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読者レビュー

銅

紅玉いづき『サエズリ図書館のワルツさん 1』

人の魂と人の形

レビュアー:USB農民 Adept

(高井舞香を支持)

 私はこの本の次の言葉に、強い感銘を受けた。

「データは魂かもしれない。けれど、魂には、なんの形もない」

 以前、京極夏彦の『魍魎の函』を読んだ時、強く記憶に残った場面がある。首から上だけを鉄の箱に入れられた男が、こんな姿となった自分の意識は、もはや人間ではなく、魍魎だと語る場面だ。魍魎の詰まった箱である自分は、魍魎の函だと、男は語っていた。怖い場面だった。
 人間には魂がある。意識がある。でも、それだけでは人間ではない。魂があって、人間としての体があるから、人間なのだ。
 本も同じなのだと、『ワルツさん』を読んで思った。
 文字はデータだ。本の本質は、その内容=データにあるのかもしれない。でも、その本質(データ)が「本」として存在するためには、「本としての形」が必要なのだ。
 人間も本も同じなのだ。
 魂には形が必要だ。
 形がなければ、私たちは「本」や「人間」を認識することができない。
 そして、形のないものを、愛し続けることも難しい。

『ワルツさん』では、たくさんの出会いと別れが描かれる。人と人の出会い。人と本の出会い。そして、人と人の別れ。人と本の別れ。
 それらはすべて、人が人を愛することについての寓話にもなっている。

 作中の台詞に、こんなものがある。
「わたしが死んでも、本は残る」
 魂が失われても、その魂を宿した形が残ることもある。
 だから、誰かが死んでも、必ずしも、その人への愛がなくなるわけではない。
 この、失われることに対する、前向きさを示すメッセージが、私にはとてもすがすがしく感じられた。

2013.05.29

まいか
人は生まれたときから、死ぬところをゴールとして生きている。ときいたことがあります。自分の霊が何かのこるようせいいっぱい生きたいですね。もちろん、レビューも1つ1つ魂がやどっています。
さやわか
冒頭の「(高井舞香を支持)」というやつが、何だか強い意志を感じさせて面白いのでとりあえず削除せずに残しておきました(笑)。次回以降にこういうのがあっても消しますよ!さてレビューですが、非常にそつなく、実にうまいと思います。『ワルツさん』という本の主張を的確に伝えている。そのテーマが至るところで書き手が受けた感動も理解できます。ただし、わりと素直に『ワルツさん』という本の主張を受け入れているので、ちょっとわかりにくいところがあります。たとえばデータが「魂」だとして、電子書籍のハードウェアは「本としての形」の一種とは言えないのか。言えないとしたらなぜ言えないのか。そして「形のないものを、愛し続けることも難しい」とありますが、では人々がネット上で、素敵なイラスト(たとえばパソコンや携帯電話用の壁紙)のデータをダウンロードしたがったりするのはなぜなのでしょうか。もちろん、その疑問に答えを用意せよと言っているのではありません。答えを提供することがレビューの目的とは限りませんので。ただし疑問が生じる余地がそこには残されてしまっているので、うまく隠すなり、立ち向かうなりするといいですぞ。今回は「銅」といたします!
US

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