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読者レビュー

銀

星海社朗読館『山月記』

調和の先にあるもの

レビュアー:横浜県 Adept

初めて表紙絵をみたとき、僕は少し首を捻った。
ミギーさんのイラストは確かに素晴らしかった。絵に造詣の深くない僕ですら、思わず「あぁ、これはいい」とつぶやいたほどだった。
でも一方で、どこか納得のいかない気持ちがあった。
僕の知っている『山月記』とは違う、そう思ったのだ。

『山月記』とは言わずと知れた中島敦の短編小説であり、多くの国語教科書にも掲載されているので、読まれたことのある方も多いはずだ。
唐代の役人・李徴が詩人を志すもうまくいかずにやがて失踪。のち虎となった姿で旧友の袁え朕と再開し、己の悔恨や執着の念を語る物語である。
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という一節が有名であり、美しい漢文調によって描かれているのが特徴だ。

そんな『山月記』の表紙を飾るにしては、この絵が少し優しすぎるように感じられたのだ。
水彩画から浮かび上がってくる暖かさ。それはイラストを鑑賞することにおいて僕を幸せにさせた。けれど馴染みの薄い熟語やルビが溢れ、教訓的な内容を含む『山月記』がもつ硬さには、どこかマッチしない気がしていた。
試しに新潮文庫版の表紙を参考にしてみれば、そこには厳つい顔をした虎が描かれているではないか。

ところが僕のこのような考えは、朗読CDの再生を機に一変する。
坂本真綾さんの声で読み上げられたその物語は、表紙のイラスト同様に、暖かかった、のである。
彼女の高く透き通った声は、李徴の「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」を繊細に演じあげる。僕の耳に届いた物語は、硬く難解なものではなく、親しみやすく洗練された『山月記』だった。
一字一句違わないはずなのに、僕の知っている『山月記』とは違う、もう一つの『山月記』がそこに立ち現われてきたのだ。

そして彼女の美しい朗読に、ミギーさんのイラストはこれでもかと言わんばかりに調和していた。
『山月記』に表紙絵「が」マッチしていなかったのではなかった。僕の思い描いていた『山月記』が、表紙絵「に」マッチしていなかったのだ。
文学作品には無数の解釈や表現があるという当然の事実を、どうやら僕は失念していたようだったし、これではっきりと思いだすことができた。

さらには星海社朗読館の一作品としての完成度の高さにも驚かされてしまった。
中島敦の美しい物語を、坂本真綾さんが巧みに朗読する。ブックレットにはミギーさんの精巧なイラスト。それらは一寸の狂いもなく融和し、星海社朗読館として、一つの表現を『山月記』に与える。それは僕にとって、いままで見たことのないような、優しい『山月記』であった。
「文学×朗読×イラスト それは新しい文学体験」
箱に記された言葉の意味を、僕はいま噛みしめている。

2012.01.30

のぞみ
“優しい『山月記』”という横浜県さんの想いが伝わる素敵なレビューでしたわ(´ω`*)
さやわか
よいレビューだと思います。細かいことですが、新潮文庫版の表紙に触れるあたりなんかがよくできている。これがないと、『山月記』にミギーさんのイラストがそぐわないというのが、単に横浜県さんの独りよがりな主張に見えてしまうのですが、それをさりげなく回避しているわけですな。つまり『山月記』というのは厳ついイメージで世に知られているということの証として新潮文庫を挙げている。それを前提としながら、あとは星海社朗読館の提供した新しい『山月記』を好意的に語るという流れはよくできています。
のぞみ
“新しい文学体験。”っていう世界に沢山の人が浸ってくれたら嬉しいですわ~。
さやわか
うむ。キャッチコピーを結びに持って来たのもいいですな。多少わざとらしいきらいがありますが、まあこの文句を入れるならここだろうというところに入れてあります。次は、これなし同じくらい優れたものを書く方法を考えてみるといいのではないでしょうか。ひょっとしたら、とたんに難しく感じるかもしれませんが……。ともあれ「銀」といたしましょう!

本文はここまでです。