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読者レビュー

鉄

ジスカルド・デッドエンド

死は再生のはじまり

レビュアー:ジョッキ生 Knight

この物語の根幹はクリエイターが死ぬときはいつか?ということである。答えは帯に書いてある通り誰かと分かち合えなくなったときである。それは本書の中でじすさんが最愛の人を失くし、作る意味を見失ってしまったという言葉にも表れている。

そしてもう一人本書で死ぬキャラクターがいる。それはデイジーである。彼はじすさんに憧れゲーム作りを開始し、彼を心の拠り所にしていた。つまり彼を失うことによりデイジーもまた死ぬのである。

しかし、ここである差異が生まれる。デイジーは最後に再生を果たすのである。何故同じ道を辿った二人にこのような結末の変異が訪れたのか?それは二人の人間関係によって明らかになる。じすさんが最愛の人以外に交友関係が無いかといえばそうではなく、オフ会という場があった。これにはファンが集い、9000さん、イリヤという二人のキーパーソンがいた。この二人はデイジーとも関係が深く、9000さんはデイジーの片思い相手であり、イリヤはデイジーに恋する存在であった。つまり、作る意味を失くしたじすさんにはまだ他に道が残されていた。それは彼を取り巻くファンに対して創作の意味を見出す行為である。失った意味を別のものに見出すことによって死が再生を果たすのである。

しかし最後までじすさんはこれを選ばなかった。これが岐路になった。デイジーは最後、9000さん、イリヤに自分の思いを届けるためにまた創作を開始するのである。つまり目的の届け先がじすさんからシフトしたのである。これにより彼は再生し、じすさんは死んでしまった。だが、語った通り死から再生への道にはただ一つ届けたいという想いがありさえすればいいのである。じすさんというクリエイターは死んだが創作者本人が死んだわけではない。本人が生きている限りそこに再生の目はあり続ける。そしてそれを可能にするのはファンという存在の願いや祈りかもしれない。

2012.03.09

さやわか
ジョッキ生さんは今回、何通もレビューを送ってくださいました。そのいずれも、なかなか優れた分析を含んだもので、なるほどと思わされるものばかりでしたが、作品を分析的に語ることに注意が向いてしまうと、まれに何のためにそれをするのかがわからない文章になってしまうことがあります。今回いただいたレビューもそうで、作品のいいところをしっかりとえぐり出していますが、それをジョッキ生さんはどうしたいのか。うまく作品の状況をまとめてみせたとして、その見取り図を使って読者に何を思わせたいか、そこを書いていただければと思います! ということでひとまず今回は、中でも冴えた視点のあるものを掲載することにして、「鉄」にさせてください!

本文はここまでです。