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読者レビュー

銀

竹画廊画集 2010-2011

画集版竹画廊探訪

レビュアー:またれよ Novice

星海社という出版社の、「最前線」というwebサイトに「竹画廊」なるデジタル画廊がある。名前の通り竹が筆を執り、その絵がサイトに投稿される。ときにUstreamでお絵描き配信などもあり、訪れる人々とともに作品が創られていく。この度その作品たちが集められ、画集となったとのこと。どのようなものかしらん。

さて件の画集。店頭をうろつき探し見つけ出したところなにやら長い。縦に細長い。表紙を見るところ、竹の描く人物その他が所狭しと描かれているようだ。シュリンクに入っているので中を見ることはかなわない。ふむ。ひとまず購入する。
家に帰る。
おもむろにシュリンクをやぶき始める。シュリンクなどと格好をつけても所詮はビニールの袋である。なにするものぞ。

やぶれた。

ハラリと画集の表紙から落ちる紙。はて。
どうやら帯だったらしい。本の帯。表紙のデザインかと思っていたが違った。それが落ちた。帯。果たして帯。本に巻き付けられているというより載せられている。よろしき加減の和菓子などについているのし紙のような。ああ、CDの帯と言えばわかりよいか。至極納得。自力でCDケースにくっついていられない儚げな趣。あの子らも帯であった。なるほど、いつもの本と勝手が違う。
さあ表紙が現れた。描かれているらしかったものは確かに描かれていた。人物動物何者とも知れぬ何かたちが愉快げに戯れている。縦長表紙の下方には「竹画廊画集2010-2011」と小さく。なるほどこれはカンバスであるらしい。一年の凝縮の先にこの表紙がある。生きものたちに埋め尽くされた表紙のその隙間に、最初は真っ白かったろうカンバスの片鱗がわずかに覗く。既にその一年は一年間となってまとめられている。これが画廊の入口か。
中は。さっそく覗こう。めくる。おや。縦にめくれる。横開きではなかった。大福帳が頭に浮かぶ。ぺらぺらぺら。ふむ、日めくりカレンダーと言えばわかりよいか。光陰如矢。めくる。イラストがぽんぽんと置かれている。ぱらぱらぱら。めくるめくる。めくるとすると日も巡る。縦長のカンバス。縦に縦にと伸び続ける。日付とともに上に過ぎ去っていく絵。画集を見開くと上は過去に、下は未来に。縦に流れる時間。webの竹画廊を覗いて真っ先に現れるのは今現在の絵だった。下スクロールは過去に向かっていた。しかしこの画集は逆である。下へ向かえば向かうほど今現在に近づいてくる。
歩みの方向も違えば印象もまた変わる。美術館などで絵などを見る時、近づいてみたり離れてみたり、横からのぞいてみたりなどしてみる、あの感覚。角度。感度。
めくっていると途中で気づく。カンバスの、あるいはページの一番下の絵がなにやら見切れている。はてな。なにかしらの手違いか。さにあらず。さらにめくって次のページ。その絵がしっかりある。見切れていない絵が泰然と構えている。ははあ。見切れていることがすなわち道標なのか。カンバス間に断絶はない。次の日付へ誘われる。未来へとつづき続けているようだ。
流れ、過ぎていく絵。コメント。様々な「その日」があったらしい。ときに見知った絵にも出会う。これはあのとき、あのUstreamで描かれていた絵だ。あんなコメントがあった。あのとき自分はこんなことをしていた。一瞬だけ、その絵に自分が交差する。もしかしたら自分もこの絵を描いたひとりではないだろうか。そんなことも思う。ほんの少し。ささやかに。そしてまた次の絵へ。
そうしていくうちに、いつのまにやら画廊の終点にたどり着いている。はて、いつからこの画廊に迷い込んでいたのか。過去から未来へ歩みを進めていたつもりが、ふと振り返れば、やはりそれは紛れもない過去だった。2010年から2011年へかけての軌跡。最後の絵が「またねー」と手を振る。あんなかわいらしい子に言われてはしようがない。こちらも手を振り返す。

前を向き、画廊を出るとそこは2012年である。ここもまた過去になろう。またね、と言われたのだ。

最前線で『星海社竹画廊』を見る

2012.03.09

のぞみ
臨場感があって、読んでいて楽しかったですよ〜!
さやわか
これはいいですな。本を読んだ時の状況と心情が、まさに臨場感をもって伝わってきます。リアルタイムにページをめくっていく描写が、日々の中で描き継がれた「竹画廊」というコンテンツの動きに重ねられていて、この批評的な構造はとてもうまくできています。レビューとして読むには少しくどいきらいもありますが、好みの範疇かもしれませんので、これはこれでいいと思います。もしよりレビューらしく体裁を整えるなら、いずれの記述かを削っていくことになるでしょうね。ともかく、ここでは全く問題ありません。「銀」といたしましょう!

本文はここまでです。