じじいリテラシー 葉石かおり
毒にも薬にもなるじじい活用法
レビュアー:ややせ
長くなるのは新書とライトノベルのタイトル、といった感が否めない昨今において、この人を食ったような(一部の人をイラっとさせ、一部の人をニヤッとさせるような)タイトルはどうだろう。
『じじいリテラシー』
シンプルすぎて、スカッと爽快ですらある。
リテラシーを「活用する技術」として位置づけ、文字通りいかにじじいを効果的に利用してやるかという本である。
内容にも、「じじい」と「リテラシー」という単語のオンパレード。じじいのタイプ別の分け方や、それぞれの生態、攻略法など、人によっては失敬なと立腹すること甚だしいかもしれない。
だが、人によっては深く頷いてしまう分類なのもまた事実。
けれど、書かれている内容はいたって普通でまともなのだ。
じじいだろうとそうでなかろうと、誰だってこんな人は不愉快だよね、という例があり。
じじいだって人間だもの、こんな振る舞いするときもあるよね、という例があり。
つまりは、じじいという衝撃的な単語を逆手に取り、リテラシーというなんだか最近よく見るわねという単語で飾り付けた、極めてまともで普通な人間関係と仕事について書かれた本なのである。
タイトルとは裏腹に、筆者の文章からはじじいへの何とも言えない愛着のようなものが見え隠れしていて、そんな上手くいけばいいけどね、と思いつつも、脱力してつい笑ってしまった。
ついつい一人で何でも頑張ってしまうのが当たり前な世代にとって、目上の人間を頼る(甘える/利用する/ならう)のは、案外選択肢にないものかもしれない。
そこにあるのが好意であれ義理であれ、
じじいというのは大量に存在しこれからも減ることなど無いのだ。ならば、うまく付き合っていくしかないではないか。
誰だって、新書一冊を読んで職場環境が変わるなどと、真剣に期待などしていない。
けれど、たかが新書一冊、されど新書一冊、でもある。
どんなじじいからも学ぶことができるように、せいぜいこの『じじいリテラシー』を活用させてもらおうじゃないの、と思わされる楽しい本だった。
ジセダイで『じじいリテラシー』を読む
『じじいリテラシー』
シンプルすぎて、スカッと爽快ですらある。
リテラシーを「活用する技術」として位置づけ、文字通りいかにじじいを効果的に利用してやるかという本である。
内容にも、「じじい」と「リテラシー」という単語のオンパレード。じじいのタイプ別の分け方や、それぞれの生態、攻略法など、人によっては失敬なと立腹すること甚だしいかもしれない。
だが、人によっては深く頷いてしまう分類なのもまた事実。
けれど、書かれている内容はいたって普通でまともなのだ。
じじいだろうとそうでなかろうと、誰だってこんな人は不愉快だよね、という例があり。
じじいだって人間だもの、こんな振る舞いするときもあるよね、という例があり。
つまりは、じじいという衝撃的な単語を逆手に取り、リテラシーというなんだか最近よく見るわねという単語で飾り付けた、極めてまともで普通な人間関係と仕事について書かれた本なのである。
タイトルとは裏腹に、筆者の文章からはじじいへの何とも言えない愛着のようなものが見え隠れしていて、そんな上手くいけばいいけどね、と思いつつも、脱力してつい笑ってしまった。
ついつい一人で何でも頑張ってしまうのが当たり前な世代にとって、目上の人間を頼る(甘える/利用する/ならう)のは、案外選択肢にないものかもしれない。
そこにあるのが好意であれ義理であれ、
じじいというのは大量に存在しこれからも減ることなど無いのだ。ならば、うまく付き合っていくしかないではないか。
誰だって、新書一冊を読んで職場環境が変わるなどと、真剣に期待などしていない。
けれど、たかが新書一冊、されど新書一冊、でもある。
どんなじじいからも学ぶことができるように、せいぜいこの『じじいリテラシー』を活用させてもらおうじゃないの、と思わされる楽しい本だった。
ジセダイで『じじいリテラシー』を読む