル物語。空前?(以前からあったっけか)のアイドルブームによって、最近はテレビでも本でもアニメでもたくさんのアイドルが生まれていますよね。けれど、いつまでも同じじゃ探究心と好奇心が強い人間は満足できない。そんな物足りなさを感じた人達はどうするのか、まさに『大日本さむらいがーる劇場』をみればわかります。そう、自分が生み手として新しいものを求めるのです。アイドルが好きで好きだから出来る事、川村さんのアイドル物語は私も楽しみです!
さやわか
川村一真がアイマスPだということを指摘するのは間違っていないと思います。指摘のやり方も、ギリギリで内輪の話ではなくなっていて、アイマスや川村一真がどんなものなのか、知らない人にも伝えようという態度が窺える。これは評価できると思います。「銅」にいたしましょう! 一点だけわからなかったのは、日毬がアイドルをあくまで手段として使っているというのは作中の出来事であって、それをそのまま描いたからといって川村一真がアイマスと一線を画そうとしたとは言い切れないのではないか? ということでした。つまり、『大日本さむらいがーる劇場』が『アイドルマスター』と異なる形で「アイドル」というモチーフを使っているのは元々のことで、そこにコミカライズを担当した川村一真の意志は介在しない。少なくともこのレビューからはそういうように見えると思うのですが、いかがでしょうか?

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