ストーンコールド
過ぎたるもの
レビュアー:ticheese
〈この学校をコロンバイン高校にしてやろう。そう、決めていた。〉
1999年にアメリカのコロラド州で実際に起きた事件の舞台となった高校を、裏表紙に堂々と謳い文句として記している作品は、シリーズ名を『魔術師スカンクシリーズ』と題している。
非常に奇妙な取り合わせだと思った。コロンバイン高校と言えば、13人の死亡者と24人の重軽傷者を出した、学校で起きた事件としては当時のアメリカでも最大規模乱射事件のあった高校である。
ここで意味する『コロンバイン高校』と『魔術師』……もしもこれが魔術を駆使して人を虐殺しようとする物語なら、私はそのあまりのチープさに失笑を禁じえなかっただろう。
しかしこの魔術師、意外と物語には関わってこない。
コロンバイン高校云々を口にした主人公雪路が、虐殺の為に手にするのは魔法でなかったからだ。そして代わりに手にした物は、現代の日本において魔法と同じくらい非現実的な代物、『拳銃』である。
それも降って沸いたような状況で拳銃を手に入れる。
私はこの時点で、どこかこの作品に冷めた気持ちを抱き始めた。コロンバイン高校のあるアメリカで拳銃を使うのと、日本で拳銃を使うのでは訳が違う。アメリカでは拳銃はあくまで日常の延長線上にある。誰でも手にすることができる上、撃ったことのある人間だって大勢いるだろう。日々の生活の中で、拳銃はある種の力であり脅威であることが身体に染入っているのだ。アメリカ人は拳銃を向けられれば反射的に身を守ろうとするし、向けられた側が拳銃を所持している可能性だって十分にある。コロンバイン高校を襲撃したエリックとディランにしろ、最悪自分が襲う相手や警察に射殺されることも考えた上での行動だろう。
しかしこの作品の主人公である雪路が、日本で手にした拳銃はそれとは異なる。大人だろうと子供だろうと、あるいは警察であっても雪路が手にした「拳銃の形をしたモノ」を警戒したりはしない。向けられても何かの冗談だろうと思うだろうし、発砲されても誰もが自分の身を守るだけの知識を持ち得ていない。襲う相手が拳銃を持っている可能性など、万に一つもありえない。
日本では拳銃は十分にフィクションの産物、魔法足り得てしまう。
さらに雪路は、拳銃以外にも一高校生が持ちえないアイテムを所持している。
1.『父親の残した手帳』…これで父親の持っていた裏社会の繋がりを、交渉次第で利用することができるようになる。
2.『数百万レベルの貯金』…金銭は額によってはどんな無理も押し通してしまう。
3.『十分に銃器を使いこなせるだけの経験』…拳銃は引き金を引けば人が死ぬ訳ではない。まず撃った弾を当てるだけの技量と精神力が必要だ。
私にはどれも魔法のように都合の良いものに思えて仕方がない。
現実にアメリカで起こったコロンバイン高校銃乱射事件と比べて、日本における雪路の所持品が、どれだけ魔法じみていて緊張感を奪っているか分かるだろうか。
ゲーム画面の前でスイッチを押して敵キャラを殺すような緩さが、この作品には蔓延している。だからだろう、物語が進み魔術師スカンクが魔法を使い始めても、私から苦笑は漏れず、どこか諦めの境地にすら達していた。
〈歪んだ夢と魔法のファンタジー〉私ならこの作品にこう謳い文句をつける。結局の所、現実で起こった暴力事件を超えるような衝撃を、この作品が読者に与えることは不可能だからだ。
あるいは『コロンバイン高校』の名前を持ち出さなかったならば、私ももっと楽しめていたのかもしれない。虎の威に狐は平伏した。
1999年にアメリカのコロラド州で実際に起きた事件の舞台となった高校を、裏表紙に堂々と謳い文句として記している作品は、シリーズ名を『魔術師スカンクシリーズ』と題している。
非常に奇妙な取り合わせだと思った。コロンバイン高校と言えば、13人の死亡者と24人の重軽傷者を出した、学校で起きた事件としては当時のアメリカでも最大規模乱射事件のあった高校である。
ここで意味する『コロンバイン高校』と『魔術師』……もしもこれが魔術を駆使して人を虐殺しようとする物語なら、私はそのあまりのチープさに失笑を禁じえなかっただろう。
しかしこの魔術師、意外と物語には関わってこない。
コロンバイン高校云々を口にした主人公雪路が、虐殺の為に手にするのは魔法でなかったからだ。そして代わりに手にした物は、現代の日本において魔法と同じくらい非現実的な代物、『拳銃』である。
それも降って沸いたような状況で拳銃を手に入れる。
私はこの時点で、どこかこの作品に冷めた気持ちを抱き始めた。コロンバイン高校のあるアメリカで拳銃を使うのと、日本で拳銃を使うのでは訳が違う。アメリカでは拳銃はあくまで日常の延長線上にある。誰でも手にすることができる上、撃ったことのある人間だって大勢いるだろう。日々の生活の中で、拳銃はある種の力であり脅威であることが身体に染入っているのだ。アメリカ人は拳銃を向けられれば反射的に身を守ろうとするし、向けられた側が拳銃を所持している可能性だって十分にある。コロンバイン高校を襲撃したエリックとディランにしろ、最悪自分が襲う相手や警察に射殺されることも考えた上での行動だろう。
しかしこの作品の主人公である雪路が、日本で手にした拳銃はそれとは異なる。大人だろうと子供だろうと、あるいは警察であっても雪路が手にした「拳銃の形をしたモノ」を警戒したりはしない。向けられても何かの冗談だろうと思うだろうし、発砲されても誰もが自分の身を守るだけの知識を持ち得ていない。襲う相手が拳銃を持っている可能性など、万に一つもありえない。
日本では拳銃は十分にフィクションの産物、魔法足り得てしまう。
さらに雪路は、拳銃以外にも一高校生が持ちえないアイテムを所持している。
1.『父親の残した手帳』…これで父親の持っていた裏社会の繋がりを、交渉次第で利用することができるようになる。
2.『数百万レベルの貯金』…金銭は額によってはどんな無理も押し通してしまう。
3.『十分に銃器を使いこなせるだけの経験』…拳銃は引き金を引けば人が死ぬ訳ではない。まず撃った弾を当てるだけの技量と精神力が必要だ。
私にはどれも魔法のように都合の良いものに思えて仕方がない。
現実にアメリカで起こったコロンバイン高校銃乱射事件と比べて、日本における雪路の所持品が、どれだけ魔法じみていて緊張感を奪っているか分かるだろうか。
ゲーム画面の前でスイッチを押して敵キャラを殺すような緩さが、この作品には蔓延している。だからだろう、物語が進み魔術師スカンクが魔法を使い始めても、私から苦笑は漏れず、どこか諦めの境地にすら達していた。
〈歪んだ夢と魔法のファンタジー〉私ならこの作品にこう謳い文句をつける。結局の所、現実で起こった暴力事件を超えるような衝撃を、この作品が読者に与えることは不可能だからだ。
あるいは『コロンバイン高校』の名前を持ち出さなかったならば、私ももっと楽しめていたのかもしれない。虎の威に狐は平伏した。