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読者レビュー

銅

僕は写真の楽しさを全力で伝えたい!

押さないと始まらない。でも、押せば始まる。

レビュアー:横浜県 Adept

青山さんのことばを見て思ったんです。プロの写真家が、そんなこと言わないでよって。なにやら、センスがなくても、技術がなくても、写真は楽しくなるんですって。なんか嫌味っぽくないですか? センスも技術もある人に言われたって、信用できませんよ。でも、青山さんは断言するんです。この本を読めば、「写真が楽しくなります」って。そこまで言うなら説明してよと僕はページをめくります。

現れたのは、自分史。

そう、自分史です。青山さんが選んだのは、写真のよさを実証的に分析することでも、そのメソッドを体系的に説明することでもありませんでした。ただ写真が好きな自分を、写真とすごした人生を、赤裸々に語り始めたんです。そこには、写真をほめたたえるような美辞麗句はありませんでした。むしろ、それがどうしたっていう感じのエピソードが並んでいるにすぎません。でも、青山さんの「楽しい」という飾り気のない気持ちと、それを伝える数々の写真が、ひたすら僕の興奮を誘ったんです。たとえば、次の一節。

「むかし撮った写真は、技術的に見るとやっぱり、下手だなあって思う。
だけど、その下手さが、心底うらやましい。
あの頃の僕にしか撮れない写真たち。輝いて見えるよ」

そうか、上手とか、下手とかじゃないんだ。いまの自分に、何ができるのか、そして、何が撮れるのか。そんな、この瞬間の僕にしか見られないものを、「ぱちっ」と写真に収めてみる。それを楽しいと思ってみる。というか、楽しいんですよ。きっと。
「シャッターを押せば 人生は最高にカラフルになる」
そう、楽しいことは分かったんだから、あとはシャッターを押すだけでいいんです。
センスがなくても、技術がなくてもね。

2013.05.29

まいか
昔は写真とられるの恥ずかしくて、にげていたんですよね私。でも、「あの頃の自分」っていう思い出がなくて、さみしくなりました。私も、きらきら輝く今を逃さずにとらえていきたいなって思います。
さやわか
このレビューは文体を作ろうとしていますな。レビューというか評論的な文章というのは、論理性を保っているからこそ小説と同じかそれ以上に美しく書くことができるという側面があります。このレビューの書き手は何かそうした文体に触れたいと思って書いている感じがある。僕は実際、そこに最もこのレビューの熱意を感じました。それだけで「銅」に値すると思います。若干気になったのは最後の段落です。まず「いまの自分に、何ができるのか、そして、何が撮れるのか」というのは、端的に言って漠然とした自信のなさが窺える。ここは「そうか、上手とか、下手とかじゃないんだ。この瞬間の僕にしか見られないものを、「ぱちっ」と写真に収めてみる」だってよかったはずで、「いまの自分に、何ができるのか」というような大きなテーマ性を急に匂わせてしまうと、かえって体裁を保とうとしたように見せてしまう。その先の「それを楽しいと思ってみる。というか、楽しいんですよ」という部分とも相まって、微妙に筆者の乗り切れなさが漂っているように思えてしまうわけですな。この文体でやるなら、ここは言い切ってしまった方がいいと思いますぞ。もしくは、自分の不安さを含めて書いてしまうという手もあります。ご一考いただければ。

本文はここまでです。