十文字青『私の猫』
これまでとこれからの、全ての「あっという間」の出来事
レビュアー:USB農民
「猫はあっという間だからね」
主人公の妹が言ったこの言葉は、『私の猫』という作品の本質を一言で言い表している。
主人公にとって、生活の中に猫がいるのは当たり前で自然なことだった。『私の猫』は、その当たり前が崩れ去るまでを描いたお話だ。
主人公の飼う猫の体調が悪化し始め、力尽きるまでの期間は、それまで主人公と猫が積み上げてきた時間と比べて、あまりに短い。
そして、上記の台詞は、「猫」という言葉を、別の「そこにいるのが当たり前の存在」に置き換えても意味は通じる。むしろ、自分にとっての「当たり前の存在」に置き換えてこそ、その本当の意味が理解できる。
そこにいるのが当たり前の存在ほど、失われる時は「あっという間」に感じられる。 小さな話で言えば、例えば私の場合、小学校時代に仲の良かった親友が、突然転校することになってしまった時など、自分の生活の一部が消えてしまうような喪失感を覚えたことがある。小学生にとって大事な放課後の時間の多くを共有してきた親友は、親の都合で「あっという間」に遠い場所へと行ってしまった。それきり長い間、私は彼と会えなかったし、再開した時には、お互いが当時とは変わっていて、小学生の頃に彼と共有していた時間はもう過ぎ去ってしまったことを実感させられた。
私にとって『私の猫』という小説は、そんな感情を思い出させてくれる作品だった。
そしてまた、小説のラスト、一緒に住む女から子供ができたらしいことを主人公が告げられる場面は、人生にはこれからも「あっという間」な出来事が続いていくことを示唆している。
子供と過ごす時間は、きっと猫との共同生活よりも長い時間続くのだろうが、しかし子供の成長は早く、一瞬一瞬が本当に「あっという間」に感じられ、足早に時が過ぎ去っていくことだろう。
そんな風に、私たちの人生には「あっという間」の出来事がこれまでもこれからも起こり続ける。『私の猫』は、そんな全ての「あっという間」の出来事について考えるきっかけをくれる小説である。
主人公の妹が言ったこの言葉は、『私の猫』という作品の本質を一言で言い表している。
主人公にとって、生活の中に猫がいるのは当たり前で自然なことだった。『私の猫』は、その当たり前が崩れ去るまでを描いたお話だ。
主人公の飼う猫の体調が悪化し始め、力尽きるまでの期間は、それまで主人公と猫が積み上げてきた時間と比べて、あまりに短い。
そして、上記の台詞は、「猫」という言葉を、別の「そこにいるのが当たり前の存在」に置き換えても意味は通じる。むしろ、自分にとっての「当たり前の存在」に置き換えてこそ、その本当の意味が理解できる。
そこにいるのが当たり前の存在ほど、失われる時は「あっという間」に感じられる。 小さな話で言えば、例えば私の場合、小学校時代に仲の良かった親友が、突然転校することになってしまった時など、自分の生活の一部が消えてしまうような喪失感を覚えたことがある。小学生にとって大事な放課後の時間の多くを共有してきた親友は、親の都合で「あっという間」に遠い場所へと行ってしまった。それきり長い間、私は彼と会えなかったし、再開した時には、お互いが当時とは変わっていて、小学生の頃に彼と共有していた時間はもう過ぎ去ってしまったことを実感させられた。
私にとって『私の猫』という小説は、そんな感情を思い出させてくれる作品だった。
そしてまた、小説のラスト、一緒に住む女から子供ができたらしいことを主人公が告げられる場面は、人生にはこれからも「あっという間」な出来事が続いていくことを示唆している。
子供と過ごす時間は、きっと猫との共同生活よりも長い時間続くのだろうが、しかし子供の成長は早く、一瞬一瞬が本当に「あっという間」に感じられ、足早に時が過ぎ去っていくことだろう。
そんな風に、私たちの人生には「あっという間」の出来事がこれまでもこれからも起こり続ける。『私の猫』は、そんな全ての「あっという間」の出来事について考えるきっかけをくれる小説である。