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読者レビュー

銀

夜跳ぶジャンクガール

遺憾ながらまだ青春している身であるらしく

レビュアー:またれよ Novice

「とにかく、おもしろい」
という帯がついていたので笑ってしまった。
とにかく、おもしろいらしいのである。大きく出ている。
この帯をつけた人はよほど自信あったよう。だから是非読んでみてよと勢い余ってしまったらしい。微笑ましいことである。

と、一瞬思いはしたものの、どうもそんな微笑ましい雰囲気でもない。帯を見つめていると、つべこべ言わずに読んでみろと言われている気もする。ははあ、なんとも挑発的な帯ではないか。いやさ前々からこの作品読むつもりではあった。何気なく手に取ってレジに持っていくつもりであったのだ。しかし彼奴め、大上段に迫ってくる。「とにかく、おもしろい」と。

知ったことか!

おもしろいか、そうでないかは己で判断する。勝手に決めつけてくれるな。ふむぅ、なにやら腹立たしくなってきた。よしわかった読んでやろう。そこまで言うなら読んでやろう待っていろ! 


主人公は高校生の男の子・アユム。一年前の姉の死以来、女の子の首を絞めたい衝動に駆られている変な子。しかし人を殺したいというわけではなく、まあ常識人。そして彼の性癖に付き合って首を絞められるのが幼なじみの女の子・楓。大人しく首を絞められて変態さんかとも思うのだけど、まあ普通にしてればそうは見えない。そんな二人が首を絞め絞め絞められてと仲良くしている最中に登場するのがクラスメイトの女の子・美月。ビルの屋上でモデルガンを携えつつ怒りの色を浮かべる彼女はミステリアスガール。はたまたただのイタイ子か。その三人に関係してくるのがネットで話題の「連続少女自殺中継事件」。なにやら不穏凄惨な匂い漂うこの作品。
しかしこれは恋愛小説なのである。

アユムの一人称で進むこの作品。彼は自分の気持ちについて、自分と他人との関係性について常に自問自答を繰り返す。

「人の死っていうのはもっと遠くにあるべきものだ」「僕はどうしたいんだろう?」「僕は自分のことを信頼していないのだ」「メタファー」「違う」「僕の本当の気持はどうだろう」「分からない」

断定、疑問、否定、その他その他。固まっては揺らぎ更新される内面。はたから見ればどうにも面倒である。しかし、身に覚えのある面倒くささでもある。人はそれを青さだとか若さだとか言う。
そんな青さだの若さだのの末に彼はこの疑問にぶつかる。

「『好き』ってどういうことだろう」

来てしまった。なんと平凡で、退屈な疑問だろう! 誰もが通る道で、でもなかなか納得のいく答えの得られない、難しい問いだろう! 自分だって知りたい、教えてくれ!
彼はこの疑問の直後、答えへのひとつの道しるべに思い至る。

「世に恋愛に関しての物語が溢れているのは、みんな他人の答えに興味があるからかもしれない。みんな他人の答えを参考に自分の『好き』を見つけようとしているのかもしれない」


小泉陽一郎は一作目の『ブレイク君コア』でも恋愛を軸に、今この瞬間の想いを描いていた。瞬間ごとに更新され塗り替えられていく想い。それは読者からすれば薄情とも捉えられる目まぐるしさ。そうしてまで瞬間の想いに誠実であり続けた。
第二作の本作もテーマとして通じるものがある。今回は主人公・アユムの恋愛対象に対しての想いは一貫している。しかし内面は常に揺らいでいる。そのとき確定させた自らの想いを後になってひっくり返すこともある。では以前の想いが嘘であったかというとそうではないだろう。本物であったはずだが、今は違うのだ。今作も、今この瞬間の想いを重視していた。過去の想いに薄情であることに誠実であった。「世に恋愛に関しての物語が溢れている」。この作品も溢れている作品の一つ。それをわかりながらも小泉陽一郎という作家は「答え」を探し、描くのかもしれない。三作目では何をどう描くのか。


さて、「とにかく、おもしろい」か。
否、というのが私の答えだ。帯の文句を額面通りに受け取れば。
しかしそうじゃないだろう。これはみんながみんな「おもしろい」と言うような作品ではないように思う。凄惨なシーンもある。極端な登場人物たちに共感できないという意見もあるだろう。それでもこの帯をつけるのだ。恐らくこの「とにかく、おもしろい」に対して「とにかく、おもしろかった」と切実なまでに思う人がいるはずなのだ。私はその人にはなれなかったが、そのような勢いと粘つくような青さがある!

この帯をの挑発に乗ってしまったこと、挑発と受け取ったことに今は苦笑いしてしまう。なんだ自分も青いものだ。しかし、あの反抗心を忘れてこうして冷静にこの文章を書いてしまっている自分は若くもないのではないか。いやしかし、こうやって自分の内面を分析しているのは若さか……以下逃れられない内省。

若さとは年齡だけのものでもないだろう。青春とは高校生だけのものでもないだろう。過去を振り返ればあんな青い頃もあったと思うこともある。だからと言って今が青くないとも限らない。今を振り返ることはできない。また年を経た時に何か思うこともあるだろう。
『夜跳ぶジャンクガール』を中学生が読んだ時、高校生が、大学生が、社会人が、子どもを持った人が、定年後の人が、その他様々な人が読んだ時、何を思うのか私は興味がある。
私はまだ自分の年齡以上の年齡を生きたことがないので、青春がどこまで続くのかわからない。わからないけれども私は今、青春のただ中にいるらしいことがわかった。『夜跳ぶジャンクガール』を読んでそれに気づいてしまい、苦々しい気分である。いや、ほっとしているのかもしれない。
いずれにせよ自分に舌打ちしたくなる。

2011.12.20

のぞみ
帯で、気になって買うことってありますわ~!
さやわか
そうですなー。しかし、レビュアー騎士団ではとにかく帯文や広告なんかへの視線がすごく注がれているのがわかります。皆さんずいぶん気にしているのですな。
のぞみ
少ない情報で、引き寄せる帯の言葉って、すごいですわよね!
さやわか
このレビューも帯文にこだわって書いているのですが、まあレビューを語る道具としてうまく使っていますな。そしてレビューの文章は軽妙で味があります。こういう書き方は個人的にはなかなか好きなタイプです。優れているのは、この小説を必ずしも評価しないけれども、あらゆる評価に開かれているのがいい、という着地点を見出しているところでしょう。なぜその小説がそう書かれているのかを考えるのも大切なことですが、同時に、あらゆる人々が自由に評価することができることも大事です。その両方があってこそだと思います。このレビューはそうした視点に自覚的です。その自覚ゆえに自分の青さとか青春のただ中にいるということを見出すという結論はアクロバティックな論理展開があって、面白く読めます。「銀」とさせていただきましょう!

本文はここまでです。