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読者レビュー

銅

星海社朗読館 ベッドタイム・ストーリー

朗読と黙読

レビュアー:ticheese Warrior

 『星海社朗読館』の朗読CDをPCに取り込み、PCからipodに移す。ipodにイヤホンのプラグを差し、耳にイヤホンをハメて手には黙読用の本を持って布団に潜り込む。『星海社朗読館』の最初の楽しみ方だ。

 本は朗読と一緒に文字を追う為に持つ。一言一句を味わう為に。

 けれど、もう3作目になる『星海社朗読館』は前の2作と違っていた。

 朗読と黙読を一緒にできない。

 考えてみると『ベッドタイム・ストーリー』は『星海社朗読館』の前2作とは少し趣が異なる。まずは現代の文章で書かれていること。だから目で文字を追うスピードが慣れていて早くなる。次に星海社が初出しの作品であること。初めて読む作品だから続きを待ちきれない子供の様に朗読を置いて先に進んでしまう。
 ただ読むだけでなく、登場人物の感情も取り込んで、間もとる坂本真綾さんの朗読とはどうしても連動させることができなかった。

 私は本と朗読を同時に味わうのをあきらめて、朗読だけを最初に聞き終えてしまうことにした。目をつぶって1番リラックスした状態で耳を澄ます。

 すると自分が思っていたよりも、はるかに坂本真綾さんの朗読はすっと自分の中に入ってきた。語られるお話は現代のものなので、前2作より頭が読み解くという行為をしなくていいからだろうかと思った。しかし前作『山月記』は学生時代に何度も読み返したお気に入りの作品。『ベッドタイム・ストーリー』よりも記憶の手助けで頭に入りやすいはずなのだが。

 では何故だろう? とより耳を澄ませてみると、すぐに答えに気がついた。

 本を持っていないからだ。

 『ベッドタイム・ストーリー』は、一度坂本真綾さんの頭の中で読み解かれている。読み解いた上で抑揚をつけ、適切に間をとり、涼やかな声で耳に届けてくれる。最初から本を手放して初見(聴)で聞くことによって、朗読に集中できて初めてその気遣いに気づいたのだった。

 一言一句味わいたいなら、朗読に任せるのが1番よかったのだ。本の黙読の方は後にしようと枕元に本を放り出す。贅沢な時間の始まりだ。



 ……ちなみに朗読から黙読に移るのは体感ではすぐ後のことになった。

 私はいつのまにか本当に寝てしまったのだ。
 目を覚ましてどこまで聴いたか本のページを捲る。半分ほどで寝てしまっていた。
 恐るべし『ベッドタイム・ストーリー』。
 恐るべし『坂本真綾』。

 とりあえず布団の中で最後まで聴くのはあきらめよう。

2011.09.30

のぞみ
このレビュー自体が何かの物語みたいで、面白かったですわ。
さやわか
読書体験をそのまま情景描写にするやり方はくせがあるのですべての読者におすすめできるわけではないですが、でもハマると作品に対する興味がわきやすいのがいいですな。
のぞみ
ほのぼの日記みたいで、気張らずに読めましたわ。
さやわか
ほ……ほのぼのはしてないと思いますが。しかし、この作品が特に読むだけでなく音も重要な要素であるということを伝えるのには、こうした書き方はよかったのかもしれません。やや気になったのは、「ちなみに朗読から黙読に移るのは体感ではすぐ後のことになった」みたいな表現が何を示しているかちょっとわかりにくいことです。こういうレビューの書き方は一行ごとに書き手がついてこれるのかを振り返りながら書くといいですぞ! ということで「銅」を進呈いたします。

本文はここまでです。