僕たちのゲーム史
『僕たちのゲーム史』は、いかにして歴史書であるか
レビュアー:横浜県
「スーパーマリオはアクションゲームではない」
第一章の題である。
そんな馬鹿な。
いくらゲームに詳しくないとはいえ、僕だって『スーパーマリオ』のことは知っているし、あれをRPGやADVだとは思わない。
それに、もし仮にアクションゲームではないとして、だから何だというのか。
僕たち読者が不思議に思うであろうことを見越して、著者はこう語る。
たしかに、現代の僕たちから見れば『スーパーマリオ』はれっきとしたジャンプアクションの傑作と言えます。しかし、それはあくまでも現代から見た考え方です。発売当時に右に挙げたような考え方で作られ、売られたことこそが『スーパーマリオ』というゲームを、そして当時のゲーム全体を知る上では最大のポイントになるのです。
そこで僕は初めて、この1冊が、ゲームの歴史に真正面から向き合おうとしていることに気がついた。
たとえば僕たちが、いわゆる歴史を学ぶときに、どうしているか。
縄文時代の風習である抜歯について、虫歯ができたのかな、と思う人はいないだろう。また江戸時代の切捨御免について、刑法に規定されている殺人罪にあたるよ、とツッコミをする人もいないだろう。
現代の価値観に基づいて、過去の文化や風習を捉えることはできない。
それらが真に、どのような意味を持っていたのかを、理解・推測するためには、当時の社会や、ものの見方に則って考える必要がある。
何百年、何千年と昔のことを思い浮かべるとき、僕たちは、これを意識せずとも行うことができる。
しかし、たかだか30年くらい前のことになると、何故だか忘れてしまいがちになるのだ。
『僕たちのゲーム史』は、そんな当たり前のことを、されど僕たちが見落としていたことを、しっかりと実践している。
著者がTwitterで「過去のゲーム雑誌・書籍・広告からの大量の引用を含む本」であり、「史料を読む本」であると述べているのも、やはり過去に即して書かれた本だからだろう。
決して現代から俯瞰することなく、過去に寄り添いながら記述され、その結果として「ゲームとは何なのか」という全体像を明らかにする。
『僕たちのゲーム史』は、確かに歴史書である。
第一章の題である。
そんな馬鹿な。
いくらゲームに詳しくないとはいえ、僕だって『スーパーマリオ』のことは知っているし、あれをRPGやADVだとは思わない。
それに、もし仮にアクションゲームではないとして、だから何だというのか。
僕たち読者が不思議に思うであろうことを見越して、著者はこう語る。
たしかに、現代の僕たちから見れば『スーパーマリオ』はれっきとしたジャンプアクションの傑作と言えます。しかし、それはあくまでも現代から見た考え方です。発売当時に右に挙げたような考え方で作られ、売られたことこそが『スーパーマリオ』というゲームを、そして当時のゲーム全体を知る上では最大のポイントになるのです。
そこで僕は初めて、この1冊が、ゲームの歴史に真正面から向き合おうとしていることに気がついた。
たとえば僕たちが、いわゆる歴史を学ぶときに、どうしているか。
縄文時代の風習である抜歯について、虫歯ができたのかな、と思う人はいないだろう。また江戸時代の切捨御免について、刑法に規定されている殺人罪にあたるよ、とツッコミをする人もいないだろう。
現代の価値観に基づいて、過去の文化や風習を捉えることはできない。
それらが真に、どのような意味を持っていたのかを、理解・推測するためには、当時の社会や、ものの見方に則って考える必要がある。
何百年、何千年と昔のことを思い浮かべるとき、僕たちは、これを意識せずとも行うことができる。
しかし、たかだか30年くらい前のことになると、何故だか忘れてしまいがちになるのだ。
『僕たちのゲーム史』は、そんな当たり前のことを、されど僕たちが見落としていたことを、しっかりと実践している。
著者がTwitterで「過去のゲーム雑誌・書籍・広告からの大量の引用を含む本」であり、「史料を読む本」であると述べているのも、やはり過去に即して書かれた本だからだろう。
決して現代から俯瞰することなく、過去に寄り添いながら記述され、その結果として「ゲームとは何なのか」という全体像を明らかにする。
『僕たちのゲーム史』は、確かに歴史書である。