Fate/Zero
愛すべき天才
レビュアー:ひかけ
ついにこのFate/Zeroが視覚化、映像化された。私はこの時を待っていた。私がこの作品に触れたのはとある騎士団メンバーに紹介された時であるからおよそ半年前くらいだろうか。厳密に言うと半年も経っていないが。だからこの映像化を待っていたと言っても新参者だ。なんてったって星海社が文庫版として出す以前からFate/Zeroという作品はあったのだから。そんな人達に比べたら半年待った程度の私なんて知れている。でも、それでも私はこの映像化を待っていたと言わせてもらいたい。そうだな、Fateを知っている人向けに言うなれば聖杯に映像化を頼みたいくらいに待っていた。まぁようするに渇望していたのだ。映像化、アニメ化というものを。Fateを知らない人だって大勢いるだろう。Fateを知っている人も大勢いるだろう。その中での映像化だ。私みたいに「待っていた」人もいれば、「おっなんか気になるな。見てみようかな。」って軽い感じで見る人もいるだろう。
これはFateに限らずどんな作品でも言えることだけれどそういった差異は生まれてしまう。そりゃ「知っている」と「知らない」では正反対だしね。「なんだこの程度か。」「おーこの作品すげぇ!原作も買わないと!」「原作のほうが良かった。」「期待を良い意味で裏切ってくれた。」
だとかいろいろな感想は出てくることだろう。どんな作品も万人受けはしない。それは今までどうやっても越えられない壁として存在し、これからも立ちふさがる。もしかしたらこの作品は万人受けするのかもしれないがそういう希望的推察はここでは省きたい。ここでは万人受けはしないという体で話をしていきたい。なら、万人受けをしないのであれば作者は何を目指して物語を書くのだろう。
出来うる限り多くの人に受ける話を書く?
たしかに多くの人に手に取ってもらえば収入が多くなるのは自明だ。作家は「書く」ことでお金を得る。
そうしなければ生きていけない。なればこそそういった物語を書くのは当たり前かもしれない。
自分がおもしろいと感じる本を書く?
これは自分が書きたいように書きそれをおもしろいと思ってもらえるかどうかというもの。収入のためではなく自分のプライドめいたもののために書いている。収入は後に付随するものとして見る、大事なのは中身だ。みんなに受けるものでなくていい。自分がおもしろいと思うから世に送り出すんだ、みたいな。
正直私はどう思って作者が書いているかわからない。私は好きな子の心の中なんてまったくわからなかったし、少し道を踏み外した友人が何を思っていたか知る由もない。後者の場合、ただ相談して欲しかったという希望しか抱けなかった。誰も自分以外の人間が思っていることなんてわからない。というより自分の考えていることでさえわからなくなったりする。近くにいる人ならともかく本の作者などといったらどれだけの距離があるのかわかったもんじゃない。そんなのわかるわけがない。ようするに「わからない」ことだらけなのだ。ただ先日、私に「わかる」ことができた。
それはFate/Zero作者である虚淵玄氏の発言にある。マチアソビラジオだったと思うのだがこんな風に言っていた。
「自分は物語を書いている時眠たくなったら即寝ます。」
「それは…どうして?」
「眠たくなるということはその話が自分にとって『おもしろくない』ってことです。おもしろい話を書いていたら眠たくなんてなりません。」
みたいに言っていた。少し違うところがあるかもしれないけど似た感じのことを言っていた。つまり虚淵氏は自分がおもしろいと思うものしか書いていない。
一般受けしそうなものを考えるとかは一切ない。自分がおもしろいと思うものしか出していないのだ。
なるほどと思った。他の作者はどうなのか知る機会はないけれど虚淵氏だけは「知る」ことができた。私は自分のプライドの中で生きるという人物を目の当たりにした。そしてその生き方に心酔した。虚淵玄という人物に心酔した。
私は作家になるつもりがないし、なれるわけがないとも思っている。だがしかし、虚淵氏の生き方に羨望した。
これからの私にそんなプライドを持ち仕事ができるかどうかは「わからない」
ただ、万人受けというものを目指して行くのではなく、プライドを持ち続けて、自分を持ち続けていろんなことに挑戦していきたい。そして虚淵氏に出会うことができたこのFate/Zeroという作品に感謝です。虚淵氏が「おもしろい」と思って出したこのFate/Zero
まだ読んでいない「あなた」に合うかわかりませんが、作者本人が「おもしろい」と思って出しています。そんな作者に対する反骨心でもいい。とりあえず手に取って頂きたい。また感想なりレビューをここで読ませて頂ければ幸いです。
これはFateに限らずどんな作品でも言えることだけれどそういった差異は生まれてしまう。そりゃ「知っている」と「知らない」では正反対だしね。「なんだこの程度か。」「おーこの作品すげぇ!原作も買わないと!」「原作のほうが良かった。」「期待を良い意味で裏切ってくれた。」
だとかいろいろな感想は出てくることだろう。どんな作品も万人受けはしない。それは今までどうやっても越えられない壁として存在し、これからも立ちふさがる。もしかしたらこの作品は万人受けするのかもしれないがそういう希望的推察はここでは省きたい。ここでは万人受けはしないという体で話をしていきたい。なら、万人受けをしないのであれば作者は何を目指して物語を書くのだろう。
出来うる限り多くの人に受ける話を書く?
たしかに多くの人に手に取ってもらえば収入が多くなるのは自明だ。作家は「書く」ことでお金を得る。
そうしなければ生きていけない。なればこそそういった物語を書くのは当たり前かもしれない。
自分がおもしろいと感じる本を書く?
これは自分が書きたいように書きそれをおもしろいと思ってもらえるかどうかというもの。収入のためではなく自分のプライドめいたもののために書いている。収入は後に付随するものとして見る、大事なのは中身だ。みんなに受けるものでなくていい。自分がおもしろいと思うから世に送り出すんだ、みたいな。
正直私はどう思って作者が書いているかわからない。私は好きな子の心の中なんてまったくわからなかったし、少し道を踏み外した友人が何を思っていたか知る由もない。後者の場合、ただ相談して欲しかったという希望しか抱けなかった。誰も自分以外の人間が思っていることなんてわからない。というより自分の考えていることでさえわからなくなったりする。近くにいる人ならともかく本の作者などといったらどれだけの距離があるのかわかったもんじゃない。そんなのわかるわけがない。ようするに「わからない」ことだらけなのだ。ただ先日、私に「わかる」ことができた。
それはFate/Zero作者である虚淵玄氏の発言にある。マチアソビラジオだったと思うのだがこんな風に言っていた。
「自分は物語を書いている時眠たくなったら即寝ます。」
「それは…どうして?」
「眠たくなるということはその話が自分にとって『おもしろくない』ってことです。おもしろい話を書いていたら眠たくなんてなりません。」
みたいに言っていた。少し違うところがあるかもしれないけど似た感じのことを言っていた。つまり虚淵氏は自分がおもしろいと思うものしか書いていない。
一般受けしそうなものを考えるとかは一切ない。自分がおもしろいと思うものしか出していないのだ。
なるほどと思った。他の作者はどうなのか知る機会はないけれど虚淵氏だけは「知る」ことができた。私は自分のプライドの中で生きるという人物を目の当たりにした。そしてその生き方に心酔した。虚淵玄という人物に心酔した。
私は作家になるつもりがないし、なれるわけがないとも思っている。だがしかし、虚淵氏の生き方に羨望した。
これからの私にそんなプライドを持ち仕事ができるかどうかは「わからない」
ただ、万人受けというものを目指して行くのではなく、プライドを持ち続けて、自分を持ち続けていろんなことに挑戦していきたい。そして虚淵氏に出会うことができたこのFate/Zeroという作品に感謝です。虚淵氏が「おもしろい」と思って出したこのFate/Zero
まだ読んでいない「あなた」に合うかわかりませんが、作者本人が「おもしろい」と思って出しています。そんな作者に対する反骨心でもいい。とりあえず手に取って頂きたい。また感想なりレビューをここで読ませて頂ければ幸いです。