虚淵玄『Fate/zero』
究極のダークヒーロー
レビュアー:USB農民
■ダークヒーローは魅力的だ。
善と悪という二つの矛盾した資質を併せ持つ彼らは、観る者に深い感銘を与えてくれる。
例えば、『ダークナイト』の主人公バットマン。彼は正義の戦いのために、事件と何の関わりもない市民の生活を監視する。明らかな違法行為だが、彼の正義のためにはその悪行は必要だったのだ。彼にそこまでの行いを求める正義とは、いったい何なのかと、観客自身に考えさせる深みがある。
英雄=ヒーローたちが集い戦う『Fate/zero』にも、ダークヒーローが登場する。
英雄王ギルガメッシュ。
私が思うに、彼は「善と悪という矛盾した資質を併せ持つ存在」としての究極の在り方を示している。
すなわち、ギルガメッシュは究極のダークヒーローである。
■『Fate/zero』に登場する英霊には、それぞれ属性が設定されていることを知っているだろうか。
セイバーなら「秩序・善」、ライダーなら「中立・善」、アサシンなら「秩序・悪」といった具合なのだが、作中で最強最悪の敵として扱われる英雄王ギルガメッシュの属性は、なんと「混沌・善」だ。
あの傲岸不損な金ピカ我様野郎が「善」て。首をかしげる人もいるのではないかと思うし、私も実際、最初に知った時は首を傾げて理解に苦しんだ。
その後、しばらく(数年くらい)気になって考え続けていたのだが、つい最近ようやく納得のいく理解が得られた。
辞書を引けば、「混沌」の意味は次のように記述されている。
(1)天地創世の神話で、天と地がまだ分かれていない状態。カオス。
(2)入りまじって区別がつかないさま。
一つ目の意味は、なるほど、ギルガメッシュの保有する最も強力な宝具である「エア」を指し示している。
しかしここで重要なのは二つ目の意味の方だ。
「入りまじって区別がつかないさま」
これこそまさに、ギルガメッシュの善の在り方を表すにふさわしい言葉だ。
ギルガメッシュの「善」は、世界のあまねくすべての存在に対して向けられている。高潔な精神を抱いた騎士王の少女、野望の火の絶えぬ征服王、自らの歪んだ欲望を認められずに苦しむ神の信徒、そして、誰からも望まれずに世界に生まれ落ちる「この世すべての悪」。
作中に登場する人物の中で、ライダーの世界的な大望を認め、最も高く評価しているのはギルガメッシュだ。そしてライダーに対するのと同様の傲岸な態度でもって、「この世すべての悪」の生誕すらも彼は祝福してみせる。
善を賞賛しつつ、悪を賛美する。
高潔さも邪悪さも、「混沌」の内にあっては区別はない。
彼はそれらに対して、分けへだてなく「善し」と言う。
そんな存在は、確かに、「混沌」の「善」とでも形容する他ない。
ギルガメッシュは、世界でただ一人、ありとあらゆる存在に対して「善」の存在、すなわち「ヒーロー=英雄」であり続けることができる。
だからこその「英雄王」という二つ名だ。
■英雄王ギルガメッシュのヒーローとしての器は、善も悪も等しく飲み込んでしまう。
彼の在り方を通じて、私たちは「善」と「悪」という概念についての深い考察を得ることができる。
『Fate/stay night』において、「この世すべての悪」に取り込まれたセイバーは、その属性を「善」から「悪」に変化させている。
しかし、「混沌」である彼は、最初から悪を背負っているがゆえに「この世すべての悪」を受け入れても属性が変化しない。
究極の悪をその身に宿してもなお、その属性は「善」のままなのだ。
悪を受け入れることの意味。
善であり続けることの意味。
お互いに矛盾しているとも思える二つの言葉は、実は同じ在り方を示している。
すべてを混沌としてありのままに受け入れる。
悪すらも飲み込む善としての存在。
最初にも書いたが、ダークヒーローは善と悪の矛盾を抱えているのが普通だ。
だが、ダークヒーローでありながら、その在り方に矛盾を抱えることのない存在も有り得るのだ。
善と悪の資質を持ちながら、そこに矛盾を持たないダークヒーロー。
英雄王ギルガメッシュ。
これほど深い感銘を与えるダークヒーローを、私は他に知らない。
最前線で『Fate/Zero』を読む
善と悪という二つの矛盾した資質を併せ持つ彼らは、観る者に深い感銘を与えてくれる。
例えば、『ダークナイト』の主人公バットマン。彼は正義の戦いのために、事件と何の関わりもない市民の生活を監視する。明らかな違法行為だが、彼の正義のためにはその悪行は必要だったのだ。彼にそこまでの行いを求める正義とは、いったい何なのかと、観客自身に考えさせる深みがある。
英雄=ヒーローたちが集い戦う『Fate/zero』にも、ダークヒーローが登場する。
英雄王ギルガメッシュ。
私が思うに、彼は「善と悪という矛盾した資質を併せ持つ存在」としての究極の在り方を示している。
すなわち、ギルガメッシュは究極のダークヒーローである。
■『Fate/zero』に登場する英霊には、それぞれ属性が設定されていることを知っているだろうか。
セイバーなら「秩序・善」、ライダーなら「中立・善」、アサシンなら「秩序・悪」といった具合なのだが、作中で最強最悪の敵として扱われる英雄王ギルガメッシュの属性は、なんと「混沌・善」だ。
あの傲岸不損な金ピカ我様野郎が「善」て。首をかしげる人もいるのではないかと思うし、私も実際、最初に知った時は首を傾げて理解に苦しんだ。
その後、しばらく(数年くらい)気になって考え続けていたのだが、つい最近ようやく納得のいく理解が得られた。
辞書を引けば、「混沌」の意味は次のように記述されている。
(1)天地創世の神話で、天と地がまだ分かれていない状態。カオス。
(2)入りまじって区別がつかないさま。
一つ目の意味は、なるほど、ギルガメッシュの保有する最も強力な宝具である「エア」を指し示している。
しかしここで重要なのは二つ目の意味の方だ。
「入りまじって区別がつかないさま」
これこそまさに、ギルガメッシュの善の在り方を表すにふさわしい言葉だ。
ギルガメッシュの「善」は、世界のあまねくすべての存在に対して向けられている。高潔な精神を抱いた騎士王の少女、野望の火の絶えぬ征服王、自らの歪んだ欲望を認められずに苦しむ神の信徒、そして、誰からも望まれずに世界に生まれ落ちる「この世すべての悪」。
作中に登場する人物の中で、ライダーの世界的な大望を認め、最も高く評価しているのはギルガメッシュだ。そしてライダーに対するのと同様の傲岸な態度でもって、「この世すべての悪」の生誕すらも彼は祝福してみせる。
善を賞賛しつつ、悪を賛美する。
高潔さも邪悪さも、「混沌」の内にあっては区別はない。
彼はそれらに対して、分けへだてなく「善し」と言う。
そんな存在は、確かに、「混沌」の「善」とでも形容する他ない。
ギルガメッシュは、世界でただ一人、ありとあらゆる存在に対して「善」の存在、すなわち「ヒーロー=英雄」であり続けることができる。
だからこその「英雄王」という二つ名だ。
■英雄王ギルガメッシュのヒーローとしての器は、善も悪も等しく飲み込んでしまう。
彼の在り方を通じて、私たちは「善」と「悪」という概念についての深い考察を得ることができる。
『Fate/stay night』において、「この世すべての悪」に取り込まれたセイバーは、その属性を「善」から「悪」に変化させている。
しかし、「混沌」である彼は、最初から悪を背負っているがゆえに「この世すべての悪」を受け入れても属性が変化しない。
究極の悪をその身に宿してもなお、その属性は「善」のままなのだ。
悪を受け入れることの意味。
善であり続けることの意味。
お互いに矛盾しているとも思える二つの言葉は、実は同じ在り方を示している。
すべてを混沌としてありのままに受け入れる。
悪すらも飲み込む善としての存在。
最初にも書いたが、ダークヒーローは善と悪の矛盾を抱えているのが普通だ。
だが、ダークヒーローでありながら、その在り方に矛盾を抱えることのない存在も有り得るのだ。
善と悪の資質を持ちながら、そこに矛盾を持たないダークヒーロー。
英雄王ギルガメッシュ。
これほど深い感銘を与えるダークヒーローを、私は他に知らない。
最前線で『Fate/Zero』を読む