泉和良『私のおわり』
物語のかおりとカタチ
レビュアー:ユキムラ
キンモクセイの香りに包まれ、私はこの本を読み始めた。
そう、ちょうどキンモクセイの香りが最盛期の時期に読んだのだ。
けれど、この本にまつわる私の記憶の中に、キンモクセイの香りはほとんど無い。
代わりにあるのは、そう――潮の薫りだ。
それは、死に直面したサヨの涙の香りだろうか?
サヨが死神船長と出会ったヨモツ比良坂の海の薫りだろうか?
それとも、サヨと天霧君たちを最初に繋いだ電子海の薫りだろうか?
あるいは、サヨの中にある、父親との思い出の海の香りだろうか?
「あなたはこのうちのどれが聞こえてきたと思う?」
そう問われたならば、私はおそらく最後を選んだだろう。
父親との記憶は、もう戻らない/戻れない証だ。
最後の4日間の傍観に、サヨは父親を含んだ家族血縁ではなく、恋慕の情を抱く天霧君を選んだ。
それは、選ばない方を選んだことに同義だ。
一番の未練である天霧君の為に、サヨは父親との最後を棄てた。
だからこそ、私は父親との思い出に、この作品一番の切なさと刹那さを感じ取る。
この作品はサヨの主観に拠って編まれているから、父親に関する部分はひどく少ない。
思い出語りとサヨ自身の思いだけが、この物語で父親を構成するパーツだ。
父親の登場なんてなければ、セリフだってサヨの記憶の中にしかない。
もちろん、サヨとサヨパパの別れもこの本の中には書かれていない。
だが、それゆえに、胸が締めつけられた。
ちっとも出てこないくせに、この父親との記憶/エピソードは、私の涙腺をがっつり刺激するのだ。
別にファザコン属性もエレクトラコンプレックスも持ち合わせていないのに。
油断すると泣いてしまいそうになる。濃い潮の香りが聞こえてくるのだ。
同時に、今の自分と父親との関係を再認識せずにはいられない。
私は海でのエピソードのような思い出は持ち合わせてはいないけど。
それでも、かえりみらざるをえない。
私は今、死んで関係が途切れても、決して後悔しないのか…と。
この本は、サヨの「おわり」を見届ける本だと思っていた。
でも、ホントは家族とのカタチを再認識できる本でもあるのかもしれない。
そう、ちょうどキンモクセイの香りが最盛期の時期に読んだのだ。
けれど、この本にまつわる私の記憶の中に、キンモクセイの香りはほとんど無い。
代わりにあるのは、そう――潮の薫りだ。
それは、死に直面したサヨの涙の香りだろうか?
サヨが死神船長と出会ったヨモツ比良坂の海の薫りだろうか?
それとも、サヨと天霧君たちを最初に繋いだ電子海の薫りだろうか?
あるいは、サヨの中にある、父親との思い出の海の香りだろうか?
「あなたはこのうちのどれが聞こえてきたと思う?」
そう問われたならば、私はおそらく最後を選んだだろう。
父親との記憶は、もう戻らない/戻れない証だ。
最後の4日間の傍観に、サヨは父親を含んだ家族血縁ではなく、恋慕の情を抱く天霧君を選んだ。
それは、選ばない方を選んだことに同義だ。
一番の未練である天霧君の為に、サヨは父親との最後を棄てた。
だからこそ、私は父親との思い出に、この作品一番の切なさと刹那さを感じ取る。
この作品はサヨの主観に拠って編まれているから、父親に関する部分はひどく少ない。
思い出語りとサヨ自身の思いだけが、この物語で父親を構成するパーツだ。
父親の登場なんてなければ、セリフだってサヨの記憶の中にしかない。
もちろん、サヨとサヨパパの別れもこの本の中には書かれていない。
だが、それゆえに、胸が締めつけられた。
ちっとも出てこないくせに、この父親との記憶/エピソードは、私の涙腺をがっつり刺激するのだ。
別にファザコン属性もエレクトラコンプレックスも持ち合わせていないのに。
油断すると泣いてしまいそうになる。濃い潮の香りが聞こえてくるのだ。
同時に、今の自分と父親との関係を再認識せずにはいられない。
私は海でのエピソードのような思い出は持ち合わせてはいないけど。
それでも、かえりみらざるをえない。
私は今、死んで関係が途切れても、決して後悔しないのか…と。
この本は、サヨの「おわり」を見届ける本だと思っていた。
でも、ホントは家族とのカタチを再認識できる本でもあるのかもしれない。