『ブレイク君コア』 小泉陽一朗
穴があるからドーナツなのだとしても
レビュアー:ややせ
彼/彼女と、心/身体が入れ替わっちゃった!というストーリーにおいて語られるのは、大抵、「自分のものじゃない身体への違和感」と「それを周囲にばれないようにするための努力」ではなかっただろうか。
つまり、着心地の悪い服としての身体と、容れ物に過ぎない身体に心が合わせなければならない不自由さ。
「自分」というのは、100パーセント「心」のことで、「身体」というのは格が下であるかのような、あるいは心の従属物であるかのように捉えられてきた。
それが『ブレイク君コア』ではちょっと違う。
女の子を好きになった!とアプローチしながら、どうやら事故の衝撃で好きな女の子の身体に別の人間の心が入ったらしいと知った主人公は、その別人の心が入った女の子を好きになっていく。
しかも好きになった契機は、性的ないちゃいちゃ、身体同士の出会いなのだ。
好きな女の子の心の行方を積極的に探そうとはせず、このままがいいとまで思い、最終的には好きだった女の子の不利益になるようなことまで選択してしまうのだ。
性同一性障害の人は、ほとんどの場合、心の方の性別に身体を合わせようとするらしい。
それくらい、「私」というのは「心」の方なのだ。
ただ、「身体」はあらゆる感覚の受信機でもある。あらゆる快楽も痛みも情報も、受け止めていくのは身体の方だ。
なんだかんだと思考しながら、好きだった女の子の身体に入っている心の持ち主が男かもしれないと知った主人公の取った激しい拒否の醜態は、こう言っちゃなんだが笑えてしまう。
結局、誰の、何が(心or身体)が好きなのか。
分からないまま定まらないままなのが、ひたすらおかしかった。
猟奇殺人があり、怪しげな心霊探偵が登場したりもするのだが、特にこれといった強いキャラクターは登場しない。主人公も美少女も存在が弱い。
それだけではなく、主人公に独白させている通りストーリー自体の持つ力にどこか懐疑的で、そのくせ日常回帰に執着したりもしないのだ。
レビュアーの私と主人公の彼/彼女、そして作者の体験する現実は全然違う。全然違うけれど、確固たる拠り所のない不安さは自由に繋がることを知っているし、制約だらけのこの肉体がシンプルで強大な快楽を与えてくれるものだということも知っている。
リアリティのないストーリーなのに、恐ろしいまでのリアリティがそこにはある。ばらばらに分断された心と身体の話ながら、この小説が語りかけてくるのは、(たとえ本来の自分のものではないとしても)その両方の必要性だからだ。
レビューの目的から外れるかもしれないが、あとがきまでを読んで、心と身体の関係から個人と社会の関係を類推した。
常識的に考えて、「個人」のために「社会」が合わせてくれるということはないだろう。
そう思うと、頭部だけきれいに残った死体のような、なんとも言えない寂しさが読後に残った。
最前線で『ブレイク君コア』を読む
つまり、着心地の悪い服としての身体と、容れ物に過ぎない身体に心が合わせなければならない不自由さ。
「自分」というのは、100パーセント「心」のことで、「身体」というのは格が下であるかのような、あるいは心の従属物であるかのように捉えられてきた。
それが『ブレイク君コア』ではちょっと違う。
女の子を好きになった!とアプローチしながら、どうやら事故の衝撃で好きな女の子の身体に別の人間の心が入ったらしいと知った主人公は、その別人の心が入った女の子を好きになっていく。
しかも好きになった契機は、性的ないちゃいちゃ、身体同士の出会いなのだ。
好きな女の子の心の行方を積極的に探そうとはせず、このままがいいとまで思い、最終的には好きだった女の子の不利益になるようなことまで選択してしまうのだ。
性同一性障害の人は、ほとんどの場合、心の方の性別に身体を合わせようとするらしい。
それくらい、「私」というのは「心」の方なのだ。
ただ、「身体」はあらゆる感覚の受信機でもある。あらゆる快楽も痛みも情報も、受け止めていくのは身体の方だ。
なんだかんだと思考しながら、好きだった女の子の身体に入っている心の持ち主が男かもしれないと知った主人公の取った激しい拒否の醜態は、こう言っちゃなんだが笑えてしまう。
結局、誰の、何が(心or身体)が好きなのか。
分からないまま定まらないままなのが、ひたすらおかしかった。
猟奇殺人があり、怪しげな心霊探偵が登場したりもするのだが、特にこれといった強いキャラクターは登場しない。主人公も美少女も存在が弱い。
それだけではなく、主人公に独白させている通りストーリー自体の持つ力にどこか懐疑的で、そのくせ日常回帰に執着したりもしないのだ。
レビュアーの私と主人公の彼/彼女、そして作者の体験する現実は全然違う。全然違うけれど、確固たる拠り所のない不安さは自由に繋がることを知っているし、制約だらけのこの肉体がシンプルで強大な快楽を与えてくれるものだということも知っている。
リアリティのないストーリーなのに、恐ろしいまでのリアリティがそこにはある。ばらばらに分断された心と身体の話ながら、この小説が語りかけてくるのは、(たとえ本来の自分のものではないとしても)その両方の必要性だからだ。
レビューの目的から外れるかもしれないが、あとがきまでを読んで、心と身体の関係から個人と社会の関係を類推した。
常識的に考えて、「個人」のために「社会」が合わせてくれるということはないだろう。
そう思うと、頭部だけきれいに残った死体のような、なんとも言えない寂しさが読後に残った。
最前線で『ブレイク君コア』を読む