Fate/Zero
スワンソングのその先に
レビュアー:ユキムラ
最初に言っておく。
私は、かーなーりー、主従萌えの人種である。
『Fate/Zero』など『Fate』シリーズのことを、私は、【理想/願いと主従(あるいは人間関係)の物語】だと思っている。
だから、だろうか?
私はディルムッド・オディナの在り方があまり好きではない。
ディルムッド自体はそんなに嫌いでもない。だが、彼の生き方が好きではないのだ。
いや、確かに前回のレビューで「リア充爆発しろ」とか勢いで言ったけど、それはあれですよ、えーっと……ツンデレ? うん、じゃあツンデレってことで。
まあとにかく、ディルムッド自体はそれほど嫌いではないのだ。
だが、ディルムッドのその主従の在り方は、どうしても好きにはなれない。
嫌悪にも似たその感情は、ディルムッドの臨終の慟哭/かのスワンソングに起因しているのやもしれない。
………
少し話が逸れてしまうが、中国の昔の話で、属鏤(しょくる)の剣にまつわる物語がある。
学生時代から主従萌えしていた私にとって、漢文の授業はネタと萌えの宝庫だった。
そんな日々の中で耀いていた話のひとつである。
今は昔、隣国と戦争している国があった。
そこには王とは別にA・Bという臣下がおったんや。
Aは隣国に通じとる、悪いやっちゃ。
で、Bは自国思いの臣下やった。
きわどいパワーバランスの上に置かれた自国の危うさにBは薄々感づいとって、王に何度も進言しとった。そんなBの存在が、隣国に通じとるAには煙たかった。
んでもって、ある日、王はAの言葉にそそのかされてもて、Bに属鏤の剣を与えたんや。
この属鏤の剣いうんは、つまり、これで死になはれ、いうことやな。
元からちょいやかましいとこがあるBに嫌気が差しとった王は、Aにうまいこと騙されてもたんや。
そいで、Bは「えらいええ根性しとるやないかい、ええわ、死んだらええんやろ。ついでに儂の目ェくり抜いて、この国の門の上に置いとけや。隣国がこの国に攻めて来るんを見たるさかい」と言い残して死んでしもた。
そうして紆余曲折の末、案の定、その国は隣国に攻め滅ぼされてもた、っちゅーわけや。
………
という話である。
この話を表面でだけ受け止めれば、Bはディルムッドと同じような死を迎えたのだと勘違いしてしまう。
だが、少し待ってほしい。
ここにおけるBは、なにも「自国滅びとるw王ざまあwww」とか言いたくて門の上に自分の目を置けと言ったわけではない。
Bは、この遺言を通して、王に危機を伝えたかったのだ。
「くり抜かれたその目で、隣国が攻めてくるのを見てやるんだから!」とは、【隣国が攻めてくる】その日が近いのだという警告なのである。
最期の最後で自身の悲願の達せずを嘆いたディルムッドとは、少し違うのではないだろうか。いや、盛大に。
あるじに裏切られ見限られ、死神をすぐ側に控えさせる事態に陥った二人の従者。
自ら命を絶つことを命ぜられたその先に、
・叶わず終わった自己の悲願を呪詛に変えて叫んだディルムッド
・恨み言と見せかけ、王に、最期にして最後の諫言を送ったB
どちらも従者としての有り方のひとつだ。どちらか一方が正解だなんてことを、私は決するつもりは毛頭無い。
従者だって人の子だ。ずっと仕えていた主に切り捨てられれば、悲しくだってなるし、愛憎がひっくり返ることだって否めない。
だが、どちらが従者の有り方としてより美しかったかと言われれば。
――私ならば、断然Bだ。
即答である。鉄板だ。
別に恨みも妬みもソネミもなく、純粋にBの方が好みなのだ。
これは所詮読者の理論かもしれないけれど、それでも、最後まで忠義を貫く姿勢を美しいと感じる。感じずにはいられない。
というか愛! そういう主従愛に激・ラブ! ごちゃ萌える!!
死のまぎわに白鳥が歌うとされているスワンソング。
一見の優雅を必死で生き抜いて、命の最後に歌う其の歌のように。
従者もまた、最後に一曲だけ、ひどく美しい歌を赦されるというならば――
それは、最後まで、【従者として生き抜いた自分】らしい、濁らずの歌であってほしいのだ。
私は、かーなーりー、主従萌えの人種である。
『Fate/Zero』など『Fate』シリーズのことを、私は、【理想/願いと主従(あるいは人間関係)の物語】だと思っている。
だから、だろうか?
私はディルムッド・オディナの在り方があまり好きではない。
ディルムッド自体はそんなに嫌いでもない。だが、彼の生き方が好きではないのだ。
いや、確かに前回のレビューで「リア充爆発しろ」とか勢いで言ったけど、それはあれですよ、えーっと……ツンデレ? うん、じゃあツンデレってことで。
まあとにかく、ディルムッド自体はそれほど嫌いではないのだ。
だが、ディルムッドのその主従の在り方は、どうしても好きにはなれない。
嫌悪にも似たその感情は、ディルムッドの臨終の慟哭/かのスワンソングに起因しているのやもしれない。
………
少し話が逸れてしまうが、中国の昔の話で、属鏤(しょくる)の剣にまつわる物語がある。
学生時代から主従萌えしていた私にとって、漢文の授業はネタと萌えの宝庫だった。
そんな日々の中で耀いていた話のひとつである。
今は昔、隣国と戦争している国があった。
そこには王とは別にA・Bという臣下がおったんや。
Aは隣国に通じとる、悪いやっちゃ。
で、Bは自国思いの臣下やった。
きわどいパワーバランスの上に置かれた自国の危うさにBは薄々感づいとって、王に何度も進言しとった。そんなBの存在が、隣国に通じとるAには煙たかった。
んでもって、ある日、王はAの言葉にそそのかされてもて、Bに属鏤の剣を与えたんや。
この属鏤の剣いうんは、つまり、これで死になはれ、いうことやな。
元からちょいやかましいとこがあるBに嫌気が差しとった王は、Aにうまいこと騙されてもたんや。
そいで、Bは「えらいええ根性しとるやないかい、ええわ、死んだらええんやろ。ついでに儂の目ェくり抜いて、この国の門の上に置いとけや。隣国がこの国に攻めて来るんを見たるさかい」と言い残して死んでしもた。
そうして紆余曲折の末、案の定、その国は隣国に攻め滅ぼされてもた、っちゅーわけや。
………
という話である。
この話を表面でだけ受け止めれば、Bはディルムッドと同じような死を迎えたのだと勘違いしてしまう。
だが、少し待ってほしい。
ここにおけるBは、なにも「自国滅びとるw王ざまあwww」とか言いたくて門の上に自分の目を置けと言ったわけではない。
Bは、この遺言を通して、王に危機を伝えたかったのだ。
「くり抜かれたその目で、隣国が攻めてくるのを見てやるんだから!」とは、【隣国が攻めてくる】その日が近いのだという警告なのである。
最期の最後で自身の悲願の達せずを嘆いたディルムッドとは、少し違うのではないだろうか。いや、盛大に。
あるじに裏切られ見限られ、死神をすぐ側に控えさせる事態に陥った二人の従者。
自ら命を絶つことを命ぜられたその先に、
・叶わず終わった自己の悲願を呪詛に変えて叫んだディルムッド
・恨み言と見せかけ、王に、最期にして最後の諫言を送ったB
どちらも従者としての有り方のひとつだ。どちらか一方が正解だなんてことを、私は決するつもりは毛頭無い。
従者だって人の子だ。ずっと仕えていた主に切り捨てられれば、悲しくだってなるし、愛憎がひっくり返ることだって否めない。
だが、どちらが従者の有り方としてより美しかったかと言われれば。
――私ならば、断然Bだ。
即答である。鉄板だ。
別に恨みも妬みもソネミもなく、純粋にBの方が好みなのだ。
これは所詮読者の理論かもしれないけれど、それでも、最後まで忠義を貫く姿勢を美しいと感じる。感じずにはいられない。
というか愛! そういう主従愛に激・ラブ! ごちゃ萌える!!
死のまぎわに白鳥が歌うとされているスワンソング。
一見の優雅を必死で生き抜いて、命の最後に歌う其の歌のように。
従者もまた、最後に一曲だけ、ひどく美しい歌を赦されるというならば――
それは、最後まで、【従者として生き抜いた自分】らしい、濁らずの歌であってほしいのだ。