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読者レビュー

銅

『君の歳にあの偉人は何を語ったか』

偉人あっての名言、筆者あっての名言集

レビュアー:横浜県 Adept

名言集の楽しみ方は人それぞれである。
言葉から元気をもらうもよし、教養の糧とするもよし。
ちなみに私は、筆者の意図に注目するのが好きだ。
変な話だが、世の中には数多くの偉人がいて、無数の名言が生まれてきた。
その中から一定数を選んで本にまとめるのだから、そこには筆者の独自性が表れる。ソクラテスら哲人を多く引用する本もあれば、実業家のスピーチを中心に取り上げる本もあるだろう。それは名言集のコンセプトにも強く影響されるはずだ。
だから文字におこされている偉人の言葉だけではなく、行間に潜む筆者のメッセージを捉えることが面白いと私は考えている。

『君の歳にあの偉人は何を語ったか』の1冊は、そんな私にとって、これ以上なく興味深い名言集であった。
本作は名言が放たれた背景と文脈に重きがおかれている。そのため偉人の当時の年齢と共に紹介されている。かつてないテーマに基づいているといっていい。
試しに27歳の頁を開いてみる。「『それでは会社を辞めます。今日限り辞めます』と稲盛和夫は27歳で言った!」と書かれてある。
これは本作の筆者が特異的な構想を持っていることを示すいい例だ。
「会社を辞めます」だなんて、そこら辺のリーマンでも言ったことのある台詞だろう。本来なら名言でもなんでもない。
それでも筆者は、この一言を読者に伝えたいと考えたわけだ。それは名言の背景や文脈を考慮しているが故である。

ちなみに名言のうしろには、稲盛和夫についての解説や、名言にまつわるエピソードが紹介されている。
そして最後にこうある。「<27歳の稲盛和夫は僕らにきっとこういうだろう> 心の持ち方を変えたとき、それが君にとっての転機となる」
この項目なんて、私にとってはたまらない。
確かに27歳の稲盛和夫は同じようなことを考えていたかもしれない。でもそんな彼の思考を推測して、この言葉を用意したのは筆者だ。
「心の持ち方を変えたとき、それが君にとっての転機となる」と「僕ら」に伝えたいのは、稲盛和夫ではなく筆者なのだ。
これほどまでに筆者のメッセージが伝わってくる名言集など、かつてあったろうか。
ただここで1つ注意すべきなのは、筆者が目立ちすぎてはいけないということだ。あくまで名言を集めたものなのだから、クローズアップされるべきは偉人である。筆者は黒衣でなくてはならない。
その点、本作は偉人と名言を研究しつくした筆者により執筆されているから安心できる。名言の解説は構成が緻密に練られており、稲盛和夫が本当に「心の持ち方を変えたとき、それが君にとっての転機となる」と僕らに語ってくれるのではないか、そう思わされるようにできている。
筆者のメッセージは、偉人というフィルターを通して読者に伝えられる仕組みになっているのだ。

それでもやはり「結局は筆者が捏造した言葉ではないか」という意見は尽きないものだろう。
しかしながら、この最後の一言には重要な役割が備わっている。
実はこれ、名言を普遍化して噛み砕いたものとなっているのだ。
逆に言うと、最後の一言を特殊化したものが名言なわけだ。
一例を挙げると、「<19歳の南方熊楠は僕らにきっとこういうだろう> 阿呆め。好きなことせんでどうする。人生は短いんじゃ」とあり、その具体例が「淫猥のこと一切、禁ず」という南方熊楠の名言になっている。彼は大好きな研究に没頭するため、「淫猥」を禁じていた。名言の解説部には「それほどまでに追求したいものがあったという証であるし、それくらいでなければ自分の目指したい場所には届かないことを悟っていたのだろう」とある。それを噛み砕いたものが「好きなことせんでどうする」という一言なのだ。
名言から教訓を導きだし、それを一般化して読者に伝えようとする筆者の意図は、実にありがたいものといえる。

さて、もうご理解いただけたのではないかと思うが、名言集のあちこちには筆者の伝えたいことが隠されている。
もちろん名言の数々を味わうことが第一だけれど、さらに筆者からのメッセージを読みとることで、より深く、有意義で楽しい読み方ができるのだ。
『君の歳にあの偉人は何を語ったか』は、特にその傾向が強い。
偉人あっての名言であり、筆者あっての名言集。それを体現した1冊である。

ジセダイで『君の歳にあの偉人は何を語ったか』を読む

2012.04.23

さやわか
うーん、熱意は伝わるのです。「銅」にしましょう。が、ちょっとこれは論理的には厳しいと言わざるを得ません。まず「『会社を辞めます』だなんて、そこら辺のリーマンでも言ったことのある台詞だろう。本来なら名言でもなんでもない」というのはその通りだと思います。しかし、レビューの読み手としては、ならばこの本は偉人が各々の年齢の時にどんな境遇にあったかを教えるような本ではないか? という疑いを持つこともできます。また「偉人と名言を研究しつくした筆者」であれば、なぜ本当に稲盛和夫が言っているように思えるような本を作れると言えるのか? さらに前半は「名言」自体は本当にあったが、それを使って著者がメッセージを伝えているというニュアンスだったのが、中盤から不意に「捏造」という、言葉自体がでっち上げだというニュアンスの話が始まったように見える。言葉の選び方、扱い方のために起こっている混乱なのかもしれませんが、読んでいてひっかかる部分がどうしても多くなりがちです。これをどうすればより納得できる文章になるか? というと、うーん……難しいですが150から200字くらいの短いセンテンスで確実に意味の通るものを作りながら、それをさらにつなげていくというのがいいかもしれません。当然、時間のかかる作業になるのでそんなに長いものは作れませんが、でも無理に長くするよりはずっといいと思います。

本文はここまでです。