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読者レビュー

銅

夜跳ぶジャンクガール

私が『夜跳ぶジャンクガール』をおもしろくないと感じた理由

レビュアー:ticheese' Novice

 あらすじに『首絞め衝動』『連続少女自殺中継事件』などの気になる文句が踊る『夜跳ぶジャンクガール』を読んでいる最中も読み終わった後も私が抱いた感想は「おもしろくない」だった。何故おもしろくなかったか考えてみると、まず思いつくのは「私はこの作品に選ばれなかった」という考え方だ。世の中には「読者を選ぶ作品」が存在する。作中の得意な価値観、思想などに共感できなければ「私にこの作品は合わないな」となる。だから「読者を選ぶ作品」があることを私は知っている。そして『夜跳ぶジャンクガール』は間違いなく「読者を選ぶ作品」だ。
 作中の登場人物の価値観や思想は歪んでいる。首絞めを受け入れる幼なじみの楓、自殺中継を見て興奮するクラスメイトの足立、非日常を求めて奇行を繰り返すヒロインの美月。共感する人もいるだろうし、気持ち悪いとはね除けてしまう人もいるだろう。それを理解した上で私は「おもしろくない」と感じた。
 正直に言えば、私は『夜跳ぶジャンクガール』の登場人物たちを気持ち悪いと思ってしまう側の人間だ。けれど私はこの作品には構造的におもしろくなくしている作品だと言いたい。言わせてほしい。「この作品は構造的に問題がある」と。
 まず『夜跳ぶジャンクガール』は青春劇だ。だから「青春」の話をしなければならない。他の人が「青春」をどう定義するか知らないが、「青春」は悩むこと熱狂することが許されている期間だと私は思う。自分の過去現在未来に悩み、人間関係に悩み、社会との向き合い方に悩む。あるいは熱狂する。それらが許される期間だ。中高生は、あるいは大学生を含めて分かり難い人もいるかもしれないが、大人になると青春時代に悩んでいたことなど、くだらないと思えるようになる。そして青春の渦中にいる人を微笑ましく思ったり、痛々しく思ったりするようになる。良い悪いはともかく、まあそんなものだ。
 そして『夜跳ぶジャンクガール』の登場人物たちはもれなく高校生、青春まっただ中の子供たちだ。だから恋に人生に社会に死に悩んだり熱狂したりできる。たった一人を除いて。いや、物語開始当初までは全員青春を送おくっていた。けれど主人公、この物語の視点を司るアユムだけは大人になってしまう。物語開始当初、アユムは悩んでいた。姉の死に影響を受けて首を絞めたいという衝動に駆られていた。それが消えてしまったのはアユムがヒロインの美月に恋をしたからだ。美月に恋をした瞬間から首を絞めたくなくなってしまう。自分の衝動のはけ口になってくれていた幼なじみを置いてきぼりにして大人になってしまうのだ。恋をすることがなんで大人になることなのか疑問に思うかもしれないが、アユムが抱いた恋心はひたすら大人的なものだった。
 まず第一に悩まない。恋した美月と恋仲になることしか考えない。美月がどんなに拒否しようと、美月がどんな人間であろうと、恋仲になる為に行動する。熱心熱烈熱狂的な恋でいかにも青春に見えるが、アユムはこの恋を諦めることもできる人間なのだ。これが第二だ。美月に嘘をついて一時的に恋仲になった際に嘘をつき続けることができなくなり、本当のことを言ってしまって諦めようともしている。アユムは無理なことは無理だと割り切っている。ちなみに物語開始時は大人でなかった為、青春の残滓は存在している。死んだ姉の幻影を見て、それと対話までしてしまう。想像上の相手を作り出してしまうのは子供じみているかもしれないが、アユムは幻影まで割り切って受け入れてしまう。幻影と対話することで自分の考えをまとめることに利用してしまうのだ。なんともたくましい。幻影を否定したり、消そうとしたり、ようはどうしようもないことに足掻いたりはしないのだ。
 さて話を本題に戻そう。何故私が『夜跳ぶジャンクガール』を「おもしろくない」と感じたかだ。それは主人公アユムが物語でただひとり、大人であるからだ。アユムにとって大事なのは美月と恋仲になることだけだ。他の全てはどうでもいいことに落ちてしまう。以前は首絞めのパートナーだった楓も自殺中継熱狂する足立もどうでもいいのだ。あるいは美月自身についてもどうでもいいと考えている。大人らしく一歩引いた視点で俯瞰し、下らないと貶めてしまう。大人が青春をおくる子供たちにイタいとか、どうでもいいとか感じてしまうようなことを主人公が率先してやってしまう。ここからが大事な所なのだが、じゃあ読者は誰に共感すればいいのだ? 
 『夜跳ぶジャンクガール』は前述の通り「読者を選ぶ作品」だ。作中の価値観や思想に共感した読者は選ばれることができる。この作品では盛大に悩んだり熱狂したりする楓や足立、美月に共感が起こるはずだ。しかしこの作品の主人公は彼らの悩みを熱狂をどうでもいい、気持ち悪いとさえ感じてしまう。あるいはスルーを決め込むかだ。共感してしまった読者は居心地が悪くないだろうか。じゃあ次に主人公に共感できたとしよう。周囲の青春まっただ中の少年少女を前にどうでもいいと感じている主人公に共感する。そうするとこの物語は「おもしろい」だろうか? どうでもいいと感じる視点で見て物語は「おもしろい」か? 美月への恋心に感じ入ろうにも、アユムは作中で美月に惹かれた理由すら語ったりはしないのだ。読者はそれを読んで「おもしろい」のか? 
 私はおもしろくない。
 この物語は主人公が大人になってしまったが故に、悩みや熱狂によって起こる事件の全てがどうでもいいことに貶められてしまい、最後に残るのは美月と恋仲になるという作中で少々単調に語られる物語だけになる。
 以上が私が『夜跳ぶジャンクガール』を「おもしろくない」と感じた理由でこの物語の構造的問題だ。ここまで書いたら許してもらえるだろうか。少々傲慢に聞こえるかもしれないが、言わせてほしい。
 私はこの作品を選ばない。

2011.12.20

のぞみ
最初は否定的なものかしら、と感じましたが、それに対してこれだけ書かれていると、逆に好きなんじゃないのと思ってしまうのは私だけでしょうか?
さやわか
たしかに! というか、間違いなく書き手は星海社にも、小説というジャンル全般にも、フィクションにも、愛情があります。それがはっきり伝わりますのでこのレビューは素晴らしい。これは「銅」としましょう! ではなぜ「銀」以上ではないのか。その理由はわりと簡単で、ここで書き手はまず「共感する人もいるだろうし、気持ち悪いと思う人もいるだろう。しかしそれを越えて、この作品は構造的に問題がある。だからこの話は面白くない」ということを言っているのですね。にもかかわらず、語られるのは一貫して主人公に共感できる要素がないということ、つまり構造の話ではなくて「共感できない」「共感できる要素を配してくれない」という話なのです。また、「これは青春劇で、青春劇というのはこういうものを描くべきで、この作品にはそれがない」という主張も、よく見ると個人的なこだわりに近い。主人公が「大人だ」という主張も、「こういう判断をするということは、彼は大人なのだ」と、根拠を明確にせずに言っているように見える。それらの信念が、まさにレビューの読者に広く共感されるには、論理を積み重ねる必要があるように思います。しかし、ともあれ、書き手がどんなフィクションに愛情を持つのかということは強く伝わる、いい文章だと思いますぞ!

本文はここまでです。