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読者レビュー

銅

虚淵玄『Fate/Zero』

Is this love ... guilty?

レビュアー:ユキムラ Adept

 散々使い古された言葉から入ることを許してほしい。
 私は、綺礼さんが好きだ。
その生き方に恋していると表現しても差し支えあるまい。

 かつて、言峰綺礼は信仰に身を捧げ、自身の心の最奥を直視していなかった。
美しいと感じるモノを自信をもって定められずに生き、機械のような機能だけを残して動き続けていた。

 そんな言峰綺礼は、英雄王の教授とワインの口付けによって、やがて生まれ変わる。

 師である遠坂時臣を騙し討ちして、そのサーヴァントと契約を結んで。
彼は、あげく、時臣を弑するに用いたアゾット剣を、気まぐれから時臣の娘である凛へと授けるのだ。
その際に凛の双眸から零れ落ちたシズクに甘美と悦を覚えながら...
 アゾット剣の譲渡は、『Fate/Zero』が始まった直後の言峰綺礼には無かった選択肢だろう。
このとき彼の裡に芽生えた感情は、今まで彼がずっと禁忌としていた類の感情で。
だからこそ、荒廃していた彼の裡に、その悦楽は瞬時に染み渡ったに違いない。
 この瞬間にこそ、言峰綺礼という存在は私が恋しいと感じる【言峰綺礼】になった。
『Fate/stay night』において、(ルートによっては)そのアゾット剣で斃されるとも知らず。
彼はただただ、遠坂凛の悲哀を見下ろし見下し、歓喜を裡に隠し飼う。

 そんな綺礼さんのことが、私は大好きなのである。

 凛にアゾット剣を渡してからのち、彼の生き方に一切のためらいは無い。
立ち止まることも、きっと振り返ることもしない。
凛とのエピソードだけで、綺礼さんがこれから歩んでゆく道を、ありありと想像することができる。
彼は自分のあり方を悲嘆し自死することなど考えもせず、『Fate/stay night』まで生き永らえるのだ。

『Fate/Zero』という舞台から、彼は、飛び立つように【生きて】ゆく。
その躍動感は、紙切れなんかには収まりきらずに私を襲う。
文字だけの存在が、一次元足りない存在が、圧倒的な存在感で以って、私に己が生き方を見せつけてくるのだ。

綺礼さんは自分に絶対の自信を持っている。
本来、世界にとっての異物であるところの自分に。
 すっと背を伸ばし、先の見えない暗闇の中でもひたすらに前を見据え。
血と恨みにまみれた道を振り返ることなく、唯一孤独に聖職者を続けていく。

 そんな綺礼さんの孤高に、私は恋してしまっているのである。

2012.02.18

さやわか
「銅」を文句なく差し上げたい愛情深いレビューですが、これは特に言葉遣いが独特で面白いと思います。小説の登場人物に対する愛情を「一次元足りない存在」みたいに書けるのはなかなかいいですぞ。ただ、これを読み終わって思うのは、ユキムラさん自身がなぜ「そういう」言峰綺礼を好むのかが伝わりにくいなということです。言峰綺礼の「どこが好きか」はよくわかるのですが、それを「なぜ」好きかがないと、わりと作品のエピソードを並べている印象に近くなってしまう。そういう気持ちで書いていないのはよくわかるのですが、だからこそ、そこは工夫して「私はこういう綺礼さんがこれこれという理由で好きなのだ」という形になっているといいのではないかと思いましたぞ。「銅」にいたしますが、ギリギリそれが読み取れないという感じなので、意識して書けばこれはもっと伸びるはずです。

本文はここまでです。