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読者レビュー

銅

『青春離婚』

×5の趣

レビュアー:牛島 Adept

 物語もいよいよ佳境になりつつあるコミカライズ版『青春離婚』ですが、さてみなさん。みなさんはこの作品を読むとき、いったいどのようにして読んでいるでしょうか?
 とりあえずスマートフォンを持っているのにパソコンで読んでいるそこのあなた。悪いことは言いません、今すぐスマフォで最前線につないでみてください。

 この『青春離婚』にはいくつか、読者が読みやすいように工夫がなされています。
 たとえば各コマをクリック(ないしはタップ)するだけで一コマずつ進む機能。
 たとえば郁美さんの心中の雲フキダシなど、複数のフォントを使い分ける職人芸。
 このほかにも大小さまざまな心配りが施されており、実際読むときにも非常に快適です。

 ではなぜスマートフォンで読むべきなのかですが、この作品は最初からスマートフォンで読まれることを前提にしてつくられているからです。これは『青春離婚』が描かれたスタイルと関係しています。

 HERO氏のサイトである読解アヘンなど、縦書きWEB漫画を読む人にはいまさらかもしれませんが、こうした描き方をされた漫画は、コマ単位で読まれることが多いのではないでしょうか。
 具体的な話をしましょう。
 一般的な画面サイズのデスクトップやノートパソコンで『青春離婚』を開くと、基本的に2コマないしは3コマずつの表示となります。縦に続いていく物語と横に長い画面では当然かもしれません。これも紙とWEBの違いの一つでしょうが、コマ(場面)の連続を区切ってくれていたページ(画面)という概念は、それを適切に表示する画面がないため、若干WEB漫画とは相性が悪いようです。
 必然物語はコマの連続という形になり、ページのような区切りは存在感を薄くします。
 こうした話は紙とWEBの表現の違いでは割と既出なもので、あるいはWEB漫画の表現の可能性として、あるいは漫画文化とWEBの祖語の一つとして語られることが多いようです。

 話を『青春離婚』とスマートフォンにもどしましょう。
 ここまで言えばもうお気づきかもしれませんが、そうです。縦長の画面で見た場合、これらのコマは一連のページとなって表現されます。
 実際、スマートフォンの縦長の画面で開いた場合『青春離婚』は5コマずつの表示となります。ブラウザ等の違いはありますが、画面をフルで使えばたいていの機種でこうした表示になるのではないでしょうか。おそらく横長のコマ割りも、5コマで表示した際に映える画面を計算されてのことでしょう。
 そしてこれはただ「縦方向に広い」「コマを連続して見ることができる」という単純な話ではありません。
 たとえば公開中の第五話、22コマ目から26コマ目を開いてみてください。

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「わ、わたしは……いいよっ。内緒で……」

『内緒』

「じゃあ、秘密ということで」

『秘密』

「……うん」

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 灯馬さんの言葉に郁美さんがドキッとするシーンなのですが、これ、スマートフォンで開くと見事に画面の中に収まります。郁美さんがかわいすぎて、スクリーンショットで保存しました。
 この場面に限った話ではないのですが、作者であるHERO氏はこうした5コマで区切られた「ページ」という枠組みを意識的かつ効果的に使っています。
 この見えない枠組みは、スマートフォンで読んだときにしか活きません。だから『青春離婚』はスマートフォンで読むための物語と言えるでしょう。

 見せ場となるシーンを、読み手の環境も計算にいれて執筆する。そうしたものもWEB漫画の要素の一つになるのかもしれません。

 ……さて。
 長々と書いてきましたが、私がこの計算された表現に惚れ込んだのは『青春離婚』がほかならぬスマートフォンが重要なキーになっている物語だからです。
 表現の発展だとか、この先のWEB漫画の形だとかは、正直どうでもいいのです。

 原作の紅玉いづき氏もHERO氏も「スマートフォンで読んでほしい」としきりにおっしゃってられました。おそらくそうした出発点から始まった「スマートフォンで見せる工夫」というものに、この作品への愛を感じずにはいられません。

 みなさんも是非、スマートフォンで読んでみてください。きっとパソコンで読むのとは一種違った趣があるはずです。

最前線で『青春離婚』を読む

2012.05.18

のぞみ
スマフォからの楽しみ方、十分伝わってきました! 早速試してみたいですわ! ですが……ガラケーからは、どのように楽しんだら良いでしょうか?(´;ω;`) 私、ガラケーなんですの・・・・・・ρ(・ω・`)
さやわか
ガラケーじゃない! フィーチャーフォンと呼べ! ……などという話はどうでもいいですが、姫の言っていることには一理あることはあります。要するに、これは「読み手を限定するレビュー」なのですな。レビューの内容としては、ウェブ漫画の可能性をかなり的確に整理しているとも思います。ですが、レビューというのはこうやって、「じゃあ私にはこの作品は関係ないの? どうしたらいいの?」と言われてしまう可能性を常にはらんでいるわけですな。では、そんな時にレビュアーはどうすればいいのでしょうか? 「スマートフォンを持っている人の方が多そうだからいいじゃん」とか「作者がそれを望んでるんだからいいじゃん」いう考え方もアリだとは思います。第一、読む人全員を納得させることは不可能です。しかしそうだとしても、できる限り広い読者に作品の価値を伝える、なるべく多くの人が納得できるように配慮するのがいいレビューのあり方だと僕は思います。それをレビュアー騎士団では「論理性」と呼んでいます。「銅」にいたしますが、特にこのレビューが悪かったというわけではありません!

本文はここまでです。