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読者レビュー

銅

世界一退屈な授業

偉人たちとの論議

レビュアー:キノケン Novice

各方面における偉人たちの著作・講演などから精選された五つの「講義」は非常に興味深かった。
しかし、自分自身の意見だが、福沢諭吉先生が述べられていることなどは、経済が高度に複雑化した現代社会では、聊か参考にし辛い部分もあった。
そこで、考える。この偉人の主張を、どのように破るか。偉人の論理に破綻はないか。まさに、偉人と「論議」をするのである。この感覚が非常に面白い。
第5講で西田幾多郎先生も述べられていることだが、偉人とは言え、人である。人が生み出した理論をただ鵜呑みにするのではなく、それに反論・反駁し、咀嚼して自らの体系的な知を築き上げる。
世代を異にし、会うことができないはずの偉人たちと、このような形で「論議」をすることができるのである。しかも、内容も日頃一般人である我々があまり目にすることのない講演などから選定されており、口語体に近い議論がなされている。これがまた非常に良い作用をする。
メディアも多様化し、人々が莫大な情報にさらされる現代社会において、これほど自らの知の構築の端緒と成り得る書物も多くはないのではないか。
これから社会に出ていくであろう、特に大学就学中の若者たちには、ぜひこの本を取り、偉人たちと論議をしてもらいたい。
きっとそこには、今まで読んできた書物では味わえない、深い知的満足感が見いだせることだろう。

2012.02.18

のぞみ
偉人と「論議」をする…レベルが高すぎてワタクシにはついてゆけませんわ〜(>д<;)
さやわか
偉人の言っていることを批判的に検討するというのは、この本のタイトルが『退屈な授業』と名付けているような斜めから見た態度に重なっていて、面白い読み方だと思いますぞ。
のぞみ
キノケンさんが対談したり考えたりするのがお好きと言うのは伝わってまいりましたわ☆
さやわか
姫……微妙にそっけない……。偉人の名前はともかく、どんな主張をしているのかというのはともすれば知らずにいる人も多いのですが、そこを見直そうというこの本の趣旨に沿った読み方ができていると思います。ただ、ラストの三行は気になりました。たとえば「莫大な情報にさらされる現代社会」において、(他の本ではなく)特にこの本が役に立つという根拠がよくわからないまま書かれている。そういう説明が前半部分にあったわけではないですよね。「これから社会に出ていくであろう、特に大学就学中の若者たち」に特に薦めたいというのも、もちろんそれが望ましいのは間違いないのでしょうが、しかし他の本ではなくてこの本でなくてはならない理由がよくわからない。レビューを読む人にとっては、とにかくこの本を薦めながら文章を終えねばならないという動機のみがあって書いているように感じてしまう。これは惜しいです。前半部分の独自の視点をうまく使いながら文章を締められればいいかなと思いました。ということで「銅」にいたしましょう。

本文はここまでです。