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読者レビュー

銅

じじいリテラシー 葉石かおり

毒にも薬にもなるじじい活用法

レビュアー:ややせ Novice

長くなるのは新書とライトノベルのタイトル、といった感が否めない昨今において、この人を食ったような(一部の人をイラっとさせ、一部の人をニヤッとさせるような)タイトルはどうだろう。
『じじいリテラシー』
シンプルすぎて、スカッと爽快ですらある。

リテラシーを「活用する技術」として位置づけ、文字通りいかにじじいを効果的に利用してやるかという本である。
内容にも、「じじい」と「リテラシー」という単語のオンパレード。じじいのタイプ別の分け方や、それぞれの生態、攻略法など、人によっては失敬なと立腹すること甚だしいかもしれない。
だが、人によっては深く頷いてしまう分類なのもまた事実。

けれど、書かれている内容はいたって普通でまともなのだ。
じじいだろうとそうでなかろうと、誰だってこんな人は不愉快だよね、という例があり。
じじいだって人間だもの、こんな振る舞いするときもあるよね、という例があり。
つまりは、じじいという衝撃的な単語を逆手に取り、リテラシーというなんだか最近よく見るわねという単語で飾り付けた、極めてまともで普通な人間関係と仕事について書かれた本なのである。

タイトルとは裏腹に、筆者の文章からはじじいへの何とも言えない愛着のようなものが見え隠れしていて、そんな上手くいけばいいけどね、と思いつつも、脱力してつい笑ってしまった。
ついつい一人で何でも頑張ってしまうのが当たり前な世代にとって、目上の人間を頼る(甘える/利用する/ならう)のは、案外選択肢にないものかもしれない。
そこにあるのが好意であれ義理であれ、
じじいというのは大量に存在しこれからも減ることなど無いのだ。ならば、うまく付き合っていくしかないではないか。

誰だって、新書一冊を読んで職場環境が変わるなどと、真剣に期待などしていない。
けれど、たかが新書一冊、されど新書一冊、でもある。
どんなじじいからも学ぶことができるように、せいぜいこの『じじいリテラシー』を活用させてもらおうじゃないの、と思わされる楽しい本だった。


ジセダイで『じじいリテラシー』を読む

2012.04.02

さやわか
文体が簡潔であり、軽やかで読みやすさがあると思います。新書のレビューにはふさわしいようにも思われる。内容も素朴な感想のようでありつつ、しっかりと客観的な目でどのような書かれ方をした本か考察していて、なるほどと思わされる。ただ、「けれど、書かれている内容はいたって普通でまともなのだ」で始まる段落だけ、ちょっと前後とのつながりがわかりにくいように感じました。「書いてある内容は目新しくもないのだ」というのは、この書き手がけっこう言いたかったことだと思うのですが、全体としてはこの本が「じじい」をどう扱っているかということが話題の中心になってしまっているので、この位置にこの段落があると途中で少し毛色の違うものを挟まれたように感じてしまいました。この段落の内容、たとえば二段落目くらいで先に言ってしまうのはどうでしょうかね。そうすると中盤はずっと「じじい」についての話としてまとめることができるように思います。いかがでしょうか? とりあえず今回は「銅」にさせていただきました!

本文はここまでです。