世界一退屈な授業
「世界一退屈な授業」というタイトルの秀逸さ
レビュアー:USB農民
編者である適菜収によれば、本書は「武器としての教養」となるような五つの講演を集めて、一冊にした本であるらしい。
私はその内容を読む前に、まず書名に驚かされた。
「これだけ高名な先生方の話を揃えておいて、果たして退屈ということがあり得るのか!?」と、思ったのだ。
読み始めると、意外にも、幾つかの話は本当に退屈だった……。これは本当に驚いた。なんであんな退屈な話をしているのか、全然わからなかった。
巻末で適菜収は「簡単にぜんぶ飲み込めてしまうものなど、程度がしれてい」ると書いている。確かに、一理あると思った。
それから、本の頭に戻って内容を振り返っていると、新渡戸稲造が「良い本になると、(略)僕などは三度くらい止まって考えてみないと腹の底まで入ってこない」と語っている。これもまた、確かに頷ける話だと感じた。
ところで、そのような良書の精読によって得られる教養とは、一体どのようなものだろうか。
読書中、私はずっとそのことが気になっていた。
本書はたぶん、その問いに幾つかの答えを返していると思う。
「思う」と頼りない書き方をするのは、私がその答えを十分に汲み取れているとは思えないからだが、そんな私でも、一つの答えだけは「腹の底まで入って」きた。
巻末近くに載せられた、内村鑑三の言葉にその答えはあった。
ジョン・ロックの『Human Understanding』(『人間知性論』)について書かれた部分だ。
<この本がフランスに行きまして、ルソーが読んだ。モンテスキューが読んだ。ミラボーが読んだ。そうしてその思想がフランス全国に行きわたって、ついに一九七〇年、フランスの大革命が起こってきまして、フランスの二八○○万の国民を動かした。
それがためにヨーロッパ中が動きだして、この十九世紀のはじめにおいても、ジョン・ロックの著書でヨーロッパが動いた。
それから合衆国が生まれた。
それからフランス共和国が生まれてきた。
それからハンガリーの改革があった。
それからイタリアの独立があった。
実に、ジョン・ロックがヨーロッパの改革に及ぼした影響は非常であります。>
ああ、なるほど、それが教養の力の一端なのだと理解した。
教養は、個人の力を越えて、社会に働きかけることができる。
教養は、昨日までの世の中を、少しずつ良い方向に動かすことができる。
自分の中にある「教養」という言葉の定義がもやもやとしていた時は、「それを身につけることは本当に良いことなのか」という疑問があったが、本書を読んでその疑問は解決した。
私は、教養を身につけることは良いことだと、自信をもって言える。
そして私も教養を身につけたいと思う。
その方法のヒントは、本書にて幾つか発見している。(例えば、西田幾多郎の「われわれはわれわれの文化の内に、過去を構成し未来に発展する永遠に生きたものを見いださなければならない」という言葉や、新渡戸稲造の「まず読書にはある意味において、便法なく、一度は艱難して苦しまなければならない」など)
『世界一退屈な授業』は、身近とは言い難い話題や、飲み込むのに苦労する難しい話などが多く載っている。
それは、貴重で実りある内容だからこそなのだと、編者は書いていた。
わざわざ書名に「退屈」なんてネガティブに捉えられかねない言葉を入れているのも、「退屈と感じてしまう話を、どうして読者に読ませようとするのか」ということを読者自身にも考えてもらうためだろう。
そのことに気付いたとき、本書のタイトルの秀逸さがようやく理解できた気がした。
私はその内容を読む前に、まず書名に驚かされた。
「これだけ高名な先生方の話を揃えておいて、果たして退屈ということがあり得るのか!?」と、思ったのだ。
読み始めると、意外にも、幾つかの話は本当に退屈だった……。これは本当に驚いた。なんであんな退屈な話をしているのか、全然わからなかった。
巻末で適菜収は「簡単にぜんぶ飲み込めてしまうものなど、程度がしれてい」ると書いている。確かに、一理あると思った。
それから、本の頭に戻って内容を振り返っていると、新渡戸稲造が「良い本になると、(略)僕などは三度くらい止まって考えてみないと腹の底まで入ってこない」と語っている。これもまた、確かに頷ける話だと感じた。
ところで、そのような良書の精読によって得られる教養とは、一体どのようなものだろうか。
読書中、私はずっとそのことが気になっていた。
本書はたぶん、その問いに幾つかの答えを返していると思う。
「思う」と頼りない書き方をするのは、私がその答えを十分に汲み取れているとは思えないからだが、そんな私でも、一つの答えだけは「腹の底まで入って」きた。
巻末近くに載せられた、内村鑑三の言葉にその答えはあった。
ジョン・ロックの『Human Understanding』(『人間知性論』)について書かれた部分だ。
<この本がフランスに行きまして、ルソーが読んだ。モンテスキューが読んだ。ミラボーが読んだ。そうしてその思想がフランス全国に行きわたって、ついに一九七〇年、フランスの大革命が起こってきまして、フランスの二八○○万の国民を動かした。
それがためにヨーロッパ中が動きだして、この十九世紀のはじめにおいても、ジョン・ロックの著書でヨーロッパが動いた。
それから合衆国が生まれた。
それからフランス共和国が生まれてきた。
それからハンガリーの改革があった。
それからイタリアの独立があった。
実に、ジョン・ロックがヨーロッパの改革に及ぼした影響は非常であります。>
ああ、なるほど、それが教養の力の一端なのだと理解した。
教養は、個人の力を越えて、社会に働きかけることができる。
教養は、昨日までの世の中を、少しずつ良い方向に動かすことができる。
自分の中にある「教養」という言葉の定義がもやもやとしていた時は、「それを身につけることは本当に良いことなのか」という疑問があったが、本書を読んでその疑問は解決した。
私は、教養を身につけることは良いことだと、自信をもって言える。
そして私も教養を身につけたいと思う。
その方法のヒントは、本書にて幾つか発見している。(例えば、西田幾多郎の「われわれはわれわれの文化の内に、過去を構成し未来に発展する永遠に生きたものを見いださなければならない」という言葉や、新渡戸稲造の「まず読書にはある意味において、便法なく、一度は艱難して苦しまなければならない」など)
『世界一退屈な授業』は、身近とは言い難い話題や、飲み込むのに苦労する難しい話などが多く載っている。
それは、貴重で実りある内容だからこそなのだと、編者は書いていた。
わざわざ書名に「退屈」なんてネガティブに捉えられかねない言葉を入れているのも、「退屈と感じてしまう話を、どうして読者に読ませようとするのか」ということを読者自身にも考えてもらうためだろう。
そのことに気付いたとき、本書のタイトルの秀逸さがようやく理解できた気がした。