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読者レビュー

銅

ダンガンロンパ/ゼロ(下):小高和剛

絶望

レビュアー:ジョッキ生 Knight

絶望とは何か。

絶望を感じる瞬間は、
(1)自分から自分に与えるもの
(2)他者から自分に与えられるもの
がある。

(1)の場合、
自分のミス、または自分の理想に打ち破れた時に発生する落ち込みに似た感情。
(2)の場合、
他者の悪意によって意図的に貶められた時に発生する断絶に似た感情。

と、それぞれに起源は違う。

ただ、その周囲への影響という点において(2)は圧倒的な力を持つ。

つまり、悪意は拡散するのだ。

より綿密に策を練る場合、まず如何にして自分の痕跡を消すかということに注力する。
いくつもの他者を介し、伝言ゲームのように最初が何であったかを隠蔽するのだ。

しかし、その過程において発生する善意の自浄作用や、それを回避するための行動等。
(2)の場合、多くの人の思惑が介在し悪意に晒される。

結果、悪意は意図せず育ってしまうのだ。それはその成長を喜ぶものにとって貴重な収穫となる。

さて、作中ではこの悪意の中心を江ノ島盾子が担う。

江ノ島盾子は絶望に溺れている。
絶望を愛し、絶望を嫌悪している。
だからこそ模索する。
他者を絶望に蹴落としてでも。
自分にとって最高の絶望とは何かを。

江ノ島盾子の望む結末とは何か。
それは自分の放った絶望がいつか自分の絶望として跳ね返ってくること。

この望みは、言い換えれば世界を敵にまわしている。
殺せるものなら殺してみろと高らかに宣言しているのだ。
つまり、江ノ島盾子にとって周囲全ては自分をいつか殺してもらうための装置でしかない。
よって、彼女には何ら躊躇いが無い。
如何なる物も使い、如何なる者も殺す。
これは快楽ではなく、生き様である。

はっきりいって傍迷惑な自殺志願者である。
巻き込まれた者は不幸を呪いながらも抗うしかない。
その結果は彼女を殺すか、自分が死ぬかのデスゲーム。
生き残るのはたった一人。

音無涼子、松田夜助、江ノ島盾子。
誰が最後に生き残るのか。
ぜひ本編を読んで確かめていただきたい。
なお後日譚としてゲームもでているのでぜひそちらも。

詳しくはhttp://danganronpa.com/まで。

さあ Let's 絶望体験!

2011.12.20

さやわか
文体が悪辣な感じがあって、非常に面白かっこいいですな。冒頭の定義的なところから「悪意」「絶望」というデカダンな概念についての議論に至る流れはなかなか読ませます。『ダンガンロンパ/ゼロ』という作品にふさわしい強烈さがある。こういう熱っぽい文章は好きなのですが、定義を出したがゆえにちょっと気になってしまいました。特に(2)についてですが、悪意を伴わないで他人から与えられる絶望もあるのではないでしょうか? たとえば好きな異性が自分を全く恋愛対象として見ていないことに気づいた時など。それは(1)に分類されるのかもしれませんが、そのへんを周到に拾っておくと、ケチのつかない、実にイヤミな論理の包囲網が作れます。するとなおさら『ダンガンロンパ/ゼロ』について書かれたこのアグレッシブな文章がひきたつように思いましたぞ。今回は「銅」にさせていただきましょう!

本文はここまでです。